『灰の劇場』恩田陸 | 【感想・ネタバレ】虚構と事実の狭間の灰色の劇場で、何者でもない彼女たちの物語が演じられる
恩田陸さんといえば、最近は映画化した『蜜蜂と遠雷』でも話題となりましたよね。
また、長年にわたり、ミステリー、ホラー、少女小説など幅広いジャンルで、しかも質の高い小説を書かれるちょっと信じがたい才能を持つ作家でもあります。
また、演劇についても造形深く、『チョコレートコスモス』という名作小説も書かれています。
今回ご紹介する『灰の劇場』もそんな演劇への造詣の深さが際立つ名作といえるのではないでしょうか
では、あらすじと感想など書いていきます。
あらすじ
おすすめポイント
・恩田陸『チョコレートコスモス』『ユージニア』などが気に入った方におすすめです。
・現実と虚構が混ざり合い崩壊する、心地よい浮遊感を味わえます。
3つの座標
本書は25年前に飛び降り自殺した2人の女性の【事件】を巡る物語ですが、【事件】は3つの座標から語られます。
各章ごとに付された、「0」「1」「(1)」の不可思議な数字は、読む進めると、どうやら3つの座標を示していることが分かります。
- 0:小説家の座標、25年前の【事件】をモデルに小説を執筆しようとする
- 1:【事件】の2人の女性、TとMの座標
- (1):舞台の座標、0で書かれた小説が舞台化され上演される
しかも、「1」の座標で語られるTとMの人生は''事実''なのか、「0」で生み出されたフィクションなのか、最後まで明かされません。
徹底的に匿名化された人物
固有名詞が全く出てこないのも本書の特徴と言えるでしょう。
【事件】の2人の女性は終始、TとMと表現され、おそらく主人公である小説家「わたし」の名前も出てきません。
また、(1)の座標で語られる舞台でも、演者の匿名性が重要なキーワードとなります。
執拗に抹殺される固有性、それにより、本書は、虚構が事実を浸食していくスリルをまざまざと味わう小説となっています。
虚構と事実の狭間の灰色の劇場
TとMがなぜ二人で自死を選んだのか、という作中最大の疑問には、一応「0」の座標で推測が語られますが、ここで読者は恐ろしい場所に置き去りにされます。
(1)の座標で語られるTとMの人生は本当に''事実''なのか、それとも「0」で小説家が生み出したフィクションなのか、そうだとしたら''事実''はどこにあるのか、いや、そもそも、この『灰の劇場』という小説自体がフィクションではないか、この物語に’’事実’’と呼べるものなど存在しないではないか。
最後、「0~1」という章が突如出現し、25年の時を超え、事実と虚構が一挙に混ざり合うとき、読者は、自らが事実と虚構の狭間にある劇場に放り出されたことを知ります。
事実と虚構、日常と非日常、その境界の余りの曖昧さに読者はぞっとすると同時に奇妙な安堵も覚えます。
なぜなら、その劇場には、時間を暗示する無数の灰色の羽根が降りつもり、事実と虚構も何もかもを覆い隠していくからです。
何も分からない、でも、何も知られることはない、ということだけを残して。
う~ん、さすが恩田陸、すさまじい小説でした。
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