書にいたる病

活字中毒者の読書記録

『ロックンロール七部作』古川日出男 | 【感想】文学の力でロックンロールを鳴らせ

古川日出男への片想いについて

大好きなんだけど、ちょっと難解で、好きだということも言い出しにくい作家というのがいるものですが、私にとっては、古川日出男こそその人です。

昨年あたりおおきな森を読了しましたが、amazonで届いたその本の重量にまず圧倒され、もちろん自分より遥かに大きなものを呑み込めるわけもなく、「なんか分からないけど好きだな~」と片思いし続けている次第です。

そんな、最近ちょっと難解な古川日出男の作品群のなかでも、比較的手に取りやすいポップな雰囲気のものもあり、今回はそんな本書『ロックンロール七部作』をご紹介します。

『大きな森』に挑戦してやるぜ、という方はそちらもぜひどうぞ。

20世紀の神話が立ち上がる

あらすじは、語り手「あたし」が20世紀を、七大陸にまたがる「ロックンロール」の流転により、あらかた神話のように語る、というもの。

七大陸(アフリカ、北米、ユーラシア、オーストラリア、インド、南米、南極)それぞれの、ロックとその運命の流転(ロール)が、語られ、その一つ一つに、希望、自立、鷹揚、無垢、覚醒、解放、人間の持つ善性が託されています。

私は、特に南米大陸を語る「ロックンロール第六部」が好きです。

武闘派の王子様」というタンゴダンサーが武闘家に転身し、父親の仇討ちに邁進するという人生を通し、肉体の動きにロックンロールの秘伝は宿るか、という物語が描かれます。

野卑な父親に反発していたくせに、どんどん父親に似た感じになっていく「武闘派の王子様」の姿が笑えます。

また、音楽としてのロックンロールがほとんど語られない(タンゴと演歌はちょっと出てくる)のにも関わらず、最後、きちんと読者の肉体にもロックは流れるのにも驚きます(ノックアウト!

 

物語はここから語られる

「あたし」が、パワフルに語る七大陸の物語の登場人物は、皆、世俗的で、混沌として、ユーモアにあふれ、ひたむきで、誰にも支配されません。なぜなら、支配されないことこそ、ロックだから!

人生の賛歌が歌いながら、物語は、「ロックンロール第七部」南極大陸に至り、そこで終に贖罪が語られます。

あふれた愛が暴力の形をとるよう生まれついた第七部の主人公、「小さな太陽」は、出会う人全てを愛故に殺めながら、南極点に至ります。南極点を地球の自転と反対に回り続け、時間を戻し、贖罪の音楽を二十世紀のはじまるに届けるために。

ねえ、わかる?

これは贖罪なの。戦争の世紀であった二十世紀の。あの世紀のための。あたしたちが歩み去った世紀よ。死ぬな、ロールしろ、とあたしは言うの、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

戦争の世紀の代わりに、あれはロックンロールの世紀だった、と言うの。

あたしは断言するの。 (p320)

 人生の賛歌を知っていながら、戦争を暴力を、せずにはおれなかった私たちの二十世紀はまるで、「小さな太陽」の歩んだ道のりのよう。

しかし、本書は第7部ではなく第0部で幕を閉じます。贖罪の音楽は二十世紀のはじまりに届けられ、これから、七大陸のロックンロールは語られる。

今、この地点が第0部なのだから。

私はそう信じています。