書にいたる病

活字中毒者の読書記録

『推し、燃ゆ』宇佐美りん | 【感想】生活の全てをかけて推しを推す、絶対に繋がらない関係に見出す癒しと絶望

今日読んだのは、宇佐美りん『推し、燃ゆ』です。

第164回芥川賞受賞作の本作ですが、読む前に思っていたよりずっと柔らかい話でした。

しかしながら、文体は柔らかいものの、内容は痛い!痛い!痛い!

人生ちゃんと生きている人は、主人公が可哀そうだなあ、で済むと思うんですが、私のような人生終わり気味のくそみそな人間が読むと痛すぎました。

でも読後感はそんなに悪くないのは不思議。

さて、あらすじと感想を書いていこうと思います。

あらすじ

女子高生のあかりは推しを推すことに生活の全てをかけている。ままならない日常を過ごすため全ての力を推しに依存する毎日。そんなある日、推しが女性を殴り炎上する。

おすすめポイント 

主人公のように推しを持っていなくても、人のように上手くできない、と一度でも思ったことのある人は刺さると思います。

 

注意! ここからネタバレします。

主人公と周辺の人々との関係

ざっと主人公の周りの人間をまとめます

・あかり:主人公、高校2年生、おそらく発達障害アスペルガー

・ひかり:主人公の姉、妹を気遣いつつも、家族との間で思い悩む

・あかりの父母:普通の生活が困難なあかりをどう扱っていいか分からない

・成美:あかりの友人

・幸代さん:あかりのバイト先の居酒屋の女将、あかりをくびにする。

・いもむしちゃん:あかりのフォロワー、あかりを落ち着いたしっかり者と思う

解釈しきれない関係がもつぬるま湯のような優しさと絶望

おそらく、10年度20年後の人がこの作品を読んだとき、ああ、この時代の人との距離感てこんな感じだったんだなあ、と思うのではないでしょうか。

それくらい、時代を切り取っていると思います。

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おそらく発達障害か何かをもち、家族やバイト先などの生の繋がりとは、全然上手く関われない主人公あかりは、推しと自分のフォロワーなど、一定の距離を保った存在としか関係を築けません。

そんな推しも、アイドルながら、どこか孤独な刺のようなものを見せ、人から一定の距離をとるような人物のように描かれていて、その一面にこそ主人公が推しを推す理由があります。

「おれが思ってることなんて、ちっとも伝わんねえなみたいな(p20)

この一言は、推しがラジオで発言した内容の一部で、この発言からすると、人からの無理解さを推しも主人公と同じく感じている、ということになります。

しかし、これは、主人公が運営するブログに掲載された文章なんですね。

つまり、推しの数ある発言のなかから、あかりが取捨選択して掲載したものなので、ある意味では、あかりの心の代弁でしかないのです。

推しの”作品も人もまるごと解釈するスタンス”をとり、推しに関する膨大な資料から推しの姿を解釈・咀嚼しようとするあかりは、推しがなぜ女性を殴ったのか、という問いを避け続けます。

それは、結局分からないからです。

推しがなぜ女性を殴ったのか、その理由も心情も背景も解釈する術は何もない。推しを実際に取り巻く現実には決して踏み込めない。それが現実です。

だからこそ、あかりは、最後、''洗濯物''という現実を象徴するアイテムに深く傷つけられます。

しかし、分からない、決して近づけない距離に安心を得ていたのも事実でした。

携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席に、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かして関係性が壊れることもない。(p62)

分からないから解釈しようとする、でも絶対分からないから安心できる、相反する思いから、深く深く虚構の関係に身をささげボロボロになっていく彼女の姿は痛ましく、虚しさを感じます。

本書は絶望か救いか

私自身に推しはいないのですが、私も、美容師さんやバーの店員さんとは初対面でも上手くしゃべれるのですが、なぜが人づきあいが続かないたちです。

多分、店員と客というカウンターを挟んだ関係じゃないと難しいんです。

店で「いつも来てくださってありがとうございます」とか言われると、しばらくその店に行かなかったりします。

なので、主人公あかりちゃんの行動がぐさぐさきました。

こんな風でも生きていけるのか、生きていけないのか。

本書は今、生きにくさを生きる全ての人にとって、どう映るのか、切実な問いを秘めた作品だと思いました。

今回ご紹介した本はこちら

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