『奴隷小説』桐野夏生 | 【感想・ネタバレなし】「私たちは、泥に囲まれた島に囚われている」、異様な想像力が構築する”奴隷たる者”の世界
「奴隷的状況」を題材とした短編を集めた作品集で、身体的にまたは精神的に束縛され、自由を奪われた人々の姿が豊穣な想像力の世界で立ち現れます。
本書を読むことで、奴隷であるとはどういうことは、翻って、自由であるということはどういうことなのか、ヒントが得られたように思います。
それでは、各短編の感想等を書いていきます。
あらすじ
兵士たちに誘拐され泥に囲まれた島に幽閉されてしまった女子高生たち(「泥」)。
長老との結婚を断り舌を切断され、左目をえぐりとられた母を持つ娘に長老との結婚の噂がたつ(「雀」)。
夢の奴隷・アイドルとなった娘を案じる母親(「神様男」)。
年に一度の女とのセックスに夢中になる若い男がとる愚かな行為(「ただセックスがしたいだけ」)。
様々な状況で抑圧され奴隷化する人々の姿が鏡写しのように読む者の奴隷性を引きずり出す。
おすすめポイント
様々な抑圧と奴隷的状況を見ることで、その滑稽さとおぞましさを再認識できます。
自らの置かれている”奴隷的状況”を暴かれたようで、ドキリとします。
各短編の感想
雀
古い因習の残る小さな村らしき場所が舞台です。
村では、長老が絶対的な権力を持ち、何人もの妻を持っています。
また、女は、15歳になると女と嫁に行かされることになっています。
主人公の少女・スズメの母親は昔、当時の長老との結婚を断り、舌を切断され、左目をくり抜かれるという残酷な罰を受けた過去があります。
そして美しく成長したスズメに、現長老との結婚の話が持ち上がります。
村の因習、女と言う性別、絶対的権力、ありとあらゆる抑圧のが詰め込まれた短編です。
スズメは、女という性を最大に生かし、そこから脱出を図ります。
彼女の運命がこれからどう動くかは、読者の想像に委ねられますが、幼い彼女に漂う妖艶さは、長老を代表する”男たち”が最も危惧し恐怖するものなのではないかと思います。
泥
武装した兵士に突如拉致された女子高生らがくだす選択の物語です。
本書中、最も希望の持てる短編であり、絶望的な短編でもあります。
名前をはぎ取られ、1番~96番も番号を付与された彼女らに、兵士は告げます。
「おまえたちは女である。だから、男に所属する物だ。男のズボンや靴と同じように、男の持ち物であり、牛や豚と同じように、男の家畜である。」
私は女です。
はっきり言われたことはなくても、これと同じ意味のことをずっとささやかれながら育ったように思います。
そして、私も、私たちも、毎日、泥に囲まれた島に囚われている気分です。
物語中で、少女たちが、泥のなか選んだ決断に敬意を示したいです。
神様男
夢の奴隷たるアイドルを題材とした短編です。
未成年のアイドルを「年くった」とか「ババア」とかいうおっさんてほんとに見苦しいよな、と思いました。
REAL
数年前に自殺した娘の動機を探し求めて、ブラジルの旧友を訪ねる母親の話なのですが、このお話だけ”奴隷”たる者が誰かハッキリわかりませんでした。
ただ、不穏な空気から、娘の自死の原因は当の母親による抑圧なのでは……と疑ってしまいました。
そして、今度は娘の死に母親が囚われているのでは……。
何か起きるわけではないのに、何故か一番怖い短編でした。
ただセックスがしたいだけ
炭鉱の労働者のもとに、冬の間だけ訪れる謎の女たち。
タイトル通り、「ただセックスがしたいだけ」のために、貧しい蓄えから女たちに貢物をする男たち。
そして、思い余って掘り出した石炭を盗みだしてしまう……。
男ってホント、アホやな……と目頭を押さえたくなる短編でした。
告白
これは私たちが如何にして、少しずつ希望を失ったかという物語でございます。いうなれば、希望の瓶が底を突く、というお話。
自らの絶望を告白することを切望する亡霊の独白。
聞く者として選ばれた若者。
怖い…怖すぎる……。
山羊の目は空を青く映すか Do Goats See the Sky as Blue?
収容所に過酷な労働を強いられ、些細なことで殺される囚人たち。
タンネは、囚人の両親から生まれた子供で、収容所以外の世界を知らない。
本書のなかで、最も”奴隷的”な環境に生きる主人公です。
タンネは外の世界を知らないが故に、自分を「一等囚人」だと誇り、密告の危険から親にも本音を喋ろうとしない身も心も奴隷根性が染みついた子供です。
そんなタンネに、最も過酷な時刻を知らせる鐘撞きの仕事が周ってきます。
高い鐘楼の上からは、タンネははじめてみた”外”の世界。
全く違った価値観の下で生まれても、同じように空は青く見えるのでしょうか?
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『バラカ』桐野夏生 | 【感想・ネタバレなし】大震災後の世界をさまよう少女の数奇な運命が圧倒的な疾走感と重量で描かれる
ポスト3.11文学の極北と言って過言ではない巨編でした。
被爆地に突如降臨した少女・バラカ。
彼女の数奇な運命の遍歴と、人々の欲望と弱さのグロテスクさ。
また、全編の根底に流れるミソジニーの根深さにゾッとしたりもしました。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
海外で子どもを買う女性とその友人、酒と暴力で妻子を失おうとしている日系ブラジル人、悪魔になると誓った邪悪な葬儀屋。
少女を中心に、人々の抑えつけられた怒りと欲望が爆発する。
おすすめポイント
あの大震災でこうなってしまっていたかもしれないダークな世界観を見せられます。
男性の持つ本質的なミソジニーが作品の根底を流れているのが、(良い意味で)陰湿で不快感があり考えさせられます。
聖少女
本書の主人公バラカは数奇な運命を辿った末、警戒区域内をさまよっているところを発見されます。
バラカは「神の恩寵」という意味です。
その神秘的な生い立ちと、甲状腺ガンを患い生還したことで、「放射能は危険で被爆はまだ続いていると主張するグループ」、「放射能の危険はすでに去ったと主張する国側」、どちらにも”象徴”として狙われることになります。
本人の意思とは関係なく、ある種の”聖少女”としてネット内であがめられはじめます。
しかし、彼女の生い立ちの秘密は、人々のあまたの欲望に翻弄されたグロテスクなものです。
父親と娘・男と女
本書は、ポスト3.11文学であり、父親と娘、男と女の二項対立を深く追求した作品です。
バラカには二人の父親が存在します。
1人は、生みの親のパウロ。
1人は、義父のカワシマ。
パウロは生き別れになった妻子を懸命に探す態度は見せるものの、妻子が慣れないドバイで人身売買に巻き込まれたのは、知恵の足りなかった妻のせいだと決めつけているところがあります。
(実は、酒に溺れた末、安易に海外に働き場所を移したパウロに原因の一端があるのですが……)
しかも、もし成長した娘が妻のほうに似ていたら愛せないかもしれない、と考えるシーンもあります。
まじふざけんな!
無意識に女性を自分より弱く愚かな生き物だと思っているのです。
カワシマの場合は、もっと邪悪です。
ある出来事から、この世の邪悪をすべてなぞってやると決めた彼は、意図的に周囲に不幸をばらまきます。
彼は女性に対し憎悪をたぎらせています。
頭が悪くて面倒臭いことばかり言って、迷惑きまわりない生物。お前ら、この世から一人残らず消えろ。俺の優性を示すために、子種だけはやるぞ。
カワシマの邪悪さは物語のなかでも突出していて、その悪魔のような所業の数々にはゾッとさせられます。
彼らは、まるで女性が赤ん坊を産むためだけの道具で、そこの知性や論理性を認めていないかのようです。
バラカの同級生の男の子が悪気なく発した一言は、まさにその考えを象徴しています。
「でも、あんたはヒバクしてるから、子供産めないんだろ?」
救われないのは、女性たちまでもが、”産む道具”である女性像をどこかで認めてしまっていることです。
大手出版社に勤める沙羅も、テレビ局のディレクターの優子も、バラカの存在を自分の”産み育てる女性像”を補強するための小道具のように扱います。
しかも、そこに愛情が一片も無かったかというと、そうではない、というところがこの話を更にグロテスクにさせています。
バラカとは何者か
結局、バラカとは何者だったのか、読んだ後もよく消化できません。
人身売買でペットのように売り買いされた少女、放浪する少女。
彼女は、震災からの復興を象徴する聖少女なのか、汚染により棄てられた民を率いるべき象徴なのか。
そのどれでもあり、どれでもない少女。
ただ、何故か、この少女の強く美しい眼差しがこちらをじっと見ているのを感じるような気がします。
この眼差しに、
「お前は、敵だ」
と言われることに怯えながら、これからを過ごさなくてはいけないような予感がします。
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『i』西加奈子 | 【感想・ネタバレなし】この残酷な世界にアイは存在するのか。生きることへの祝福に満ちた物語
「この世界にアイは存在しません。」
アメリカ人の父と日本人の母との間に養子として育てられたアイは、その繊細さと聡明さで、自分の”恵まれた”境遇に罪悪感を抱きながら育ちます。
世界中で沢山の人が苦しく辛い思いをしていることを真面目に受け止めると、ほとんどの人は息が詰まって生きてはいられないでしょう。
これは、その息苦しさのなかを足掻きながら、それでもその苦しさを苦しみのまま受け止めることに決めた少女の生の旅の物語です。
この世界にアイは存在するのか、ぜひ本編でそれを確認してみてください。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
裕福な両親に何不自由なく育てられているのに、その恵まれた境遇がなぜか苦しい。
アイは、世界で悲惨な事件が起きるたび、その犠牲者の数をノートに記録しはじめる。
なぜ、私が選ばれたの?
私は誰かの幸せを奪って生きているの?
切実な叫びを胸に、アイは親友と出会い、大切な人と家族になり、そして胸が潰れるような痛みを経験し、成長していく。
「世界にアイは存在するのか」を探しながら。
おすすめポイント
幼少期、繊細だった方は主人公に共感できると思います。
日々、目にする痛ましいニュースをどう受け止めればいいか分からず苦しんでいる優しい方におすすめします。
幸せの息苦しさ
私は養子ではありませんが、主人公にアイの両親に遠慮してしまう気持ちがなんとなくわかります。
でも、アイみたいに「グッドガール」ではいられませんでした。
高校生くらいのとき反抗期が来たのですが、言いたいことがあっても「生活費出してもらってるから、学費出してもらってるから」とぐっと我慢し、我慢しきれず爆発、ということがよくありました。
母親も喧嘩になると「卒業したらお金は出さない!家からも出ていけ!」みたいな売り言葉に買い言葉のセリフをよく口にしていて、親にお金の話を持ち出されると子供としては言い返せないし、当時は「なんて卑怯な!」と密かに思っていました。
私は能天気なので、次の日にはお小遣いをねだるよーな無神経さを発揮していましたが、姉なんて、いまだにお金のことで言葉の圧力をかけられたのを怨んでいるようです。
でも、結局、骨の髄まで反抗しようと思えば、家を出て働きながら奨学金もらって学ぶ、みたいなことも出来たはずなので、結局、親に甘えていたし、親も甘やかしてくれていたのでしょう。
その”甘やかされていること”をどう消化できるかで、その人の誇り高さが決まるような気がします。
アイは、シリアにルーツをもつ養子で、裕福な両親に恵まれている自分を心苦しく思っています。
貧困や内戦、自然災害、痛ましいニュースが流れるたび、アイは「生き延びてしまった」自分を恥ずかしく思い、恥ずかしく思う自分の傲慢さにまた苦しみます。
アイの親友・ミナはそんな彼女の繊細さを受け止めてくれます。
「誰かのことを思って苦しいのなら、どれだけ自分が非力でも苦しむべきだと、私は思う。その苦しみを、大切にすべきだって。」
しかし、苦しみの当事者になりたい、などという思いが彼女の想像を超えて傲慢だということに、やがて気が付くときがきます。
生きる痛みをどう受け入れるか
胸が潰れるような痛み、悲しみに晒されたとき、彼女は思わず大切な人を憎みます。
なぜ自分が?
あなたも一度でいいからこの傷みを味わえばいいのに。
地獄にいるとき、私たちが求めるのは、救われることではなく、一緒に地獄に落ちてくれる人です。どんなにそれが不合理な願いでも。
そして、追い打ちをかけるように親友・ミナの身にもアイには受け入れがたい事態が訪れます。
アイは泣きます。
どうしてもミナを赦せなくて。赦せない自分に苦しんで。
そして、ミナのもとへ向かいます。
本書には、1988年から起きた世界中の様々な悲劇的な出来事とその犠牲者の数がたびたび登場します。
そのなかには、シリアの内戦や9.11、3.11も含まれています。
おびただしい死者の数と、苦しみの連鎖に、私たちは何て残酷な世界に生きているのだろう、と俯かずにおれません。
この物語は、世界の痛みを全身で受け入れようとする一人の少女のアイデンティティを希求する旅であり、私たちに生きることの限りない痛みと果てのない喜びを示唆してくれます。
自分の降りかかった苦しみを咀嚼し、同じように他者の痛みを受け入れ分かち合うとき、理解できないものを理解できないまま愛するとき、アイははじめて自分の輪郭を世界のなかに認めます。
「私はここよ」
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『闇に香る嘘』下村敦史 | 【感想・ネタバレなし】27年間、兄と信じた男は本当の兄なのか、全盲の老人が手探りであの日本当にあった出来事を追う
今日読んだのは、 下村敦史『闇に香る嘘』です。
第60回江戸川乱歩賞受賞作のこちら。著者の下村敦史さんは9年間同賞に応募し続け、5度最終候補に残り落選を経験した先にやっと勝ち取った受賞だそうです。
この経歴だけでも尊敬してしまいます。
中国残留孤児の悲劇的な歴史を綿密な取材に基づいた説得力のあるストーリーでミステリーへと昇華した作品で、主人公が、全盲の高齢男性というめちゃくちゃハードルの高い設定も見所の一つです。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
おすすめポイント は
中国残留孤児が晒された過酷な現実が綿密な取材のもと描かれています。
全盲の高齢男性というハードルの高い設定が巧みに生かされています。
終盤にかけ、真実がくるっとひっくり返るミステリならではのアクロバティックな展開が楽しめます。
全盲の主人公といえば
全盲の主人公といえば、乙一『暗いところで待ち合わせ』が第一に浮かびます。
こちらも大好きな作品ですが、『暗いところで待ち合わせ』の主人公・ミチルがうら若き女性だったのに対し、本書の主人公・和久は孫もいる高齢男性です。
しかも、ミチルは思わず助けてあげたくなるような健気さがありますが、和久は視力を失うことに自暴自棄になり、猜疑心が強く、家族を散々傷つけ、愛想をつかされ一人暮らしという、ちょっと難しいキャラクターです。
でも、そこが突然視力を失うことを告げられた昭和の男のリアル~な感じがあります。
妻に対しても、娘に対しても、言わなくても分かるだろ?感満載で甘えて、愛想をつかされてから猛省、という分かりやす~い人間です。
書いてあること全てが罠
主人公は、兄が腎移植を頑なに拒む態度から、兄が偽物なのではないかと疑いを持ち調査をはじめますが、中国残留孤児の支援団体の職員からは脅しめいたことを言われるわ、入国管理局を名乗る人間が接触してくるわ、怪文書が届くわ、不可解で出来事に翻弄され、何が真実で誰が信じられるのか、まさに五里霧中となっていきます。
それに主人公は全盲なので、相手の顔を確認できないので、読者も得られる情報が限られ、手足を縛られたようなもどかしい思いがします。
しかし、終盤にかけ、まるでくるっと天地がひっくり返るような感覚を味わわされ、それまで書かれていたことがすべて著者の仕掛けた罠だったことが分かります。
主人公が全盲という設定、兄が中国残留孤児だったという設定、すべてがこのミステリとしての本書に必要なパズルのピースです。
そういう意味で、この物語は、ミステリとしてしか成立しえないし、ミステリとしてしか生まれなかっただろう、と思います。
中国残留孤児の歴史
本書は、中国残留孤児問題を深く追求した作品でもあります。
正直、恥ずかしながらこの問題について私自身全くの不勉強で、こういう形で歴史を知ることができ、ありがたく思います。
養蚕業の傾きで貧農と化した農民たちは、「満州に行けば肥沃な大地で地主になれる」とささやかれ(その土地は実は関東軍が中国人から取り上げた土地なのですが)、一筋の光にすがり海を越え、そして、敗戦の混乱により大量の残留孤児・残留婦人を生みました。
彼ら、敗戦直後の痩せた国土に大量の帰国民が流入することを怖れた国家により棄てられたのです。
まじで、救われない……。
ちなみに、満州へ移民を最も多く送り出したのは長野県だそうです。へー。
当時は帰国するために、身内が保証人になる必要があり、余裕のない親が保証人になることを拒否するという痛ましいケースも多かったようです。
このあたりの描写は、胸が潰れるようなものばかりです。
最近歴史を題材とした小説を読むことが多いのですが、沢山の物語から私が感じるのは、学生時代、歴史の教科書で丸暗記させられた無数の無機質な言葉の裏には、その時代を生き抜いた人々の苦しみと悲しみ、喜び、怒りが渦巻いていたんだな、という単純な感想です。
これがもう少し早く分かっていれば、歴史の成績ももう少し良かったかもしれません。
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『漁港の肉子ちゃん』西加奈子 | 【感想・ネタバレなし】生きている限りは、誰かに迷惑をかけることを怖がってはいけない
インパクトのある題名に随分前から気になっていたのですが、なんとなく暗い話な気がして避けていました。
そんなとき、明石家さんまさんプロデュースでアニメ映画化する、という話を聞いて、これは暗い話じゃないかも……と思い切って読んでみました。
想像していた物語とは全く違う、暖かくて強い”家族”の話でした。
また、「あとがき」が本編に比するほど素晴らしい作品でもあります。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
肥っていて不細工で鈍くて底抜けに明るい母・”肉子ちゃん”は漁港の焼肉屋で働いて、街のみんなに愛されている。
娘のキクりんはそんな母親のことが最近少し恥ずかしい。
心のままに生きる母と、自意識に葛藤し成長していく娘。
人間臭くて不細工でエネルギッシュな家族の物語。
おすすめポイント
”肉子ちゃん ”のキャラクターが本当に素敵で、読むと元気がもらえます。
北国の漁港の寒々しい風景のなかで逞しく生きる人々の活き活きした息遣いが感じられます。
読み終わった後の「あとがき」を読むと、そこに込められた思いに泣けます。
漁港の肉子ちゃん
インパクトのあるタイトルですが、読み終わるとこのタイトル以外ありえない、と確信させられます。
肉子ちゃんは大阪出身の38歳。
漁港の焼肉屋「うをがし」(新鮮な魚ばかり食べている地元民が肉の脂を求めてやって来る)で働いています。
「うをがし」の店主のサッサンは奥さんを亡くしたショックで店をたたもうとしていたのですが、そこに現れた肉子ちゃんを雇って経営を続けることにします。
サッサンは、肉の神様が現れた、と思ったらしい
肥っていて、不細工で、声が大きくて、ちょっと頭の足りない肉子ちゃんは、「うをがし」に辿り着くまで沢山の「糞みたいな」男に騙されてきました。
天真爛漫な母と自意識でいっぱいの娘
娘のキクりんは、小学5年生。
肉子ちゃんと対照的に、可愛い顔と華奢な身体で運動神経もよく、クラスメイトからの人気も高い女の子です。
そんなキクりんは、単純な母と違い悩みがいっぱいです。
クラスメイトの女子の派閥争いのこと、男子の拙いアプローチのこと、肉子ちゃんが最近こっそり誰かに電話していること。
キクりんは、それらの悩みに正面から向き合うことを避け、なるべく逃げよう逃げようとするところがあります。
しかも、自分が可愛く人気があることを自分で分かっていて、それを巧妙に利用して立ち回ることのできる賢さがあり、でも、そんな自分の小賢しい性格に自己嫌悪する、という思春期の悪循環に突入しています。
打算のない人間への憧れ
本書に登場する肉子ちゃんは溢れんばかりのエネルギーで周囲の人間を元気にさせてくれる人物です。
運動会の保護者参加の借り物競争の場面では、気が付けば会場の皆が肉子ちゃんを応援し、ゴールすれば立ち上がって拍手を贈ってくれます。
肉子ちゃんの優しさには打算がなく、人の言うことをすぐ信じ、先入観の無い瞳で接してくれるので、沢山の人が肉子ちゃんに救われます。
でも、肉子ちゃんのように生きることを望む人は少ないでしょう。
人を信じる肉子ちゃんは何度も何度も人に騙され傷つけられボコボコにされて、それでも借金も不幸も笑い飛ばして、また騙されて……。
肉子ちゃんのような人が現実にいたら、やっぱり沢山の糞みたいな人間がそのエネルギーに群がって奪ってボロボロにしてしまうんだろうな、と悲しく思います。
そして、どちらかと言えば自分は、肉子ちゃん側の人間ではなくて、その溢れる力に寄生するゴミ虫みたな人間なんだろうな~、と思いました。
だから、肉子ちゃんの持つ底抜けのパワーに憧れるし、こんな人にそばにいてほしいと憧れます。
(でも、私のようなすぐ人に寄生するゴミのような人間のそばに、肉子ちゃんのような人がいないことはむしろ喜ばしいことでしょう。)
この世の最も寂しい人の前に、”肉子ちゃん”が現れることを祈ります。
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『吸血鬼』佐藤亜紀 | 【感想・ネタバレなし】革命の火種燻るポーランドの寒村にあらわれる吸血鬼の正体に国と民の残酷な断絶を見る
舞台は1845年のオーストリア帝国領最貧の寒村・ジェキ。
土着の風習が色濃く残る土地で、次々と人が怪死していきます。
が、ホラー小説やファンタジーなどではなく、著者の歴史に対する深い洞察に基づいた小説で、これ1冊で19世紀のポーランドの在りようが大体わかってしまいます。
ちなみに、翌年の1846年はクラクフ蜂起が起こった年で、この出来事も物語に大きく関係してきます。
しかし、色々と調べていて思ったのですが、ポーランドという国は、あらゆる国に分割され統合され、歴史にもみくちゃにされた不遇な国ですね……。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
ゲスラーの就任直後から、人々の怪死が相次ぎ、人々は
人々の恐怖を鎮めるため、ゲスラーは死人の墓を暴き、首を刎ねるというおぞましい決断を迫られる。
おすすめポイント
19世紀のポーランドの寒村に暮らした貧しい人々と独立を夢見る領主との乖離の描写が凄まじい迫力があります。
19世紀のヨーロッパに暗い雰囲気が楽しみたい方におすすめです。
吸血鬼(ウピール)とは
人々が怖れる
最初は形がない。家畜や人を襲って血を吸うと、ぶよぶよの塊になる。更に餌食を貪ると、次第に人の形を整える。別の説では死人だ。生まれた時に胞衣を被っていたり、歯が生えていたりした者が死ぬと墓から出て人を襲う。
と、大分気持ちの悪い感じです。
一説には、当時のヨーロッパでは土葬だったので、死体が腐敗し赤く膨れ挙がり内部でガスが溜まって動く様子から伝説が生まれた、とも言われています。
変死者が出ると、壁に穴を開けて足から先に遺体を外に出します。
死体が墓から戻ってこられないようにするためです。
また、人々の恐怖が頂点に達すると、村の嫌われ者(だいたい余所者)に家に村人が押し寄せ火を付けたりすることもあったため、古臭い因習だ、と笑い飛ばせない危険な側面がありました。
ジェキに赴任したばかりの役人・ゲスラーは因習どころかキリストの神さえ信じていない無神論者ですが、相次ぐ変死者を前に、ついに、墓を暴いて死体の首を切る、という決断を迫られます。
国と民の断絶
本書の舞台はポーランドの独立を目指したクラクフ蜂起の前年で、この歴史的背景も物語の重要な要素です。
ジェキの領主クワルスキはポーランド独立の夢をあきらめきれないでいる老人です。
彼にはポーランド人という自負があり、周囲もそうあるべきだと信じ込んでます。
しかし、最貧の地で農奴あがりの百姓たちには国や自分が何人なのかなど関係ないのです。
本書に登場する最も知的な人物は、役人のゲスラーでも、詩人で領主のクワルスキでもなく、ゲスラーの下男・マンチェクの父親です。
なんの教育も受けず、密漁と百姓で生計を立てる彼の言葉は、驚くほど物事の核心をついています。
ー旦那衆は旦那衆で、百姓は百姓だこっつぁ。教えてくれさ。旦那衆が国を旦那衆のものにするのに、なんで百姓が死んだり手足もがれたりしんばんがぁて。割に合わんねかの。俺が何考えているか言おうかの。余所者、っちゃ損得が自分らと違うもんのこんだ。だっきゃ誰が一番余所者だの。お前様だろうがの。余所者がさんざんっぱら只働きさせて、挙句に兵隊にして、他人から国をぶん捕るすけ死ね言うかの。そら人の血吸って肥るのと一緒らの」
ここに克明に浮かび上がるのは、国や民族という実態の無い容れ物と、土地に根差して生きる人々との間の残酷なまでの断絶です。
独立や革命といった高邁なスローガンを金持ちが叫ぶ下で、実際に武器をもたされて戦って死ねと言われるのは名も無き貧しい民なのです。
誰のための独立なのか革命なのか置き去りにされたまま。
民族や国家というスローガンは、人の血を吸って肥え太り、そのくせ実態の無い、まさに
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『インドラネット』桐野夏生 | 【感想・ネタバレなし】卑小さを突き詰めた人間の切なさと東南アジアの深い闇が融合する現代の黙示録
政情不安が日常に根付くカンボジアを舞台に、コンプレックスの塊のような卑小な男が、人生のたった一つの光を切ないほど追い求めた成れの果てを見せられました。
異国情緒豊かな描写、濃ゆい登場人物、振り回される情けない主人公、どろどろの話なのに、何故か神話の世界を垣間見るような神々しさが文章にあります。
読後、無性に切なくて胸をかきむしりたくなりました。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
おすすめポイント
東南アジアの風景の描写がリアルで旅をしているような気分が味わえます。
主人公の情けない性格に苛立つ感情が、次第にどうしようもない切なさへと変っていきます。
カンボジアの政情が物語の根底にあり、少し勉強になります。
情けない主人公への苛立ち
この小説を読み通す際にまず立ち向かわなくてはいけないのが、”主人公にイライラさせられる”という点です。
非正規雇用・低賃金で仕事にやる気がない、まではギリギリ許せるのですが(よくあることなので)、女性への差別的言動(「ほとんどの女は、ものごとを大局的に見る能力に欠けている」、「50歳以上の女は、おばさんがおばあさんとしか思えない」等の思考)、どうしようもなく愚鈍でだらしのない性格、なんでこんな奴が主人公なんだ、とちょっと苦痛にさえなります。
高校生時代の親友でカリスマの空知を探しに、カンボジアに旅立つ際も、捜索援助として100万円近い金額を受け取っているのにも関わらず、パスポートを取ったり、チケットを手配したりが面倒で二週間もゲームをしてダラダラ過ごした挙句、援助金を出している三輪という男に恫喝され(そりゃそうだ)、縮み上がってやっと日本を飛び出します。ふう……。
しかし、彼の愚鈍さは留まることを知らず、多額の現金(30万円!)が入った荷物を東南アジアの安宿に置きっぱなしにし(当然盗まれ)、知り合った女性を憶測で犯人扱いするも論破され、現地で成功している事業者・木村の邸宅に拾われるも、そこでまたもや無為にダラダラ過ごし(なんでや!)、体よくパスポートを奪われてしまいます(!)。
もうなんかやることなすことアホ過ぎて、なんでこんな奴が主人公なんや!(2回目!
)、と呆れてしまいます。
というか読者だけでなく、登場人物全員から呆れられています。
誰かの影として生きる切なさ
そんな情けない主人公にイライラさせられながら、最後まで読み通してしまったのは、コンプレックスと劣等感の塊のような彼が、切ないほど親友の空知に恋焦がれているからです。
もしかすると、自分は、空知のネガティブな夢に出てくる小人物で、八目晃という人間は、現実には存在しないのではないかと。
自分は、空知の夢、もしくは影だという彼は、自分の主体であり光である空知を神格化し、崇拝し、それ故に彼の姉妹にも(勝手に)偶像性を求めます。
しかし、いまだ政情不安が尾を引くカンボジアで彼が見たものは、誰もが誰かの影として生きるしかない、いや、人間は誰かの光や影などにはなれない、という彼にとっては悲劇的現実でした。
それでも、どんな厳しい現実を突きつけられても、彼は空知の影であることを全うしようとします。
そこには、誰かの影として生きるしかない人間の切なさがあります。
主人公は、確かに怠惰で鈍感で卑小ですが、卑小さをひたすら愚直に貫くが故に、そこにはある種の聖性が宿ります。
卑小な主人公への苛立ちは、やがて卑小な”人間という生き物”への切なさと憐みへと姿を変え、読者はそこに東南アジアの混沌に君臨する神々の巨視的な眼差しを見ることができるのです。
現代の黙示録といってふさわしい作品でした。