『インパラの朝 ユーラシア・アフリカ大陸 684日』中村安希 | 【感想】26歳、清冽な筆が描く47か国2年の旅
本書『インパラの朝 ユーラシア・アフリカ大陸684日』は、47か国2年間の旅の途中からブログに書きためたものをまとめた、第七回開高健ノンフィクション賞受賞作『バックストリートの星たちーユーラシア・アフリカ大陸、そこに暮らす人々をめぐる旅ー』に加筆のうえ、改題したものです。
一人の日本人女性が見た世界のふつうの人々がクールな文体で綴られる名作エッセイを今回はご紹介します。
あらすじ
こんな方におすすめです
・旅が好きな方
・日本に住んでいて息苦しいと感じる方
・かっこいい女性の話が読みたい方
クールな文体と世界を見つめる透明な目
私は旅が嫌いだ、といえば名著『悲しき熱帯』のはじまりですが、もっと卑小な意味ではあるものの私も旅が嫌いです。
ホテルの手配をして、飛行機のチケットをとり、見て回る場所を選定し、歯ブラシ、タオル、着替えを日数分+1日分バックにつめて、と書くだけでうんざりします。
一方、本書の旅のはじまりは、はっとするほどのシンプルさではじまります。
私は四五リットルのバックパックの底に九八〇円のシュラフを詰めた。三日分の着替えと洗面用具。パブロンとバファリンと正露丸を入れた。それからタンポンとチョコラBB。口紅とアイシャドウと交通安全のお守りを用意した。パソコンとマイクとビデオカメラを買い揃え、小型のリュックに詰め込んだ。果物ナイフや針金と一緒に、ミッキーマウスのプリントのついた覆面も忍ばせた。そして、ジムで鍛えた両腕に四本の予防注射を打ち、体重を三キロ増やして日本を離れた。 (P16)
どことなく、『奥の細道』の冒頭を彷彿とさせる名文です。
日本でマジョリティでいることで鈍化していく感受性を奮いたたせるように、著者は旅に飛び出していきます。
文学的な表現も散見しますが、過度に感傷的でなく、文体はいたって歯切れよくクール。
現実に根差した鋭い目で各国の人々を見つめます。
本書が優れている点は、その国がどうかより、そこで会った人をまっすぐに見つめる目と、世界に向かって鼻息荒くも一人で立とうとする潔さなのだと思います。
旅を続けるために彼女がとる行動に私たちは、常にはらはらさせられ、しばしばにやりとさせられます。
彼女は、イランビザを手に入れるため、数日前にウズベキスタンで出会った韓国人青年と結婚し(その後ケニアの路上で凄惨な夫婦喧嘩になる)、タンザニアで謎ビジネスマンと喧嘩し、ザンビアではオレンジやリンゴの果肉ををナイフで''クール''に食べ周囲を威嚇し、ガーナ難民を叱咤し、西アフリカのトーゴでは案内代をかもろうとする現地人を激しく罵倒します。
彼女は現地の人と積極的に’’親しく‘’なろうとはしません。その態度はいたって淡々としています。「今日うちに住まない?」と聞かれれば、注意深く信用できるか観察し、行動し、気が合えば友達になる。気に入らなければ、離れていく。相手が喧嘩を売れば、受けて立つ。
真剣に世界相手に褌一丁で啖呵を切るような彼女の旅は、はらはらし、また小気味よい後味を残します。
世界と自分との距離を縮める旅
マジョリティであることは安全な環境を保証されることでもあるが、それだけで世界で起こっている全ての物事を知っていることにはならない、と本書は訴えかけます。
私たちの生活は綺麗な水が飲め、命の安全を常に保障され、モノを左から右へ移すだけの仕事が莫大な利益をもたらします。そこにいると、まるで、自分のいる場所が世界の仕組みすべてだという錯覚に陥り、感受性が鈍磨し傲慢になっていくようです。
(イラクの人質事件について)
ある晩、職場の同僚たちと新宿のスタバでコーヒーを買い、テーブルを囲んで話をしていた。人質事件の話が出ると、同僚は何のためらいもなく、人質たちを冷たく笑い、軽蔑の言葉を口にしたー共感と同意を求めるように、あたかも当然のことのように。(P116)
似た経験があります。学生の折、同級生と何気ない噂話をしていたとき、その子が何かの話で、知人が生活保護を受けていることを、笑えることであるかのように話しました。
そのときの感覚を何と表現したらよいか分かりませんでしたが、あれは「自分と現実の間の距離」だったのではなかったか、と本書を読んで思いました。
もし、旅に出てどこかで人質になったとしたら、怖いのは暴力より家族が世間から冷笑され激しく非難されることだ、と著者はいいます。
しかしそれでも著者は果敢に旅に挑みました。
「現実と自分の間の距離をたとえわずかであったとしても縮めよう」と。
今回ご紹介した本はこちら
中村 安希の他のおすすめ作品
こちらの著作もおすすめです。
まだ、書評を書いていませんが、近く書いていこうと思います。
『 ラダックの星』
亡き友人を悼むため、世界一の星空を目指す。
『愛と憎しみの豚』
時には愛され、時には憎まれる。豚とは一体どういう動物なのか