『家守綺譚』梨木香歩 | 【感想・ネタバレなし】友よ、また会おう
読んだ後に心洗われるような心地がする話というのがあって、中勘助の『島守』なんかがそうなのですが、この『家守綺譚』はそれにとても近いと感じました。
時代は明治、巻頭には
左は、綿貫征四郎の著述せしもの
とあり、湖で亡くなった友の実家の管理を任されることとなった”私”こと、書生の綿貫の徒然なる日記のような形式の文章となっています。
”湖”とあるように舞台が滋賀県なので、滋賀に(細々と)地縁を持つ私には嬉しい話でした。
滋賀にお住いの方は、一層楽しめると思います。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
四季折々の風に紛れてやって来るのは、犬、狸、サルスベリ、カラスウリ、長虫屋、果ては小鬼に河童や友の亡霊まで。
これは、亡き友の家守・綿貫征四郎の徒然なる記録。
おすすめポイント
滋賀県が舞台なので、地縁のある方は一層楽しめると思います。
心洗われるような話、癒される話が読みたい方におすすめです。
旧きもの残る時代に
各章には、それぞれの季節の動植物の名前が冠されているのですが、「木槿」の章に、
先年、土耳古帝国からの死者を乗せたフリゲート艦、エルトゥールル号が帰国途中、和歌山沖で台風に遭い、船員650名中587名が溺死するという惨事が起こった。
とあります。
エルトゥールル号の事件が1890年(明治23年)の出来事だそうなので、この年は1891年(明治24年)ということになります。
また、文章中に幾度も効果的に登場する琵琶湖疎水の開通も、1890年(明治23年)4月の出来事です。
また、同年8月は、中央気象台官制(明治23年8月4日勅令第156号)制定が為されているのですが、これを踏まえてみると、隣家のおかみさんの、
ー(略)この間の日照りの時も、気象学者なんていうのがしゃしゃり出て、気圧がどうたらこうたら云って、当分の間雨の降ることは絶対にない、一刻も早くダムをつくれとか云って、土地の神主が、その龍の祠に行って雨乞いの祈願をしたら、あっと言う間に黒雲が湧いて雨が降ってきたじゃないですか。学者なんてそんなもんですよ。土地の気脈とうものがまるで分っていない。
という言葉もフムと頷けるものがあります。
くさぐさのものども
文明の明るすぎる光と旧きものの理がせめぎ合う時代、と思うと、琵琶湖という巨大な古き湖は旧き者ものそのものであり、そこにつくられた疎水という人工の川というのは、如何にも象徴的です。
ーええ、そう、そういう土地柄なのですね。
”私”こと主人公の親友だった高堂はまさにその湖で行方不明となったのですが、ある風雨の晩、掛け軸のなかから、ふと姿を現します。
ーどうした高堂。
私は思わず声をかけた。
ー逝ってしまったのではなかったのか。
ーなに、雨に紛れて漕いできたのだ。
高堂は、こともなげに云う。
ー会いに来てくれたんだな。
”そういう土地柄”故に、主人公が住む家には、うつつもののから夢のようなものまで、亡き友の亡霊をはじめ、四季折々のくさぐさが交錯します。
事情通の隣家のおかみさん、飼い犬のゴロー、狸にカワウソ、”私”に懸想する庭のサルスベリ、カワウソの係累だという長虫屋、桜鬼、湖の姫神・浅井姫尊に挨拶に来た秋の女神・竜田姫の侍女の化身である鮎、などなど。
胸突かれる想い
本書で描かれている事象は、既に文明化された人間である読者の視点では摩訶不思議で理解不可能ですが、おかみさんをはじめとする土地の人間にとって、河童や人を騙すカワウソは、ごく平然と普段の生活の地続きにあるものです。
そして、新参者である”私”もいちいちびっくりしながらも、起こったことを起こったことのまま素直に受け入けいれることのできる稀有な精神の持ち主として描かれています。
おそらく、本書で描かれているように、科学という無粋な色眼鏡をかける前は、私たちももっと素朴で豊かな世界に生きていたのでしょう。
そこでは、何か私たちの忘れかけている言葉にできない、優しさやいたわりとしか言いようのないものが満ち溢れています。
湖の底の浄土に住まう人々のにっこりとした安堵の微笑みや、狸が化けた姿と分かっていても、背中をさすってやった”私”の慈悲の心や、お礼にと置かれた松茸を前にしたときの胸を突かれるような気持ち。
私はなんだか胸を突かれたようだった。回復したばかりのよろよろした足取りで、律儀に松茸を集めてきたのか。何をそんなことを気にせずともいいのだ。何度でもさすってやる。何度でも称えてやる。
そして、湖の姫神・浅井姫のために奔走する高堂の語られない想い。
ー浅井姫尊とは何ものか。
ーこの湖水をおさめていらっしゃる姫神だ。
ー親しいのか。
私の質問に変な熱が加わっていたのか、高堂はそっぽを向いた。
ーお見かけしたことはある。が、住む世界が違う方なので親しいといわけではない。
そして何より、”私”が家守をしてまでその姿を待ち続ける亡き親友・高堂への想い。
……こは彼の君在りし日のゑすがた。
ながめいるはては彼の君ゆるぎ寄るかとぞ思ふ。
姿が見えたとしても、もう生きては帰らない、しかしうつつと夢の混ざり合う湖のほとりのこの土地で、友よ、また会おう。
切ないような、優しいような、泣きたくなるような、一つの森を抜けたあとのような心洗われる気持ちにしばし浸る美しい読書の時間でした。
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スピンオフ
『家守綺譚』『冬虫夏草』の主人公・綿貫の友人でトルコ留学中の村田くんが主人公のお話です。
『僕と『彼女』の首なし死体』白石かおる | 【感想・ネタバレなし】冬の朝、僕は”彼女”の首を渋谷に置き去りにした。”彼女”の願いを叶えるために。
今日読んだのは、白石かおる『僕と『彼女』の首なし死体』です。
第29回横溝正史ミステリ大賞優秀賞受賞作(2008年)です。
商社勤めのサラリーマンの”僕”が、女性の首を渋谷のハチ公前に置き去りにする、という衝撃的なシーンからはじまるミステリです。
”今”を切り取ったドライな語り口や、つかみどころのない”僕”の性格、乾いた哀しみが吹き抜ける真相など、好きな人はとことんハマる世界観だな、と思いました。
ちなみに当時の大賞受賞作は、大門剛明『ディオニス死すべし』(刊行にあたり『雪冤』と改題)だったそうです。こちらもそのうち読んでみたい。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
衝撃的なシーンで幕を開ける新感覚ミステリ。
おすすめポイント
ドライでちょっと変わった主人公が語るミステリを読みたい方におすすめです。
あまり重い内容ではなく気軽に楽しめるエンタメをおもとめの方におすすめです。
北村薫のイチオシ
当時の選考委員は、以下の4名。
・綾辻行人
・北村薫
・馳星周
当時の選評を読むと、北村薫が特に本書を推してる様子が伺えます(反対に坂東眞砂子は結構酷評しています)。
「僕と『彼女』の首なし死体」を推した。
新人として大切なものは、個性だろう。それが最もよく出ていた。主人公を動かしているのは、月並みな恋情ではない。彼という人間の、あり方そのものである。こういう性格の人物を主役に据えたところで、まず大きな得点を確保した。ミステリや小説の常識に挑戦しているところがあり、そこを買った。(選評より)
”僕”というミステリ
”僕”こと主人公・白石かおるは、天下の四菱商事(この安易なネーミングもあまりにシレっとしていて逆に笑えます)のサラリーマンですが、ある冬の早朝、自宅で切り落とした”彼女”の首を渋谷のハチ公まえに置き去りにします。
それは、ある”目的”のためでしたが、それ以降、自宅に脅迫電話がかかってきたり、何者かが自宅の冷凍庫に保管している”彼女”の胴体から指を切り落としていったり、折り悪く自身が東京を襲い停電に悩まされたり、波乱万丈で、なかなか”目的”を果たすことができません。
そもそも、本書は首を切り落とした張本人である”僕”の一人称で語られるのに、首を切り落とした”目的”も、”彼女”を殺した犯人も、そもそも”彼女”とは何者なのかも、一切読者に語られないどころか、主人公が何を考えて行動しているのか全く読めないのです(一人称なのに!)。
予想できない主人公の行動に、???が脳内を飛びかっているところに、しびれをきらしたかのように、突然、”僕”が読者に呼びかけてきます。
ーなんだ。いったい、僕をなんだと思っている? ここまで読んでもわからなかったのかい?
そんなこと言われても、わかんないよ……。
学生時代からの親友で同僚の野田が、”僕”を評して曰く、
「室長。ー俺ともあろうものが、なんでこいつと、よりにもよってこいつなんかと、なんでいつもくっついているのかと言いますとね」
野田は、なにか辛いことでもあるのか、あきらめたように首を振っていた。
「こいつが、こういう人間だからなんですよ」
本書をミステリかと問われると紛れもなくミステリなのですが、既存のミステリの枠組みにあてはめようとすると、どうもうまくあてはまりません。
”僕”が積極的に探偵をするわけでもなく、アクロバティックなトリックがあるわけでもなく、犯人あてかというとそれも微妙に違う……。
ミステリが”謎”と”謎解き”を魅せるエンタメなのだとしたら、本書の”謎”は、”僕”の存在そのものと言えます。
”僕”の行動の一つ一つは、読者にとっても他の登場人物にとっても、予測不可能で、なぜ彼がそうしたのか、ちゃんと”僕”の口から語られるのに、それでも全く理解できなくて混乱して、でも、”彼女”の首を切り落としたその理由を明かされたとき、確かに胸を突かれる”何か”があります。
切ないような、哀しいような、愛おしいような。
主人公を動かしたのは、恋情や復讐心ではなく、本当に単純な(それでも理解不能な)理由なのに……。
もはや、”僕”そのものがミステリです。
一筋縄ではいかない主人公を探している方には、是非読んでほしいです。
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『硝子のハンマー』貴志祐介 | 【感想・ネタバレなし】自称:防犯コンサルタント(本当は泥棒?)が挑む驚愕の密室トリック、防犯探偵榎本シリーズ第1作
自称:防犯コンサルタントで本職は泥棒?な榎本が密室に挑む榎本探偵シリーズの第1作目です。
泥棒が密室に挑むという斬新な設定も面白いですし、鍵や監視カメラに関する豊富なミニ知識も、へえ~、と感心されられっぱなしでした。
探偵役・榎本の食えないキャラクターもカッコいいですし、弁護士の青砥先生の熱血さもワトソン役として好感が持てます。
もちろん、アクロバティックなトリックにも、あっと言わされました。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
社長室に至るエレベーターには暗証番号、廊下には監視カメラ、窓は銃弾にも耐える強化ガラス。
続き扉の隣室で仮眠をとっていた専務が逮捕されるが、新米弁護士・青砥純子は専務犯人説に疑問を覚え、防犯コンサルタントを名乗る榎本径に調査を依頼する。
しかし、榎本は防犯の専門家というより、本職の泥棒のようにも思えて......。
鉄壁の密室に、侵入の専門家が挑む。
おすすめポイント
・細かい動機などはさておき、とにかくアクロバティックなトリックに驚かされたい方におすすめです。
・密室ものが好きな方におすすめです。
・鍵、ガラス、監視カメラなど防犯に関する雑学が豊富に盛り込まれているので、色々と勉強になります。
密室は難しい
素人ファンの考えですが、”密室”は魅力的なネタですが、新たに楽しめるものは困難では?と思っています。
こういう風にすれば、密室の状態でも人が殺せる、という密室のトリック自体を楽しめていたうちは良かったのですが、こう技は出尽くした今では、純粋に、「それはそうとして、なんでそんな面倒くさい真似をしてまで現場を密室にする必要が?」という疑問が出てきてしまうからです。
トリックを強固にすればするほど、バレたとき犯人もすぐ分かってしまうので、犯人側の利点がほとんどないんですよね。
誰でもその部屋に入れたけど、犯人を絞り込む決定的な決め手がない、というのが、一番面倒な状況だと思います。
でも、それでは密室ではなくなってしまいますよね。
なので、最近の作品は、別に意図したわけではないけれど、自然と密室になってしまった、というパターンが多い気がします。
自殺だったのを隠そうとして第1発見者が部屋に細工した結果、密室状態になってしまったり、たまたま雪が降ってきたせいで状況的に密室になってしまったり。
それはそれで面白いのですが、人が意図的につくりあげた強固な密室に、探偵ががっぷり取り組む古典的なスタイルは、ロマンに溢れていてやはり捨てがたく思います。
本書、『硝子のハンマー』はそんな愛すべき、古き良き”密室”の系統を受け着いた作品と言えます。
廊下には監視カメラ、エレベーターは暗証番号付き、ビル入り口には警備員、ネズミも潜り込めなさそうな”密室”で撲殺されていた介護サービス会社社長。
平成16年(2004)年の作品としては斬新にも犯人候補として新規開発中の介護ロボットが登場します。
(介護ロボットに世話をされるというのは、人情的にどうなのか?みたいな、今では到底理解しがたい議論も展開されていて、時代を感じます。)
この強固な密室のなかで、犯人は、如何に密室をつくりあげ、脱出したか。
泥棒と弁護士
これに挑むのは、自称:防犯コンサルタントの榎本径と新米弁護士・青砥純子のコンビです。
地味な外見ながら、シレっとした老獪な榎本と、有能ながらやる気が空回り気味の青砥先生のコンビはバランスが良く、このシリーズが後にドラマ化したのもうなずけます。
ただ、本書では、空回り気味ながら強い信念を持ち弁護士という職業にかけていた青砥先生が、続くシリーズでは頓珍漢な推理を披露し榎本や周囲の人間(時には犯人さえ!)を呆れさせるコメディリリーフ的なキャラになってしまったのはちょっと残念です。
でも、コミカルなキャラクターのほうが好きな方には、そっちのほうが面白いかもしれません。
遺族の応報感情、罪と罰
本書では、犯罪の加害者に課される罰と被害者遺族の応報感情との相克について深く言及されています。
本書が執筆された2000年代は、少年犯罪の厳罰化を望む世論が高まり、少年法改正の契機となった時期でもありました。
特に若年者の犯罪については、更生の機会を与えるため刑罰が軽くなる傾向があり、それが復讐を望む遺族の感情と衝突することがあります。
「若者というのは、いつの時代でも、どうしようもない矛盾の塊よ。社会を変革できるほど爆発的なエネルギーを持っているのに、ひどく傷つきやすくて、大人なら耐えられるくらいの、ちょっとしたことで壊れてしまう。……まるで、ガラス細工の凶器みたいに」
「そうかもしれません。しかし、問題は、ガラスのハンマーであっても、人は撲殺できることです」
人を傷つけ、同時に自身も砕けちってしまう硝子のハンマーである若者、彼らの背負う罪と罰、そしてその行為に追い立てていった社会の構造そのものについて、しばし思いを馳せずにはおられない台詞です。
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他の”密室もの”のおすすめ作品はこちら
『エチュード春一番 第二曲 三日月のボレロ』荻原規子 | 【感想・ネタバレなし】思いやりと知性の在り方に思いをはせる夏。シリーズ第2巻。
今日読んだのは、荻原規子『エチュード春一番 第二曲 三日月のボレロ』です。
八百万の神の一柱を名乗る白黒のパピヨン・”モノクロ”と同居する女子大生・美綾の生活を描いたファンタジーシリーズの第2巻です。
1巻の感想はこちら↓
1巻では不安と期待に揺れる大学生活の春が描かれましたが、本書では季節は夏に移り、美綾は夏休み、祖母の家でモヤモヤしたままの自身の進路についてあれこれ考えます。
また、従弟の家庭教師(美女!)や美綾のストーカー?などまた変な人々に翻弄され、目が離せない一冊でした。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
弓月に招かれた夜の神社で、美綾は光る蛇神の姿を目撃する。
弓月は美綾を”能力者”と思い込み、同じく能力者だという飛葉周と引き合わせるが、その後、飛葉は美綾に付きまとうようになり……。
おすすめポイント
爽やかな読後感の青春ファンタジーをお求めの方におすすめです。
日本神話に興味のある方におすすめです。
動物に対する態度と思いやりと知性について
1巻に引き続き、モノクロの人間を観察する独特の視点が興味深いです。
特に、本書ではモノクロという”犬”に対してどういった対応をするのか、キャラクターごとに書き分けられているのが印象的でした。
例えば、主人公・美綾の祖母・春海は、少し距離をおいた客観的な態度をとろうとします。
「あんまりかわいらしいから、見てあきれるよ。徹底して人間にかわいがられる容姿に改良された犬だね」
しかし、しつけや毛の掃除についてうるさく言いながら、ちょこちょこ様子を見ていたりと、適度に距離をあけつつ生き物として気にかける様子が伺えます。
モノクロも春海の態度を「結構、親切」と評しています。
美綾の従妹・佳奈はとにかく猫かわいがりするタイプです。
「かわいいかわいい超かわいい。佳奈もこんなのが欲しい」
初対面で撫で繰りまわしてしまい当の動物には嫌われがちなのがちょっとかわいそうですね。
「こんなのが欲しい」とペットをあくまでモノとして捉えているあたりどうかとも思いますが、愛玩犬を可愛がる態度としては間違っていないのかもしれません。
そして、モノクロに、「おぬしの友人は、たいそう頭がいいな」と言わしめた美綾の友人・愛里は白眉といっていいかもしれません。
匂いをかがせ、敵じゃないよ、と話しかけはするけれど、佳奈のように無闇に構いつけたりもしません。
「この子も美綾の家の住人でしょ。後から押しかけたほうが相手を立てないと」
こういった行動が自然にとれる人間は意外と少ないんじゃないかな、と思います。
「いや、自分とまったく異なる相手の立場でものを考えるのは、よほど高い知能を持たないとできないことだ。それを行動の基準にして、的外れでない行動に収めるのはさらに至難の業だ。愛里というおなごややすやすとそうしている」
(略)
「人間でも発達していない個体が多いに違いない」
耳の痛い言葉です。
美綾は愛里のそういった性質は、思いやり、優しさと捉えます。。
私自身の動物に対する態度としては、祖母・春海の態度が一番近いかな、と思いました。
どうしても、ペットを”人間に生殺与奪を握られた生き物”として捉えてしまい、ちょっと距離をあけて接してしまいます。
「ペットは家族」と言われると、それくらい大切ってことだよね、と納得しつつもどこかで、「金で買ってきたり、持ち主の好き勝手にできる生き物が家族とは何ぞや?」と腹の奥底で考えていたりします。ひねくれてるんですね。
目の離せない登場人物
物語としては、未だ自身の適正や能力を見定められない美綾のモヤモヤした日々に、モノクロの気配を纏った美綾を”能力者”と認識した、地元の氷川神社の娘・弓月と弓月の知り合いで”視える”と自称する謎の男・飛葉という怪しい男女が介入してくる、ちょっぴりスリリングな巻となります。
特に、飛葉は美綾の所属するサークルの小旅行に突如現れたり、自宅近くの公園に出没したり、ほぼストーカーです。
しかも、終盤では読者も驚く暴挙に出たり、ラストでは美綾に急接近したり、今後も目の離せない人物になりそうです。
次刊は、平将門の時代にタイムスリップする、という一層、現実離れしたストーリーのなるようで、今から楽しみです。
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『エチュード春一番 第一曲 小犬のプレリュード』荻原規子 | 【感想・ネタバレなし】春、八百万の神を名乗る犬と出会った。不安と期待に揺れる新生活と幼い日々のほろ苦い後悔が交錯するちょっと不思議なファンタジー
今日読んだのは、荻原規子『エチュード春一番 第一曲 小犬のプレリュード』です。
今作は、八百万の神と名乗る犬(!?)と同居することになった女子大生という設定で、神との同居という非日常と大学生の生活という日常の描写、両方を楽しめると期待が膨らみます。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
おすすめポイント
・大人も楽しめるファンタジーを読みたい方におすすめです。
・ちょっと不思議な青春小説を読みたい方におすすめです。
八百万の神を名乗るパピヨン
主人公の美綾は、この春、大学に合格したばかりの新入生です。
両親と弟は転勤でイギリスに居を移したため、実家には一人暮らし。
慣れない一人暮らしにもたついているとき、家に白黒のパピヨンが迷い込んできます。
モノクロと名付けたパピヨンを仕方なく面倒を見る美綾ですが、なんと犬が突然しゃべりかけてくるという事態に遭遇します。
八百万の神を名乗るパピヨンは、もう一度人間になるため、美綾にひっついて人間の感覚を学びたいと言いだします。
最初は、幻聴かと疑う美綾ですが、なんだかんだとこの奇妙な犬(神様)との同居を受け入れていきます。
一方、大学は、どのサークルに入るか悩んだり、再会した元同級生が意外にもイケメンになっていたことにドギマギしたり、母親に逆らって選んだ進路が正しかったか悩んだり、ごく普通の学生生活が展開します。
ごく普通の大学生である美綾が、しゃべる犬という非日常的存在を受け入れていく心理の流れが違和感なくさらっと描かれていて気持ちがいいです。
人間が真に怖れているもの
そんな波乱万丈な美綾の生活に、ある騒動がもちあがります。
大学で再会した小学校の時の元クラスメイトが、元同級生(イケメン)に幽霊が取り憑いているという言うのです。
しかもその幽霊は、美綾をいじめていた元いじめっ子で、15歳のときにバイク事故で亡くなった子でした。
普段の精神状態であれば、怪しいと思ってしまう話ですが、慣れない生活に心が揺れている美綾は、この話を真に受けてしまいます。
仮にも神を名乗るのだから、とパピヨンに相談しますが、人間の言う幽霊が何を指すのはよくわからん、という何とも頼りないもの。
ここの幽霊に関する神様の考察がなかなかはっとさせられます。
幽霊は怖い、あってはならない存在、という美綾に、
「あってはならないから怖いのではないだろう。あってほしいから作られた話だ。おぬしたち人間が、考えるのを避けたいほど怖いのは、他人の身勝手でどんなに悲惨な死に方をしようと、それっきり生命が終わる事実だ。報われないと考えるのは、当人でなく生き残った者の思念だな。だから、幽霊が報復することになる」
考えるのを避けたいほど怖れていること……。
なかなか含蓄の深い言葉です。
ほろ苦く幼い日々への懐古
そして、美綾は、15歳で死んでしまった男の子、自分をいじめていた香住くんの幽霊と向き合うことで否応なく、過去の自分の罪悪感を思い出すことになります。
なぜ、香住くんを忘れられなかったのか。
なぜ、いじめられても嫌い抜くことができなかったのか。
1人の人間のことを、良い悪い、好き嫌いではっきり区別できれば、どんなに楽だろうと思いますが、安易に人に関わり、傲慢にもその人を変えられると思い込んだばかりに、しっぺ返しを食らった経験が、誰しも一度はあるのではないでしょうか。
本書は、そんな幼い時期のほろ苦い後悔を成仏させるためのささやかな記録なのかもしれません。
過去を振り返った後には、未来が待っています。
母親に逆らい、迷いながらも選んだ美綾の進路がどうなっていくか、次刊を読むのが楽しみです。
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『草原のコック・オー・ヴァン 高原カフェ日誌II 』柴田よしき | 【感想・ネタバレなし】高原のカフェの秋と冬。一筋縄ではいかない人生にもやがて春が来る
今日読んだのは、柴田よしき『草原のコック・オー・ヴァン 高原カフェ日誌II』です。
こちらは、高原のカフェを舞台としたシリーズものの2作目にあたります。
1作目の感想はこちら
結婚に失敗し傷を負った主人公・奈穂は、東京から脱出し、リゾートブーム過ぎ去りし過疎の気配漂う百合が原高原に小さなカフェ「Son de vent」をオープンします。
自分のペースで少しずつ傷を癒していく奈穂と、彼女を取り巻く人々、美味しそうな料理と、ちょっぴりほろ苦い人生模様が交錯する、美味しい物語です。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
村役場の職員・村岡涼介との恋の行方、友人となったひよこ牧場の南に支えられ取り組む大仕事、そして、村への新たな移住者が巻き起こす波乱の予感。
覚悟が試される冬を超え、春に至るまでの軌跡を描くシリーズ2作目。
おすすめポイント
・美味しそうな食べ物が出てくる小説が好きな方におすすめです。
・1作目の雰囲気を踏襲しつつ、少し踏み込んだ内容になっています。
田舎の煩わしさと優しさ
前作が、傷を負った主人公が居場所を求める物語なら、今作は、その場所に居続ける覚悟を問われる物語、といえるかもしれません。
本書で波乱を巻き起こす新たな登場人物・森野大地は、人気ロックバンドの元ギタリストで、百合が原高原にはワイナリーを開業する目的で移住してきます。
しかし、元芸能人という経歴や、過去のスキャンダルから、村人からは一定の距離を置いて生活しており、地元民の森野を見る視線も冷ややかです。
同じ東京からの移住者としてほっておけない奈穂は、何かと森野を気にかけ地元民との架け橋となれるよう気を遣います。
このあたりの、都会と田舎の人間関係の違いは、ため息をつきたくなるほどリアルだな、と思います(現実はもっともっと陰湿ですが)。
「(略)何かにつけて細かく詮索されて、毎日噂話ばかりで、憶測だけで平然と中傷する。それで村の人たちは良心が痛んだりしないのよ。なぜなら、それが日常だから。(略)」
それでも、と奈穂は言います。
「それは、村の人たちが人間に関心を持っていることのあらわれなの。関心があるから、興味があるから詮索する。(略)」
田舎の暮らし、特に舞台となる百合が原高原のような豪雪地域では、都会のような自分と仕事だけの世界で完結し、隣人との関りは最低限という生活スタイルは困難なのです。
どんなに鬱陶しくても、煩わしくても、助け合わなくては生活していけない。
しかし裏を返せば、弱ったり助けが要るときには、誰かが手を差し伸べてくれる社会である、ということです。
「俺はまだ、甘えていたんですね」
森野がやっと、そう言った。
「あなたの言う通りだ。いずれ俺一人ではどうにもならない時が来る。ワインだけ造っていればいい、村の人たちとは最低限のかかわりにしたいなんて、戯言でした。(略)」
そこで生きる覚悟
そして、奈穂自身も、自らの立ち位置への覚悟を試されるときがやって来ます。
ー預金残高がここまで減ったら潔く撤退
カフェをオープンするときに決めたことデッドライン。
これは意地悪な見方をすれば、いつでも東京に戻ることができる、というラインでもあるわけです。
しかし、村役場の職員・村岡涼介との結婚話や、森野との関係のなかで、奈穂は徐々に、ここ(百合が原高原)で何をしても生きていく覚悟、を固めていきます。
この覚悟こそ、ひよこ牧場の南にあって、奈穂に無かったものと、言えるかもしれません。
しかし、引っ越し続きで地元と呼べる場所の無い私としては、百合が原高原のような人間関係の濃い場所で暮せる気が全くしません。
こういう場所はどんどん希少になっていくのかもしれませんね。
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1作目はこちら
『揺籠のアディポクル』市川憂人 | 【感想・ネタバレなし】『ジェリーフィッシュは凍らない』作者が放つウイルスが蔓延する世界での切ないボーイミーツガールミステリ
今日読んだのは、市川憂人『揺籠のアディポクル』です。
デビュー作『ジェリーフィッシュは凍らない』から続くマリア&漣シリーズは、その怜悧かつ精緻なトリックと個性豊かかつ的確なキャラクター描写で、大好きなミステリシリーズの一つなのですが、シリーズものが強いだけに、ノンシリーズの出来はどうなの??、と失礼ながらちょっとドキドキしながら手に取りました。
面白かったです!
完全に孤立した無菌病棟という舞台、未知の病気で収容されている少年少女、コロナ禍の今読むにふさわしい舞台設定に、ヒタヒタと迫るような恐怖や焦燥感、切ない余韻を残す真相、本格ミステリはこれだから面白い!と嬉しくなるような一冊でした。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
- あらすじ
- おすすめポイント
- そして誰もいなくなった?
- 無垢な少年少女という”要素”
- 結末の美しさ
- 今回ご紹介した本はこちら
- 市川憂人の他のおすすめ作品
- 本格ミステリのおすすめ作品
- 青春小説×ミステリのおすすめ作品
あらすじ
ウイルスも入り込むことのできない完全独立無菌病棟、通称『クレイドル』の二人だけの収容患者、タケルと隻腕の少女・コノハ。
医師の柳と看護師の若林に見守られる穏やかな日々は、大嵐の日、飛来した貯水槽が渡り廊下を寸断したことで破られる。
目覚めたタケルを待っていたのは、血塗れのメスと胸を刺されたコノハの死体。
二人だけしかいないはずの病棟で、一体だれが彼女を殺したのか。
おすすめポイント
・本格ミステリが好きな方には絶対におすすめです。
・切ないボーイミーツガールが好きな方にもおすすめです。
・未知のウイルスが重要なキーワードになるので、コロナ禍の今読むと違った新鮮さが味わえます。
そして誰もいなくなった?
著者のデビュー作『ジェリーフィッシュは凍らない』は、21世紀の『そして誰もいなくなった』との呼び声の高い作品なのですが、本書も『そして誰もいなくなった』への新たな挑戦状と言えるかもしれません。
何しろ、本格ミステリでいうところのクローズドサークルにあたる無菌病棟『クレイドル』に閉じ込められる登場人物はたった二人!
しかも、そのうちの1人である少女・コノハは物語のはじめに死体となって発見されてしまうので、残る1人は主人公であるタケルのみ。
これでは、テンプレの「殺人犯となんていられるか! 俺は部屋に帰る!」的な行動も取れませんね。
他の登場人物は、病気である2人の診察をしていた医師の柳と看護師の若林の2人ですが、嵐の夜、飛ばされた貯水槽が渡り廊下を分断したせいで、『クレイドル』は完全に独立してしまいます。
クローズドサークルもののミステリとしては、あまりにも登場人物が少なく、長編ミステリとして成立するのか?、と、序盤は色々な意味で心配しながら読み進めました。
しかし、これがびっくりするくらいドキドキハラハラで、次から次へと発覚する新事実にページをめくる手がとまりませんでした。本当に。
しかも、変化球的な設定のくせに、本当に王道の本格ミステリで、”ミステリ”という言葉だけで、ソワッとしてしまうミステリマニアには垂涎ものだろうな、と思いました。
無垢な少年少女という”要素”
マリア&漣シリーズでも常々感じているのですが、この著者の文章は、心地よい冷たさというか、難しい話もスルスル頭に入ってきてしまう分かりやすさと、無駄のないスッキリとした文体が上手に同居していて、何だか自分まで頭が良くなったような気分になります(なるだけ)。
ともすると、未分化の少年少女の淡い感情の表現とは相性が悪そうにも思えるのですが、むしろ、煩雑な描写が省かれている分、主人公ら二人のお互へ向ける感情の変遷がリアルに感じられます。
また、驚くべきことに、主人公らが無垢な(未だ性欲と切り離されたかのような)少年と少女である点も、このミステリを成立させる重要なキーワードとなります。
登場人物のキャラクター性が、”ボーイミーツガールという物語の骨子”と”本格ミステリの要素”とを同時に担っている点は、本格ミステリを”物語”のなかで語るうえで、非常に評価が高いのでは、と思いました。
結末の美しさ
ネタバレはしたくないので、つらつらは書きませんが、無垢なる少年と少女が至った美しくも切ない結末を是非堪能してほしいと思います。
しかし、この著者は風呂敷の広げ方も上手ければ、たたみ方もクレバーな印象で、種明かしから結末までの流れも、くだくだしいことは書かず、さっとたたんでしまう潔さが、個人的にとても好みです。
あと、仕掛けるトリックや物語の構成から受ける怜悧な印象と、其処此処の表現から垣間見える意外にロマンチックな一面とのギャップも好印象です。
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