『愛と憎しみの豚』中村安希 | 【感想】希代のノンフィクション作家が追う豚を取り巻く文化と歴史
今回、ご紹介するのは、想像を絶する長距離を旅した経験をクールな筆致で描いた『インパラの朝』の開高健ノンフィクション賞受賞作家、中村安希の豚を巡る珍しいドキュメンタリー『愛と憎しみの豚』です。
あらすじ
おすすめポイント
・旅エッセイが好きな方
・豚を巡る歴史・文化を軽いタッチで知りたい方
身近で遠い豚を求めて
日本人である私たちにとって豚は牛、鶏とならんでメジャーな畜肉です。
子どもの頃の記憶をたどる限り、豚は数ある家畜の中でも、決して特別な存在ではなかった。話題に上る機会に乏しく、インパクトに欠ける動物だった。(p10)
しかし、そんな''身近な''存在である豚について、著者は幾つか印象的な出会いを経験します。
・関東出身の友人のカレーがポークカレーだったこと
・2006年旅先のモンゴルで豚肉の脂身の保存食を味わったこと
・2007年パキスタンで徹底的に嫌われる豚の姿を見たこと
・豚の角煮の熱烈な料理本(土屋敦『なんたって豚の角煮』?)を進呈されたこと
などなど、身の回りで頻発するようになった豚の真の姿を追い求めようと、フェイスブックでの情報集めもそこそこに、著者は日本を飛び出して行きます。
文化的な豚、政治的な豚
イスラム教ではなぜ豚肉食を禁じられているのか、という問いについて、最初に訪れたチュニジアで耳にする、羊肉と比べ暑さに傷みやすい豚肉が、冷蔵庫の無い七世紀アラビア半島で、病気の原因になるとされて禁止されたのではないか、という考察がまず興味深いです。
続いて、革命直後の同地カルフールで、人々の対立のいわば大義名分として豚の販売がやり玉にあげられていることが現地の青年の口から語られ、豚がある種の宗教的文化的象徴であることが、つかめてきます。
豚は思っていたより''物議を醸す''動物であったのです。
続いて、豚が政治に運命を翻弄された動物であることも、旧ソ連地帯を巡る旅で明らかになってきます。
旧ソ連であるリトアニアは、大戦前はドイツ続いてイギリスと豚肉の取引を行っていましたが、大戦により養豚含めた産業が壊滅的ダメージを受けます。大戦終結度、ソ連に編入されたリトアニアは、戦争に疲弊したソ連及び自国の食糧難を救う役割を、得意の養豚業で担うこととなります。豚は繁殖力旺盛ですぐ大きくなる優秀な家畜であり、農業計画に沿って三三の巨大農場が編成されます。
『豚をつくれ! もっともっと豚をつくれ!』(p135)
豚はそのときどきの支配者たちの思惑に運命を翻弄された動物でもあったのです。
豚を通した出会い
そして豚の姿を追う内、筆者はまた世界に生きる、様々な人と出会います。
本書のテーマは豚を通した文化・歴史を追う旅ということになっているが、言い方は悪いですが、豚をだしに人々に出会いに行ったというほうが良いかもしれません。
特に、シベリアの強制収容所に抑留されていた経験を持つ、ルーマニアの農家のおじいさんの熱くユーモラスな語りは、そばで作られる自家製の豚肉のソーセージの匂いまで立ち上ってくるようです。
また、痛みすら感じるマイナス三十一度を超えるロシア、カダラ地区の強制収容所抑留者慰霊碑では、思いがけず、魂に刻まれたような日本語を外務省の青年から耳にします。
豚とは一体なんなのか、単純な問いから発見される新しい世界の見え方に感嘆する一冊でした。
今回ご紹介した本はこちら
中村安希の他のおすすめ作品
こちらの著作もおすすめです。
『インパラの朝 ユーラシア・アフリカ大陸 684日』
『 ラダックの星』
亡き友人を悼むため、世界一の星空を目指す。
まだ、書評を書いていませんが、近く書いていこうと思います。