書にいたる病

活字中毒者の読書記録

『針がとぶ - Goodbye Porkpie Hat』吉田篤弘 | 【感想』密やかな宝箱を開くような珠玉の連作短編

 

 今回ご紹介するのは、クラフト・エヴィング商會の名義でも活躍されている吉田篤弘針がとぶ - Goodbye Porkpie Hatです。

静かな夜に熱いコーヒーと共に読みたい本書は、どこか小川洋子人質の朗読会を思わせます。

奇しくも、小川洋子さんが解説を書かれているのでそちらも一読の価値ありです。

あらすじ

詩人の伯母が遺したポークパイハットとLPの小さなキズ、針がとぶ一瞬、ひそやかで優しい物語がつむがれる。聞こえない音楽がそこにあるように。 

おすすめポイント 

・静かで落ち着く話を読みたい方

・眠れない夜に寄り添ってくれる本をお探しの方

針がとぶ一瞬、いつか出会った人の記憶がよみがえる

本書は短編集のような連作短編のような曖昧な関係の七つの物語で構成されています。

お話同士で明確な関連性は無いものの、こっちの話にいた人物が、不意に別の話で現れたり、あっちの話ちょっと話題になった土地が、別の話の舞台となったり、読み進めるうち、読者は不思議な酩酊感を感じます。

まるで、いつかすれ違った人の幽かな記憶が不意に頭をもたげるような

また、そういった関連性をそこまで強調せず、ごく控えめに遠慮がちに描いているところに、吉田篤弘のストーリーメーカーとしてのバランス感覚を感じます。

 

話を彩る小道具がお洒落

また、吉田篤弘さんの書く小物はなぜかなんでも大変お洒落に見えます。

タイトルにもなっている第1編「針がとぶ」で登場し、主人公の伯母の人となりをそれとなく示す「ポークパイハット」や、第4編「パスパルトゥ」で主人公の仮屋に奇妙な雑貨屋が持ってくる品々など、

ー遅くなりました。

現れたのは小柄な男で、まるで似合わぬ道化風のズボンを引っ張り上げて

穿いていた。大きな茶色の紙袋を抱え、中から手品のように次々といろいろなものを取り出しては、テーブルに並べ始めた。

コーヒー、黒パン、塩、砂糖、蜂蜜、オリーブ油、煙草、ウイスキー、新聞。それにスプーン、ナイフ、フォーク、薬鑵。そして鍋を大小ひとつずつ (p101)

塩、砂糖一つとっても、月明かりに照らされているような神秘さを感じます。

また第7編「最後から二番目の晩餐」に登場する雑貨屋(おそらくパスパルトゥと同じ雑貨屋)に陳列されている品々は次のようです。

ー少し前の新聞、ずいぶんむかしの映画雑誌、そのとなりには、おいしそうなつやつやした林檎、知らない果実、箱にはいった目覚まし時計、どこの国のものとも知れない数ダースの鉛筆、品の良いカップ&ソーサー、シャーロック・ホームズを思わせるツイードの鳥打帽、バナナのようなぼってりした手袋、革ケース入りの高級歯ブラシ、色とりどりの安ボタンー(p209)

ああ、一度でいいから、こんな雑貨屋に行ってみたい。

特に「バナナのようなぼってりした手袋」という表現がなんとも魅力的。目の前にその手袋が見えるようです。

さすが、装丁も手掛けられる著者、センスの良さを感じます。

 

全てを望んではならない 

本書は、そこに’’ない’’ものについて優しい視線を向けます。

亡き伯母のLPの針がとぶ一瞬に、そこに聞こえない音楽が聴き、雑貨屋パスパルトゥは百科事典に載っていない言葉にいつも思いを馳せます。また、これも存在しない猿の物語を追う「路地裏の小さな猿」では、次のように嘯きます。

本当に素晴らしいところは、どんな地図にも載っていない(p192)

いま、ここにないもの、過ぎ去ったもの、あるけれど隠れているもの、本書のなかでは、私たちがそれに触れるとき、郷愁にも近い感情がこみ上げます。

それは、いつの間にか自分自身もこの奇妙な登場人物たちと共に、針がとぶ一瞬に長く短い旅を終えたような気持になるからかもしれません。

こんなせわしないときに生きているからこそ、パスパルトゥの言葉を私も肝に銘ずべきかもしれません

ー全てを望んではならない (p138)

今回ご紹介した本はこちら

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