書にいたる病

活字中毒者の読書記録

『最後に手にしたいもの』吉田修一 | 【感想】旅に出よう、最後に手にしたいものを見に行こう

今夏ご紹介するのは、芥川賞作家で、『悪人』『怒り』『さよなら渓谷』など、様々な映画の原作者としても知られる吉田修一氏の旅エッセイ最後に手にしたいものです。

書き下ろしではなく、ANA機内誌連載『翼の王国』で連載されたエッセイを本書『最後に手にしたいもの』と『泣きたくなるような青空』の二冊に分けて文庫化したことが、あとがきに書かれていました。

そうだったのか。本屋で購入したのですが、残念ながら『泣きたくなるような青空』は近くになかったように思います。機会があれば、そちらも読んでみたいです。

 

さて、誰かが旅に行った話って、聞くだけでわくわくしますよね。

同じ国に行ったことがあって共感したり、行ったことのない国の話にびっくりしたり、世の中が、こんな時だからこそ、旅エッセイを読みまくって、読書で世界一周してみるのも面白いかもしれません。

あらすじ

 台北マルーン5のツアーに参加しに弾丸旅行へ、人の手の仕事に思いをはせるバルセロナ、ギャンブル苦手なのに行ってしまったマカオ、そして愛猫との生活、映画の舞台裏など、旅の面白さがつまった25編を乗せた吉田修一の素顔に迫る一冊です

 

おすすめポイント 

 旅エッセイと銘打たれていますが、愛猫との生活など吉田修一氏の個人的な生活も垣間見ることのできる一冊です。映画化の舞台裏の話などが載っており、個人的にはこの制作秘話を読めたことが一番の収穫でした。

また、内容そのもののおすすめポイントではないですが、各章が比較的短いので、読む体力がないときでも、少しずつ読めるのが魅力です。。

吉田修一氏に興味のある方、旅行に行った気分を味わいたい方、映画の制作秘話に興味がある方、最近本を読む体力がないけどエッセイくらいなら、という方におすすめです。

 

注意! ここからネタバレ

 以下、気になった章へのコメント

猫への愛「すきだ!」

吉田氏は愛猫2匹と生活しているらしいのですが、その愛猫への愛がこれでもか、と書かれています。好きなものを大きな声で好きだ!というのは気分が良い、晴れ晴れする、と吉田氏は言います。

ところで、我が家にも、猫が2匹います。もちろん吉田氏の愛猫の生態とは全く違います。

うちの猫は、いたずらが少なく、おとなしく、でも心根も姿もエジプトの壁画のように誇り高くて美しくて、でも可愛くて、と、ここまで書いて、なんだか確かに晴れ晴れした気分になってきました。

吉田氏の言う通り、何にも気兼ねなく大声で好きなものを好きだ!と叫べる日々が私たちの精神衛生上、必要なんですね。

そういえば、猫好きな作家というのは結構多く、内田百閒の「ノラや」などは有名ですよね。

機械音痴な人々の言い分に納得

吉田修一氏は機械に弱い、らしい。

どれくらい弱いかというと、コードレス扇風機のバッテリーを電気を受け取る受信機だと勘違いして、充電する、という行為をしていなかった、らしい。

また、プリンターが壊れてしまったと思い、修理センターに送ったところ、「どこも壊れていない」と言われ、戻ってきてしまう。なんと配線を誤っていたのだという。

私がこの章を興味深く思うのは、きっと私がまあまあ機械に強いほうだからです。

いわゆる機械に弱い人はたいてい自分の凡ミス(配線間違い、電源ボタン押してない、そもそもコンセント刺さってない)に気が付かず、すぐ「壊れた」と言って電話をかけたり、人を呼んだりします。(しかも、たいてい「何もしてないのに」と言います)

人に聞く前に、ちょっとは自分を疑え、と毎度思っていたし、そういった人がどういう気持ちでいるのか全く理解できなかったのですが、次の言葉でものすごく納得しました

僕のような機械音痴な人にならきっと共感してもらえると思うのだが、僕らは決して機械を信じていないわけではない。逆に、機械を信じ切っており、まさか、自分なんかの凡ミスで機械が故障するはずはなく、となれば、内部の精密な部分で僕ら素人には計り知れない何かが起こっているのだ思ってしまうのだ。 (p49~50) 

これには、すごく納得しました。そうか、そういう思考回路なのか。機械も所詮、人がつくったものなんですけどね…。

映画『悪人』『怒り』の舞台裏、李相日監督の言葉

映画『怒り』が公開に迫った日(2016年9月)、吉田氏は同監督李相日氏の6年前の言葉を思い出します。それは、『悪人』が映画化される際、氏が一緒に脚本を書いたときのことでした。

読まれた方はご存じかと思いますが、『悪人』の舞台は、長崎、佐賀、福岡、です。そして吉田氏は長崎出身ということもあり、監督に提案します。

せっかく映画になるのであれば、あの辺りの美しい風景をたっぷりと撮ってほしい。リアス式の長崎の漁港、雄大佐賀平野、そして雪をかぶった背振山地……。撮ってほしい風景はいくらでにある。 (p156)

このときの監督の言葉を、吉田氏は今でもはっきりと覚えているという。次のページにその答えが書いてありましたが、単なる諾否を越えた、「小説と映画が表現するものの違いは何か」という深い問いに根差した素晴らしい答えでした。

この監督の言葉は、ぜひ、本文で読んでいただきたいです。

今回ご紹介した本はこちら