『デス・コレクターズ』ジャック・カーリイ | 【感想・ネタバレなし】カーソン・ライダーシリーズ第2作。人間の底知れない欲望が招くおぞましい真相とは
今日読んだのは、ジャック・カーリイ『デス・コレクターズ』です。
シリアルキラーを兄に持つ若き刑事・カーソン・ライダーの活躍を描いたシリーズ2作目です。
海外刑事ドラマを見ているかのような映像を感じさせる描写と、殺人鬼の兄に助言を求めに行く、というミステリ好きにはソワっとくる設定が魅力です。
30年前のある事件の真相が今になって牙を剥く、という構成が、大好きな海外ドラマ『コールド・ケース』を思わせてワクワクしました。
前作では狂気剝き出しだった兄・ジェレミーが見せるちょっと人間臭い一面も見どころです。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
異常犯罪専門の刑事、”僕”ことカーソン・ライダーは事件が、30年前殺された連続殺人鬼の遺した絵画と関係があることを突き止める。
しかし、絵画を送りつけられた者たちが、次々と疾走、殺害されていく。
カーソンは、殺人鬼ゆかり品を収集する《
おすすめポイント
・”兄弟、家族の確執”みたいな話にピンとくる方におすすめです。
・海外刑事ドラマが好きな方におすすめです。
前作からの変化
前作でガールフレンドになった病理学者・アヴァがあっさり解雇されて、新しいガールフレンド・ディーディーにすげかわったことに驚きました。
ええ~、結構アヴァ、好きだったのに……。
でも、そんな読者の声を兄・ジェレミーが代弁してくれました。
「ディーディー? ディーディーってなんだ? この雌犬は何者だ? アヴァはどこだ? 俺のかわいらしい小さなナイチンゲールは?」
しかしカーソンは女性にもてるな~と感心しました。
一歩間違うとモテて仕事できるイヤミったらしい奴なのですが、ハリーという穏健で思慮深い相棒がいるおかげイヤミさが緩和されている、と思います。
殺人鬼の兄・ジェレミー
また、前作では狂気剝き出しで如何にも”殺人鬼”だった兄のジェレミーは、ちらちら人間らしい一面をのぞかせます。
特にカーソンへの連絡手段である携帯を取られそうになって渋々従う場面は、ムスっとしてるところが目に浮かぶようで笑えました。
また、弟の写真を持っていなくて悲しんでいたことや、父親を殺したのは弟を守るためだったことが強調され、”理解不能な殺人鬼”、から”手に負えない衝動を持った小さな子ども”へと印象が変化しました。
続くシリーズで、カーソンとジェレミーの関係にどんな変化が訪れるか楽しみです。
《蒐集家(デス・コレクターズ)》
本書では、有名な殺人鬼にゆかりのある品々、実際に殺人に使われた凶器、血のついた衣服、などを収集するコレクターの世界が紹介されます。
実際、殺人鬼という存在はどこか人を惹きつけるものがあるようで、有名な連続殺人犯にラブレターやファンレターを送る人も現実にいるそうです。
その心理については、私自身は、健全とも不健全とも思わないのですが(バンバン人が殺される本を好んで読み漁ってるし……)、本書のなかでは、はっきり不健全なものとして言及されています。
主人公のカーソンや相棒のハリーは、おぞましい品々を求め、飾り、自慢するコレクターらを、〈死〉を集めるコレクター、と嫌悪します。
人が何人も死んでいるのに、その〈死〉を欲望のままに、求め、飾り、消費する、自らの欲望を埋めて飽くことのないその様には、ぞっとするような人の業を感じます。
本書の一連の殺人事件は、人間の際限のない欲望から生まれたと言えるでしょう。
しかし、この業の深さは、彼らだけの特性なのか、と本書は問いかけます。
女性ジャーナリストのダンベリーは、自分こそ事件から事件に飛び回り、人の死をあさるコレクターのようだと術懐し、カーソンも刑事という職業こそ、人の死を集める《
そして、読者も、ふと身の内に住むあさましい欲望に気が付きます。
人の《死》で、あるいは不幸の蜜の味で、酒を飲み飽くことのない自分がいるのではないか。
自分は、欲望に満ちた《
という私も、下世話な噂話に目を輝かせている面が無いとは言えないので、身が縮む思いで読みました。
推理小説の出来としては、1作目のほうが緻密で良かったですが、物語の空間的な広がりや、ストーリーのダイナミックさはこちらのほうが楽しめました。
3作目も楽しみです。
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第1作目『百番目の男』
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第3作目『毒蛇の園』
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第4作目『ブラッド・ブラザー』
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第5作目『イン・ザ・ブラッド』
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第6作目『髑髏の檻』
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第7作目『キリング・ゲーム』
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『百番目の男』ジャック・カーリイ | 【感想・ネタバレなし】カーソン・ライダーシリーズ第1作。暗闇で手探りする”百番目の男”が首なし死体の謎に挑む
今日読んだのは、ジャック・カーリイ『百番目の男』です。
若き刑事カーソン・ライダーの活躍を描いたクライム・サスペンスです。
恋愛あり、アクションあり、暗い過去あり、の息も尽かせぬスピード感に、巧みな伏線と思いもよらない(でもフェアな)真犯人と、サービス精神旺盛で密度の高いエンタメ小説でした。
読んでいると映像が脳内に自然と立ち上がってきて、まるで良く練られた海外ドラマを見ているかのようにスイスイ読めてしまいました。
舞台であるメキシコ湾に面した港湾都市・アラバマ州モビールの美しい風景描写も魅力の一つです。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
同性愛者の怨恨と見る上司に、死体が”きれいすぎる”と怨恨説に疑問を持つ”僕”は、相棒のハリーと共に独自に捜査をはじめる。
しかし、第2の首なし死体が発見され、”僕”は自身の暗い秘密に向き合うことを余儀なくされる。
モビール市警《精神病理・社会病理捜査班》、通称PSITに配属された僕ことカーソン・ライダー刑事の活躍を描くクライム・サスペンス
おすすめポイント
・翻訳ものが苦手でもスイスイ読めてしまう魅力があります。
・”兄弟、家族の確執”みたいな話にピンとくる方におすすめです。
・海外の刑事ドラマが好きな方におすすめです。
舞台・アラバマ州モビール
”僕”ことカーソン・ライダーの住居は、アラバマ州モビール、ドーフィン島の母親の遺産で購入した浜辺の一軒家、とされています。
夜明けにひと泳ぎしにいったり、浜辺をジョギングしたり、と、いい生活ですね~、と思わず嘆息。
仕事前に、海で泳げる生活、いいな~。
GoogleMapでちょちょいっと調べてみると、一応、道路で大陸と繋がっているようでした。
Wikiでちょちょいっと見た情報によると、日本の種子島とほぼ同程度の緯度らしいので結構温かいのでは、と思われます。
また、港湾都市らしく、シュリンプ、クラブ、オイスターなどの海産物が名物で、また、映画『フォレスト・ガンプ』の舞台として有名な観光都市、らしいです。
開放的な南部の港町、って感じですね。
主人公、カーソン・ライダー
我らが主人公・ライダー刑事は、若く頭脳明晰で、明るくて、ちょっと熱い所もあって、でも、誰にも言えない秘密も抱えているチャーミングな人物です。
ちょっと設定盛りすぎじゃない?、と思ってしまいますが、相棒のベテラン刑事・ハリーの落ち着きと老練さが、良い感じにイヤミさを中和してくれています。
そのハリーが物語冒頭で、”僕”を評した言葉が、タイトルの「百番目の男」の男です。
「暗闇でなにか求めて手探りするか、それともあかりのなかで楽に見つけられると楽観するか。選ばせると、人は百人中、九十九人まではあかりを選ぶ」
ピーターソンがいかにも検察官らしく眉をあげてみせた。「じゃあ、百番目の男というのはどんなやつだね? つねに暗闇で手探りするのは」
ハリーはにやりとして、僕をほうを指さした。
「あいつだ」
タイトル回収が早すぎて思わず笑っちゃいました。
しかし、この後、何度も「暗がりを手探りする百番目の男」というこの言葉の意味に立ち返ることになります。
「暗がり」は、時に犯罪を、時に、”僕”自身の暗い過去、家族の秘密、を暗示します。
”僕”と唯一の肉親である兄との闇の絆とも言うべき関係が、物語の根底を流れる暗い川となって、奥行きと彩りを与えてくれています。
過去とどう向き合うか
本書では、”過去”について、繰り返し言及されます。
イヤな奴だと思っていた同僚の本当の夢、アルコール依存症のガールフレンド、犯人が首を斬らなくてはいけなかった理由、”僕”が放火殺人解決を誇れないわけ。
本書に描かれるのは、過去の消えることのない痛みが、人を破滅的な行動に駆り立てるさまです。
そこから救われる人間、救われない人間が分けられてしまうのは、偶然としかいいようのないほんの少しのめぐり逢いの有無なのかもしれません。
誰かと出会っていれば、心救われる言葉をかけられていれば、衝動を建設的な行為へ昇華できる機会があれば……結果は変わっていたかもしない。
それが分かっているから、”僕”は、どれだけ迷惑をかけられてもアルコール依存症のガールフレンドに手を差し伸べるし、イヤな同僚の叶わなかった夢を悼むし、兄を心底から憎むことができないのでしょう。
失われたものと不幸ないきちがいへの悼み、そして、やり直しさえきけば、未来への道を拓いてくれたはずの過去への哀悼に。
物語のはじめて、”僕”に電話をかけてくる”過去”の声は、あらがいがたく暴力的で、"僕"はその声に縛られ支配されます。
しかし、物語の終わりの電話での声に”僕”は、「暗闇にひとりきりで怯える子どもの早く浅い息」を聞きます。
そのときそのとき、”僕”とあらがいがたかった”過去”との付き合い方があっさりと決まるのです。
そして僕は過去との電話を切った。とりあえず今日のところは。
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第2作目『デス・コレクターズ』
第3作目『毒蛇の園』
第4作目『ブラッド・ブラザー』
第5作目『イン・ザ・ブラッド』
第6作目『髑髏の檻』
第7作目『キリング・ゲーム』
芥川賞を全作読んでみよう第6回『糞尿譚』火野葦平 |【感想】あまりに衝撃的なテーマで庶民生活の哀歓と糞のような人間模様を丹精に描く
芥川賞を全作読んでみよう第6回、火野葦平『糞尿譚』をご紹介します。
芥川龍之介賞について
芥川龍之介賞とは、昭和10年(1935年)、文藝春秋の創業者・菊池寛によって制定された純文学における新人賞です。
受賞は年2回、上半期は、前年12月から5月までに発表されたものが対象、下半期は、6月から11月までに発表されたもの、が対象となります。
第六回芥川賞委員
菊池寛、久米正雄、山本有三、佐藤春夫、谷崎潤一郎、室生犀星、小島政二郎、佐々木茂索、瀧井孝作、横光利一、川端康成、宇野浩二。
第六回から、宇野浩二が新たに加わりました。
気合が入っていたのか、選評も他の委員に比べて長いです。
第六回受賞作・候補作(昭和12年・1937年下半期)
受賞作『糞尿譚』のあらすじ
悪辣な政治家に搾取される庶民の姿を、哀歓をまじえて描く。
感想
タイトルの衝撃と内容の丁寧さのギャップ
もし世の文学に関心を持つ程の人で、『糞尿譚』を、題名だけで当て推量して、敬遠して、読まない人があったなら、その人は文学の神に見放されるであろう。(宇野浩二)
本書を語るとき、まず外せないのが、あまりに衝撃的なタイトルでしょう。
ちょっと手に取るか迷うほどインパクトがあります。
格調高い純文学の卓上に上げていいものかどうかは選考委員のなかでも多少迷いはあったらしく、
材料の、善い意味でも、「悪い意味」でも悪趣味なのを除いては、申分なかった。出征中と云う政治的条件すら、申し分無かった。(久米正雄)
しかし、久米氏が推賞しながらも「
お座敷へ出せる品物だろうか 」と一応躊躇するのも至極同感な節がある。(佐藤春夫)
と、まあテーマに関しては、当時の選考委員のなかでも、話題ではあったようです。
糞尿、という人が最も関わることを嫌がるものをどかん!と真ん中に持ってくるだけに、どれだけ大胆で骨太で、荒くれた文章なのだろう、と思ったのですが、あにはからんや、意外に、文章は気回しがよく、素朴で、細かく、搾取される庶民への愛着に似た同情心すら感じられます。
糞のような人間たち
まこと、人間というものは糞のよう、ということを凝縮したようなお話でした。
主人公の彦太郎は、没落したかつての豪農の息子で、一念発起して糞尿汲取業に乗り出すのですが、事業は軌道に乗らないし、従業員からは舐められるし、妻子からは愛想を尽かされるし、住人からは侮蔑のまなざしで見られるし、子どもにも馬鹿にされるし、で良いとこなしのまさに糞まみれ人生です。
今に見ていろ、今に見ていろ、と唇を噛みしめますが、最後には、町の親分同士の政治闘争に巻き込まれた挙句、何より大切にしていた事業を巻き上げられてしまうのです。
彦太郎という人物は、悪い人間ではないのですが、良く言えば素朴、悪く言えば鈍感で小心者で、そこを狡猾な人間に付け込まれてしまうのです。
彼のある種の人を脱力させるような善良さ(あるいは鈍感さ)は、落語『寿限無』の長久命長助の名前(すごく長い)を全て覚えていることして、自分はみんなに馬鹿にされているが、長久命長助の名前を全て覚えているのだから馬鹿ではない、と自分に言い聞かせている、というエピソードからも伺えます。
そんなんだから騙されるんだよ!
でも、彦太郎も愚かですが、糞尿を汲み取ってもらわないと困るのは自分たちなのに、彦太郎に冷たい住人たちもどうかと思うし、保身しか頭にない小役人の代表のような市役所の衛生課長も糞みたいだし、たかだか九州の寒村のくせに偉そうに張り合う親分連中も、その取り巻きも何もかも全て糞のような人間模様だ!と叫びたくなりました。
追い詰められた人間のおかしみ
しかし、このお話が、搾取される弱者の悲劇を描いているかというと、そうでもなく、作品全体に、追い詰められた人間がやけくそで笑ってしまうような、おかしみのようなものがあります。
彦太郎がラストで見せる爆発は、このおかしみの最たるもので、読者はここで、まるで突然起きたお祭り騒ぎを仰ぎ見るかのような心沸き立つような心地になります。
ただ、オチをお祭り騒ぎにしてしまったことで、純文学の格調から少し乱れたものなってしまったことも否めません、が、それを補ってあまりあるエネルギーがあるのも確かです。
ただ遺憾なところは無邪気さを装い、烈しさを敢行した傾跡の見える乱暴さのあることだが、しかし、それも今は人々は赦すだろう。(横光利一)
戦争と文学
芥川賞受賞当時、著者の火野葦平は日中戦争に出征中だったそうで、陣中で授与式が行われたことで話題となったそうです。
火野葦平はこののち、『麦と兵隊』などで兵隊作家として名声を得ますが、戦後は戦犯として厳しく追及されることになります。
文章からは、庶民への同情と、生活に根差した素朴な精神を感じますが、戦争というものは色々なものを無理やり捻じ曲げていくのかもしれません。
芥川賞を過去から追っていると、読むごとに戦争に近づいていきます。
物語の登場人物にも、著者にも、選考委員にも、「ああ、あと数年で日本が世界大戦に敗北することをこのなかの誰も知らないのだ」と思うと、何とも言えない気持ちになります。
少しずつ戦火に近づく怖さはありますが、勇気を出して読み進めていきたい、と思います。
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『アールダーの方舟』周木律 | 【感想・ネタバレなし】三つの宗教が交錯する聖なる山で起きた不可解な殺人事件と壮大なる歴史ミステリー。人間存在の尊厳が問われる物語。
今日読んだのは、周木律『アールダーの方舟』です。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、3つの宗教共通の聖なる山・アララト山、ノアの方舟が漂着した土地として知られる山を舞台とした歴史ミステリー、という触れ込みに惹かれ手に取りました。
宗教と神にまつわる溢れる知識量と、それが徒な衒学趣味に陥らないトリックの妙、巧妙に仕込まれた伏線、に、これは実は凄いミステリーなのでは?、と驚いてしまいました。
人間存在に尊厳を取り戻すよう呼びかける厳しい叱咤ともとれる著者のメッセージ性も明らかで、見事の一言でした。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
「神は妄想」と断じる完全記憶能力を持つ放浪の数学者・一石豊が見た、神、宗教、建築学が複雑に入り組んだ歴史の謎と真犯人とは。
おすすめポイント
・キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の狭義についてかなり詳しく解説してくれています。
・歴史上の謎を解き明かす系の歴史ミステリーが好きな方におすすめです。
巧妙な伏線
ミステリーの感想を書くのは、肝心なところが書けない分もどかしくて難しいのですが(何を書いてもネタバレになりそう……)、本書はとにかく伏線のはり方がうまい!、と感じました。
ミステリーを読み慣れてくると、大体、「あ、これ伏線かな?(何の伏線かは分からないけど)」となってくるのですが、本書は、その箇所が伏線ということさえも種明かしまで全く気付きませんでした……。
なので、ショウダウンされた後、「え?そうだったの?」とめちゃくちゃ前のページを読み返しました。
作中で、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教とその歴史と教義についてかなり詳細に解説されるのですが、はいはい、ミステリーにありがちの豆知識ね、と油断していると痛い目を見ます。
見ました。
というか、今思うと、章立てから、登場人物の会話、主人公の設定、何から何まで、著者の張り巡らせた罠だったように思います。
おのれ……。
入り組んだ宗教構図
本書で、重要なトリガーとなるのが、各登場人物の信仰する宗教です。
話し手となる日本人フォトグラファー・アリスは、初詣は神社、葬式は寺、結婚式は教会の、どの神様も節操なしの日本人の典型的宗教観の持ち主です。
調査隊の隊長・ミラー博士はカトリックで、調査隊自体がカトリックの財団から支援を受けていますが、実は博士は内心は信仰を捨てている、というちょっと複雑な事情があります。
登山経験豊富なウェスレー博士はプロテスタント、そのなかでも規律を重んじるメソジスト、現地のアシスタントのアリはムスリム、遺物の年代鑑定のため同行した天才学者・一石は、無神論者。
この入り組んだ構図と雪山という閉鎖空間が、登場人物の間に疑惑と緊張感をもたらします。
一人また一人と殺されていく調査隊のメンバーら、彼らは宗教間の遺恨により殺されたのか?、それとも彼らは至上の存在の怒りに触れてしまったのか……?
自分の足で立つ
このミステリーに、探偵役として配されるのは、完全なる記憶力と驚異的な計算能力を持つ男・一石豊です。
彼は、完全なる無神論者で、神は妄想で有害と断じます。
「大胆。ええ、そう言われればそうかもしれません。しかし、事実、僕は神などいないし、その存在も有害でしかない、そう言い切るべき信念を持っているのです」
彼の人生の目的は、「人間とは何なのか」を探求することにある、といいます。
彼の言葉は、人間の怠慢や欺瞞を厳しく非難します(しかも話がめちゃくちゃ長い)。
彼によると、神にその行動の理由を委ね、本来の目的を見失っている人間は、もはや人間とは呼べないのだそうです。
この厳しく膨大な言葉の聞き手として配されるのが、語り手となるフォトグラファー・アリスです。
彼女は、物語上複数の役割を担う極めて重要なキャラクターといえます。
物語の事実上の語り手であり、一般的な日本人の宗教観を代弁する役割であり、一石の天才性を引き立てる脇役であり、話の聞き手、つまりワトソン役であり、かつ推理する探偵でもあります。
そのうえ、彼女は、一般的な人物を代表しながら、その実、一石の尊重するタイプの”自分の足で立つ人間”でもあります。
「まあね。それでも彼女は自分の足で立っているが」
反対に、崇高な目的のためなら人を殺しても構わない、と考えた時点で、殺人犯は、自らの足で立つことをやめ、むしろ崇高なもの(=神、あるいは尊厳)を失った、ということになります。
一石はこの欺瞞を鋭く批判します。
自分の足で立つこと、神という外部に存在理由を求めない一個人であること、それは厳しく痛みを伴うことですが、それこそが”人間の尊厳”なのだ、という強いメッセージ性を感じました。
もし、同じ主人公の話が出たら、読んでみたいです。
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『俗・偽恋愛小説家』森晶麿 |【感想・ネタバレなし】恋愛童話に隠された秘密ふたたび。偽恋愛小説家・夢宮と担当編集・月子との関係にも変化が
今日読んだのは、森晶麿『俗・偽恋愛小説家』です。
底意地の悪いイケメン小説家・夢宮と新米編集者・月子のコンビが有名な恋愛童話になぞらえた事件を解決していく、というシリーズの第2作目になります。
ライトなストーリーと、キャラクターの魅力、モチーフのキャッチーさ、と三拍子揃っていて、ドラマ化とかしたら映えそうだな、と再び思いました。
あと恋愛要素もがっつりあるし(四拍子?)。
今作では、1作目ではもだもだしたまま終わった月子の恋に、新たな局面が見えて、ドキドキの展開でした。
友達の恋バナ聞いてみるみたいな若々しい気持ちにさせてくれました。
そして、相変わらず誰もが知ってるあの童話の新解釈も楽しめました。
グロテスクだったり、切なかったり、愛おしかったり、人前では言えない恋愛の密やかな苦楽を人は童話に込めてきたのかもしれません。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
「白雪姫」「ラプンツェル」「カエルの王子様」「くるみ割り人形」
童話に込められた時に甘く時に苦い恋愛の”真相”とは。
そして夢宮への想いを決めかねる月子に、幼馴染の”お兄ちゃん”との縁談が舞い込んで…?
おすすめポイント
・誰もが知ってるあの童話の別解釈に興味のある方におすすめです。
・ライトで恋愛要素のあるミステリーが読みたい方におすすめです。
・編集者というお仕事小説としてもおすすめです。
誰もが知っているあの童話に隠された秘密ふたたび
このシリーズは、誰もが知っている童話が、夢宮によって紐解かれていくさまが一番の見どころ、と言えます。
紐解かれた真相は、時に苦く、時に切ないものです。
決して人には明かせぬ想い、それを人は物語に託したのかもしれません。
第一話「白雪姫に捧ぐ果実」
夢宮へ淡い想いを抱く月子のもとに、幼馴染の”お兄ちゃん”・聡との縁談が舞い込みます。
一方、原稿の締め切りが迫るなかで、夢宮は月子に、豪華客船に乗りたい、とわがままを言い出します。
聡が主宰するクルーズ客船での読書会に参加した夢宮と月子の前で、参加者の一人で女優の神田川サラが心不全で急死、サラを白雪姫になぞらえた聡に、夢宮は「あれはかわいそうな話だ」と謎の言葉を発します。
聡の「月子」呼びにムッとする可愛い先生が見れます。
なぜ、白雪姫が小人のベットに寝れたのか、という問いから発展していく解釈が面白いです。ちゃんと根拠があるところもすごい。
第二話「ラプンツェルの涙」
月子は聡に誘われて、J-POP歌手・道田未知のコンサートに出かけます。
会場には未知の師匠で演歌歌手の桜鳥雪海もおり、彼女は密かに道田未知を殺そうと狙っているのでした。
ラプンツェルの魔女は、ラプンツェルを愛していたか、という一度は考えたことのある切ない問いがこの話のテーマとなります。
愛して愛して、その末に憎しみになる、愛の哀しさを目いっぱい詰め込んだ話でした。
ミステリとしての仕掛けも凝っていて面白かったです。
騙されました。
第三話「カエルの覚悟と純愛」
「カエルの王子様」というと、誰もが知ってる(?)になってしまいそうな気がします。
ストーリーがあやふやな人も多いのでは?、と思いますが、ちゃんと解説してくれているのが親切。
実は私も、ハインリヒが哀しみで胸が張り裂けないように鉄の帯を巻いた、というくだりでは、このハインリヒ、王子のこと好きすぎでは?、とちょっと思ってました。
この話で一応、聡と月子の関係に答えが出ます。
それにしても、月子ちゃんは少し優柔不断すぎでは?
第四話「くるみ割り人形と旅立つ」
クリスマスイブ、淡い期待を持つ月子に夢宮から連絡が!
「涙子……が」「攫われてしまったんだ」
仰天した月子は、夢宮のもとに駆け付けますが、そこは「くるみ割り人形」の公演会場で……!?
「くるみ割り人形」は劇だったり、バレエだったり、いろいろなストーリーがあるので、いざ知ってるかと言われるとモゴモゴしてしまうかも……です。
夢宮は「くるみ割り人形」に込められた”死と少女との宿命的な出会い”を月子に語ります
夢宮の紐解く真相は歪なものが多いのですが、今回はかなりロマンチックなものでした。
ミステリとしては、真相はまあ大体予想がつくけど、「くるみ割り人形」の解釈談が面白くて最後まで引っ張られてしまう、という感じです。
”死と少女”、魅力的なモチーフを恋愛描写として、ちゃんと生かしていると思います。
夢宮と月子の関係にも一定の答えが出たようなので、これで終わりかな、と思っていたのですが、続編があるようです。
こちらも楽しみです。
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『偽恋愛小説家』森晶麿 |【感想・ネタバレなし】あの恋愛童話に隠された秘密とは? シニカルな恋愛(?)小説家と新米編集者が挑む恋にまつわる難事件
今日読んだのは、森晶麿『偽恋愛小説家』です。
華々しくデビューした恋愛小説家にニセモノ疑惑勃発!?
新米編集者の月子は疑惑の真偽を確かめようと奔走。
しかも、身の回りで次々、事件が起こるし、小説家・夢野の思わせぶりな態度も気になるし……。
という、ドラマにすると映えそうだな~、という恋愛ミステリ小説です。
それぞれの事件は、シンデレラや眠りの森の美女などの恋愛童話がモチーフとして登場し、恋愛(?)小説家の夢野が童話に隠された秘密と事件の謎を同時に解き明かしていきます。
あの童話に、こんな見方が!?と驚かせてくれるのが魅力です。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
新米編集者の月子は、夢宮に第2作を書かせようと躍起になっていた。
そんな夢宮と月子の周囲では次々と事件が起きる。
シンデレラ、眠りの森の美女、人魚姫、美女と野獣、それぞれの童話に隠された秘密と、事件の真相とは?
しかも、夢宮にニセモノ疑惑が勃発!
月子は、真相を求めて東奔西走する。
おすすめポイント
・誰もが知ってるあの童話の別解釈に興味のある方におすすめです。
・ちょっとひねったライトな恋愛小説を読みたい方におすすめです。
・編集者というお仕事小説としてもおすすめです。
誰もが知っているあの童話に隠された秘密
本書の一番の見どころは、誰もが知っている童話に別の光が当てられる点でしょう。
端正な容姿をもちながらシニカルな恋愛(?)小説家・夢野は、月子の憧れるお伽噺にばっさばっさとメスを入れていきます。
シンデレラは王家への痛烈な風刺?
眠りの森の美女に隠されたおぞましい真実とは?
人魚姫は「最高にロックな小説」
あくまで童話の一解釈なのですが、慣れ親しんだ物語に新しい光が当たるのが面白く、ふんふんと呼んでしまいました。
全体としてはライトな読み心地ながら、芸術学に素養のある著者らしい衒学的な一面があり知識欲も満たされます。
そして、夢野の語る童話の”真相”に、事件の”謎”が重なり、思わぬ真実が晒されます。
第一話「シンデレラの残り香」
月子に説得されてインタビュアーとしてテレビ出演することになった夢宮は、石油王・一色慶介と笙子夫妻に出会います。夫妻の馴れ初めは現代のシンデレラストーリーだといいますが、夢宮はこの話に不快感を示します。
「シンデレラ」に隠された秘密と呪いとは。
そして、夫妻の出会いの謎と、その行きつく結末とは。
第二話「眠り姫の目覚め」
「浜本恋愛文学新人賞」の授賞式に出席した月子は、そこで青春時代の憧れの俳優・沖笛謙に出会い舞いあがってしまいます。沖笛は受賞者の仮谷紡花との婚約関係を授賞式で発表するはずでしたが、紡花は授賞式には現れず、彼女をホテル内で目撃していた月子は不審に思います。
今作中最もグロテスクな話で、女というものの恐ろしさを(童話でも現実でも)つくづく感じさせる話でした。
真相を見せた!、と見せかけて、さらにそこから、ぐるんっと回転させる魅せ方が見事。
第三話「人魚姫の泡沫」
プロットをいつまでも出さない夢宮を追いかけ、月子は伊豆高原を訪れます。
そこは、夢宮の第1作『彼女』の主人公のモデル・涙子が住む土地でもありました。
月子はそこで、青春時代に名前の無いラブレターを渡した相手と再会します。
そっちかーい!、とついツッコんでしまいましたが、知らぬ間に窮地を助けてくれている、というシチュエーションはぐっときます!
第四話「美女は野獣の名を呼ばない」
「美女と野獣」のラストで、野獣が王子に戻るシーンでモヤっとするのはなぜか、というネタです。
かくいう私も、ベルは野獣のままの姿で愛したはずなのに、なぜ王子に戻る必要が?、と長らくもやもやしていたので、この話でもやもやが言語化されスッキリしました。
また、”夢野のニセモノ疑惑”という大きな謎がようやく明らかになります。
夢野が書いた大賞受賞作『彼女』は、主人公のモデルである涙子の夫・潔が書いたものなのではないか、というものです。
潔は数年前に不審死を遂げているうえ、物語の中では、ライバルにより殺されているのです。
虚構と現実が交錯し、はたして、夢野はニセモノの小説家なのか、殺人犯なのか、物語はクライマックスを迎えます。
自分は本物か?
本書の大きなテーマに、”ニセモノとは何か”、があります。
月子は、夢野がニセモノなのでは、と悩みつつ、自分自身も、”本物”の編集者と言えるのか、苦悶し、夢野への想いが”本物”なのかについてもはっきり答えを出せません。
果たして、夢野の書いた物語は、”ニセモノ”なのか。
夢野は、偽恋愛小説家なのか。
この物語自体、”本物”のミステリーなのか、恋愛小説なのか。
頭をごちゃごちゃにしながら、楽しんでほしい一冊でした。
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『星に仄めかされて』多和田葉子 | 【感想・ネタバレなし】言語で繋がった人々は対話の果てに何を見るのか
先日書評を書いた『地球にちりばめられて』の続編にあたります。
失われた母国の言語を話す人を探す女性・Hirukoを中心に、言語の無限の可能性によって繋がった仲間たちを描いた『地球にちりばめられて』に続き、Hirukoの同国人・susanooのいるコペンハーゲンの病院を目指すそれぞれの旅の様子が描かれます。
朗らかな読み心地だった第一部に対し、悪意、傲慢、無関心、支配欲など負の要素も散りばめられていて、ラストの対話劇などはかなりスリリングでした。
しかし、結末に悲愴さは無く、次の旅路への明るい予感を感じさせました。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
言語に魅了された青年・クヌート
”性の引っ越し”中のインド系の男性・アカッシュ
グリーンランド出身のエスキモーの青年・ナヌーク
ナヌークの恋人でドイツの博物館勤務の女性・ノラ
福井で生まれた、歳を取らなくなった男性・susanoo
言語で繋がった人々は対話の果てに何を見るのか。新たな旅の始まりを告げる第2部
おすすめポイント
・多言語的な小説に興味のある方におすすめです。
・国という枠組みが窮屈に感じつつある方におすすめです。
同行したい旅
『地球にちりばめられて』で登場した仲間たちは、それぞれsusanooがいるコペンハーゲンの病院を目指すのですが、ノラとアカッシュの旅の様子が一番好きだな、思いました。
しっかりしているけれど保守的なノラと、快活で身軽、ヨーロッパ中に知り合いのいるアカッシュの自分に無い部分を好ましく思います。
とりあえず今乗っている電車にしがみついてしまう私は、たとえそれが錆びついてこの先十年は動かない車両だと知っていても、すぐには降りることができないだろう。ところがアカッシュは、この電車はシベリア行きだと言われても、とりあえず方向が同じならばさっと乗り込んで、枝分かれ地点が来たら乗り換えればいいと思っている。
そんな保守的なノラですが、アカッシュの友人の伝手で、バイクでハンブルクに向かう羽目に(!)なったとき、当初は嫌がるのですが、何とバイクから降りたときには、自分も本格的にバイクに乗りたくなってきたと発言し、アカッシュを驚かせます。
確かに、旅をすると意外な一面に目覚めたりしますよね。
アカッシュのほうも、ノラと会話する時間を大切に感じ、二人は旅を通して友情を深めていきます。
旅を共にすると関係が深まったり逆に断絶したりしますが、この二人の旅にはぜひ同行してみたいです。
肩に手を置いてくれたこと
第1部である『地球にちりばめられて』に比べ、現実と夢を行き来するようなファンタジックな印象があります。
『地球にちりばめられて』も本書もそれぞれの登場人物の視点が交互に入れ替わるのですが、本書ではじめて登場する、一同が会するコペンハーゲンの病院に勤める青年・ムンン(おそらく何らかの精神的な障碍をもつ)の視点は少々風変りです。
おもちゃの蛇が動いて医者を襲ったり、susanooを兄と思ったり、ラジオがひとりでに音楽を奏でだしたように感じたり、現実を認識する回路が私とは少々違っているようです。
ムンンは自分でも、「映画の中の出来事と外の出来事がごちゃごちゃになることがある。」と話しています。
しかし、その無垢さ故なのか、皆に嫌われている医師のベルマーや、悪意を胸に秘めたsusanooもムンンには心を開いています。
また周囲が考えている以上に、人物の本質や場の性質を鋭くとらえている一面があります。
本書のラストでは、susanooの隠された悪意と支配欲が周囲の人間に牙をむきます。
読者は、susanooの支配欲と催眠に登場人物が毒されないかハラハラしますが、クヌートの純朴や、アカッシュの賢明さ、Hirukoの強靭さ、ノラの包容力の前に、susanooの悪意は力を失っていきます。
そして、行き場を失った刃は、susanoo自身に孤立として跳ね返ってきます。
船に乗ってHirukoの故郷を探しに行く、というアイディアに皆が乗り気になるなかで、一人躍起になって水を差そうとするシーンは、孤立していくsusanooの姿を痛々しく映し出します。
オレはやけになって船の旅をとめようとあがいた。しかし、内心、オレ一人対残り全員では勝ち目がないことは察していた
しかし、そんな自分の悪意故に窮地に陥ったsusanooにも純粋な優しさから手を差し伸べる存在が現れます。
susanooはけして良い人間とは言い難いですが、彼のような人間の肩にも手を置いてくれる存在があるという物語に、読者はある種の救済と希望を感じます。
本書が、決して明るいだけでない人間の内面を描きながらも、最後には人間への捨てきれない希望を感じさせるのも、どんな人間にも救いを用意してくれているからなのかもしれません。
旅の仲間たちの、次の物語が楽しみです。
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