『尾崎翠集成』より『歩行』中野翠編 | 【感想】心苦しきとき、思いを野に捨てよ
尾崎翠といえば、「第七官界彷徨」が有名かな、と思うけど、今日は、『尾崎翠集成〈上〉』より「歩行」を読みました。
おすすめポイント
・失恋したばかりの人
・尾崎翠は好きな人
お萩と運動
「歩行」はごく短い短編で、すぐ読めてしまう。
数日前、兄の紹介で数日間居候した幸田氏のおもかげが忘れられない主人公小野町子が、ぼんやりしながら、あちらこちら歩行する、というのがざっくりしたあらすじだ。
印象的なシーンがある。
主人公が出かけたと思っている祖母が、孫がお手製のお萩をどっさり食べ、運動したかどうかえんえんと独り言を言う。祖母は、彼女がぼんやりしているのを、運動不足のせいだと思っていて、神経の疲れには甘いものが一番効くと信じているからである。
上記の詩も入れて18ページしかない短編のほぼ1ページをこの祖母の心配事(お萩を食べたか運動したか)が占めているのが、ちょっとおもしろい。
お年寄りって、こういうしつこい心配の仕方するよな~、と父方の祖母を思い出した。遠方に住んでいるのと、彼女の性格がどうも合わないのとで、疎遠になっているが、一度思い込むと情報の更新ができない人だったな、と思い出す。
小学校3,4年生くらいの時、松露というお菓子が好きだ、とたった一度言ったら、その後、何年も遊びに行く度にそのお菓子が出てきて辟易した。
確かに美味しいけど、確かに美味しいけど! 子どものこちらとしてはもう飽きているのに、「いや、これが好きだったはずだ」と言って譲らない。本人が飽きたと言っているのに...。
失恋した話
さて、私がこの短いお話をわすれられないのには、父方の祖母の他に別の訳がある。
その訳というのが、ものすごくしょうもなくて書くのが少し恥ずかしい。
「歩行」の始まりは次のような詩ではじまる。
おもかげをわすれかねつつ
こころかなしきときは
ひとりあゆみて
おもひを野に捨てよ
おもかげをわすれかねつつ
こころくるしきときは
風とともにあゆみて
おもかげを風にあたへよ (よみ人知らず)
つまり、私はこのとき、めちゃくちゃ好きな人が一人いて、その人に全然振り向いてもらえなかったのだ。平たく言うと失恋していた。
しかも、振られた後も、何かとその人の家の前を通るバスを利用せねばならず、結構、気持ち的にキビシかった。
その人の家の前をバスで通るたび、燃えててくれないかな~、と本気で思った。
願い(呪詛?)が通じたのか、マンション暮らしだったその人が、別の場所に越していったときは、かなりほっとして、一人で店でワインを2本くらい空けた。
「歩行」は、その人の家よ燃えろー!と思っていたまさにその頃に出会ったので、冒頭の詩を読んだとき、本気で自分のことが書いてあるのかと思って、びっくりした。
何回も読んで詩を覚えてしまったので、しばらく「おもかげをわすれかねつつ…」とぶつぶつ言いながら、深夜徘徊し、思いを野に捨てるように、お酒を鯨飲した。若いな~。なつかしいな~。
飲んだお酒の量が、おそらく涙の量を上回るころ、おもかげは無事、野に捨てられた、と思う。
いまでも、この話を読み返すと、気を失うかと思うくらいその人を憎んだことや(私はふられるのに慣れていなかった)、ひどい二日酔いや、なぜか初対面の人たち(近くの売れない劇団の人たちだった)と深夜3時にラーメン屋(すごく美味しい)に行ったことなんかを思い出す。ちなみに、商店街でその売れない劇団の人たちとジョジョ立ちで写真を撮ったことも思い出した。何してんだかねー。
自分のことばっかりになってしまったけど、今失恋中の方、おすすめです!
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