書にいたる病

活字中毒者の読書記録

『テスカトリポカ』佐藤究 |【感想・ネタバレなし】血と暴力の闇の底に恐ろしい神々が棲まう。麻薬ビジネスの闇を神話の闇に重ねて描き切ったノワール

第165回直木賞に佐藤究さんの『テスカトリポカ 』が受賞されました!

アステカの恐ろしい神々の世界と血と暴力に満ちた麻薬ビジネスの世界の混沌たる神話。

江戸川乱歩賞の『QJKJO』からずっと面白いと思っていた作家さんだったのですごく嬉しいです。

あらすじ

現代の麻薬密売業界の世界に身を置く男たちが残酷な運命のなかでめぐり逢い、

心臓密売という新たなビジネスに手を染めていく。

メキシコ、ジャカルタ、川崎、世界中に広く深く根差す麻薬資本主義の世界、

そして背後に、古代アステカ文明の残酷な神々の影がちらつく。

圧倒的な筆力で描かれる現代の暗黒神話

普段見ている世界が裏返るー暴力への崇拝

まるで私たちが普段見ている世界とは全くの別世界の話のようだが、実は違う。

私たちは普段、ドラッグを、分別を知らない若者や不心得な芸能人、そういった自分たちとは全く違う人種が、路地裏か自宅、どこかのクラブか、とにかく自分とは関係のない場所でこそこそと嗜まれているものと考えている。

しかし、ドラッグは生産、流通、販売まで、組織的に管理され、麻薬密売人は莫大な利益を得る。

その莫大な利益、生産性は、麻薬そのものの中毒性よりも強く人を支配する。

カルテルはコロンビアやペルーに専属契約の農場を持ち、コカイン生産量を管理し、製造、輸送、分配までをみずからおこない、政治家、官僚、警官らを買収して、彼らを麻薬ビジネスの内側に取りこみながら、新しい資金洗浄法を常に考えている。誘拐、拷問、殺人などの計画的な実行も業務の一部であり、壮大なスケールの犯罪企業体を無数の麻薬密売人ナルコが支えている。(p009)

まさに、「暗黒の資本主義人ダーク・キャピタリズム」だ。

私が生きている間でおそらく、ちらとも目に触れない世界だが、それは確かに存在する。

読み進めると、自分の立っている地面がぐらぐら揺れるような、漠然とした不安を感じるが、それが意外にも心地よい。

凄惨な裏切り者の拷問、アステカの神々への残酷な儀式の描写に、くらくらしながらも憑かれたようにページをめくってしまう。

本書は、人が皆持つ暴力への崇拝心を刺激する。

本書のなかでは、人の命はあまりに軽く、ラップを切るようにパスパス殺されていく。

あまりにもあっけなく殺されていくので、だんだん、そうすることが正しいことのように思われてくる。

 

思考の停止が悪をもたらす

印象的な出来事がある。

作中、人体の密売に手を染めながら、唯一、良心を持ち自らの罪に苦悩する男は、仲間内からは「家族ファミリア」ではないと蔑まれ、「家族ファミリア」内での名を持たない。

一方、心臓を摘出する子供を全国から集める役割のコカイン中毒の女は、自分は虐待児童の保護をしていると盲信している。彼女は自らの罪に無自覚ながら、「家族ファミリア」から女呪術師マリナルショチトルの名を与えられている。

両者は、闇の世界にどっぷりと浸かった他の登場人物とは違い、凡庸とも言えるが一応良心を持ち、読者が所属する一般の世界に近い感性を持っているといえる。

ではなぜ、彼女は女呪術師マリナルショチトルの名を与えられているのか。言いかえると、暴力の世界の住人と認められているのか。

それは、思考の停止、他者に対する最大の悪だからではないだろうか。

彼女は、明らかに不自然な上司(実はヤクザ)の言動を信じ、全国から虐待されている子供たちを次々と集めていく。子供たちはあるお寺の地下(住職もグル)に集められ、ある日どこかに連れていかれ、二度と戻らない。報酬として不自然に高い金額が提示される。どう考えても、犯罪だが、彼女は、子供が海外で養子縁組されているという説明をただ受け入れ、自分はいいことをしていると信じている。決して、それ以上のことを考えようとはしない。

彼女が思考を停め、コカインに夢中になっている間に、子供たちは確実に殺されていく。

ハンナ・アーレントアイヒマン裁判において、思考を放棄した凡庸な人間こそが人類最大の悪を犯すことを主張したが、同様に、彼女も私たちも思考を停めたとき、人間性を失い、知らず他者への暴力を犯す

それは、自覚的に罪を犯すことより、恐ろしいことなのかもしれない。

本書の終盤、良心を持つ男は良心に従うことを決断し、女は、

私はコカインをやめられる。

と、独白する。彼女が本当に麻薬及びその暴力の世界から逃げることができるのか、それは誰にも分らないだろう。

彼女が足を踏み込んだ闇の深さに比べると、この独白があまりにもちっぽけで無力に思われてならない。

今回ご紹介した本はこちら

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