『煌夜祭』多崎礼 |【感想・ネタバレなし】語り続けることは生き続けること
恐ろしくも美しい魔物と語り部の物語
毒の海に十八の島々が浮かぶ架空の世界。
煌夜祭の夜、焚火の前で二人の語り部が、次々に物語を披露する場面から、はじまります。
なぜ夜通し語り続けないといけないのか。
それは、この世界には魔物とよばれる、美しい人間の形をした生き物が存在し、
それが人間を食らうのを、夜の間鎮めておかなければいけないからです。
魔物は物語が語られている間は人を襲わないのです。
千夜一夜物語を思わせる不思議な物語が交互に語られるうち、
読者は、美しくも恐ろしい存在である魔物と彼らに魅入られた人々の運命に引き込まれていきます。
そして、それを語る二人の語り部は、一体何者なのか。
人々の葛藤が物語を煌かせる
多崎礼という小説家を初めて読んだのですが、次の作品もぜひ読みたくなってしまいました。
千夜一夜物語風のファンタジーなのですが、世界観はアラビア風というわけでなく、
多崎礼さん独自のしっかりとした美しい世界観を見せてくれます。
大人はもちろん、ファンタジー小説に肥えた子どもも楽しめそうなお話でした。
一方、子どもも楽しめそうなファンタジーというものの、登場人物たちは、それぞれに目的を持ち、理想と現実の間で葛藤し、懸命に努力しますが、大きな過ちも犯します。
一人の大切な人を助けるため、何百人の人間の命を犠牲にする判断を、時には下します。
簡単な善悪、正義の話ではないのです。
そしてこの架空の世界も、美しいだけでなく差別があり、泥をすするように生きる人々がいます。
忘れられないセリフがあります。
(俺は何も持っていない、という男達に対して)
「くだらない」吐き捨てるようにクォルンは言った。「何も持っていないというのは女のことを言うのだ。女には相続権はもとより、学問を修めることも許されない。横暴な夫や父に対しても、発言する自由さえ与えられていないのだからな」
このあと、このクォルンは、従来の社会を重んじる人々に袋叩きにされます。
例え、男女の差別でなくとも、私たちは皆人生のどこかで、言われない差別を受け、こんな風に叫びたくなるのではないでしょうか。
何も持っていないというのは「私」のことをいうのだ、と。
簡単に世界は変えられない、人は過ちを犯す、厳しい現実を突きつけながら、作者は、最初から救いも用意しています。
それは、「語り継がれること」「語り続くこと」。
それまでの、葛藤と苦しみと愛が物語として昇華されていくとき、何かが救済される。
美しい光に満たされる。
本書を読むことで、神秘的な煌夜祭へとこっそり参加することができます。
今までにない読書体験をお求めの方、ぜひ一読あれ。