『ババヤガの夜』王谷晶 | 【感想】血と暴力が二人の女を結ぶバイオレンスアクション×ガールミーツガール
今日読んだのは、王谷晶『ババヤガの夜』です。
''暴力を唯一の趣味とする女''という主人公のインパクトに、これ絶対面白いでしょ!、と衝動買いしました。
作者の王谷晶さんという方は、1981年生まれ、『完璧じゃない、あたしたち』など‘’ガールミーツガール’’系の話をよく書かれ、同性愛者でフェミニストということも公言されているそうです。
結婚というシステムについても、一家言持たれているようですね。
そんな、作者が描く''血と暴力が繋ぐガールミーツガール''、これは気になりますね。
以下、あらすじと感想など。
あらすじ
おすすめポイント
バイオレンスアクション×ガールミールガールというありそうでなかったジャンルに興味がある方に、おすすめです。
話の中で、あっと驚くしかけもあります、そういう話が好きな人にもおすすめです。
女であることの苦痛と闘争
本書は、二人の女の苦痛と闘争の物語と読めると思います。
野生動物のような主人公新道依子
主人公新道依子は女ながら、喧嘩に天賦の才を持ち、暴力団の男数人を相手に大立ち回りできるほど、肉体にも才能にも恵まれています。
やりすぎて、粛清されるところ、幹部の柳に拾われ、その異常なまでの喧嘩の腕を見込まれて、会長が溺愛する一人娘・尚子の護衛を任されます。
ちなみに依子の前の護衛は、尚子に手を出そうとした疑いで腕を切り落とされ、おそらく殺されています。依子は女だから、手を出さないだろう、という目論見もそこにはあるわけです。
大体こういう主人公のスタンスは、腕はあるけど面倒事は嫌いなんだよね~、という感じが多いと思うのですが、依子は自分の喧嘩の腕を奮うことに興奮を覚えています。つまり喧嘩大好きです。
数人の男を相手にしても、まったく臆することなく叩きのめし、暴力団の中でも飄々としている依子は孤高で自由で、虐げられる苦しみからは無縁に見えます。しかし、そんな彼女も女として縛り付けられる苦しみから無縁ではありません。
「誰がお前の言うことなんか信じると思う。この業界はな、こと信用においては、聖母マリアさまより泥棒乞食でも男の方が上なんだよ」
けらけら笑う柳に背を向ける。
「どうした。悔しいか、一丁前に」
「餓鬼じゃないんだよ。そんなことはとうの昔に知ってる。何が’’この業界’’だ。世の中みんなそうだろう。」 (p60)
しかも、この後、依子をよく思わない組員にレイプされかけたりもします。
もう一人の女、お嬢様・尚子
一方、野生動物のように荒々しい依子に対し、依子に護衛される尚子は正反対の存在です。保守的なファッションに身を包み、毎日短大と多くの習い事を往復する、ザ・お嬢様です。
父親に溺愛され、何不自由なく育てられた彼女は、すでに父親と友好的関係にある豊島興業組長宇田川と政略的に結婚させられることが決まっています。この宇田川は拷問趣味のサディストであることが、作中で分かります。
また、彼女は、父親のもとから逃げた母親の代わりを務めるように、父親から性的虐待を受けていることも明らかになります。
依子が獰猛な犬として組に飼われているように、尚子もまた愛玩犬のように父親に飼われ縛られているのです。
二人の逃走とその関係
依子のように男よりも強くあれば叩きのめされる、尚子のように従順であれば搾取される。
野生動物とお嬢様、一見共通点のない二人の女は、’’女''であることの苦痛をもとに、ある種のつながりを持ち、縛り付け搾取する男達から手に手を取り合って逃げ出します。
決して、友情や愛情からでなく、同じ苦しみを闘う他人として。
愛ではない。愛していないから憎しみもない。憎んでいないから、一緒にいられる。今日も、来年も、おそらく死ぬまで。 (p170)
表題のババヤガとは
ババヤガは依子の幼少期、祖母から聞いた鬼婆のことを指します。実際に民話としてあるようですね。
子どもをさらって食べたり、魔法を使って畑を焼き払ったり、純真な娘を助けたり、悪者か良い魔女か分からない強くて面白い鬼婆。
本書でのババヤガは、男や女といった枠を超越した解放を象徴する存在なのではないでしょうか。
ラスト、眩しい光に消え去るように海岸を北に向かう依子と尚子。このラストをどう見るかは読む人の見方次第ですが、私は、見事に人生をかけて闘いきりババヤガとなった二人の姿に、静かな拍手を送りたいです。
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