『レストラン「ドイツ亭」』アネッテ・ヘス | 【感想】平凡な家庭が向き合うポストアウシュヴィッツの世界
今日読んだのは、アネッテ・ヘス『レストラン「ドイツ亭」』です。
著者のアネッテ・ヘスは、1967年ドイツのハノーファー生まれ。
テレビや映画などの脚本を多く執筆し、数々の賞を獲得しているとのこと。
本作は著者の初めての小説であり、ドイツで発表後、22か国語に翻訳され、海外でも高い評価を得ているとのことです。
では、あらすじと感想を書いていきたいと思います。
あらすじ
平凡な主人公と家庭
ーもし、自分の家族が虐殺に関与していたら。
あまりに恐ろしいこの問いに即答できる人は少ないのではないでしょうか。
本書の舞台は1963年のドイツ。終戦から20年が経過し、若いドイツ人のなかには、かつて強制収容所で何が行われていたのか知らない者も増えていました。
主人公エーファもそんな若者のひとりでした。
24歳で、職業はポーランド語とドイツ語の通訳者、実家は、家庭的なレストラン「ドイツ亭」を営んでおり、優しい両親、仲の良い姉と弟に囲まれ、唯一の悩みは彼氏のユルゲンが婚約を申し込んでくれるかどうか。
このごく平凡な女性が、1963年に開廷した「フランクフルト・アウシュビッツ裁判(正式名称はムルカ等に対する裁判)」に通訳者として巻き込まれていきます。
何も知らなかった
ー何も知らなかった
この言葉は本書の中で何度も登場します。
裁判に異様な執念を燃やす司法修習生ダーヴィドは、初対面のエーファにこう言葉を投げつけます。
「何にも知らないんだな、あんたらはみんな」(p33)
今では考えられませんが、この時代の若いドイツ人のなかにはエーファのように、自分の国でホロコーストがあった過去もよく知らない人が沢山いたのです。
エーファは通訳を担うこととなる「フランクフルト・アウシュビッツ裁判(正式名称はムルカ等に対する裁判)」は忘れさられつつあるドイツ人の(または人類の)罪を再度掘り起こす裁判でもあったのです。
事実、当時の世論もこの裁判について国内では反対派が多かったようです。
エーファは裁判で、証人のポーランド語の証言を翻訳する役目を与えられますが、証人の語るあまりに惨たらしく非人道的な収容所での経験にエーファはひどく動揺します。
しかし、あの人はあの場所にいたのだ、あの人がその人だ、と指さされると、被告人は肩をすくめ、「私は何が起きていたのか知らなかった」と嘯くのです。
ー私はその人を知らない
ー私はそんなところに行ったことはない
私たち読者はエーファの目を通して、かつて強制収容所で惨たらしい拷問や処刑を行ってきた男たちが、戦後、何食わぬ顔で、夫として、父親として、信頼できる職業人として「普通に」暮らしてきた事実に愕然とします。
そして、何も知らなかったと言い逃れようとする被告人らに強い怒りを覚えます。
当事者となる恐怖
しかし、本書はエーファにも私たち読者にも、ただの第三者でいること許しません。
やがて、エーファは自分の優しい両親がかつてナチス親衛隊に所属し、アウシュビッツ収容所でコックを務めていたことを知ってしまいます。
ダーヴィドにそれを問い詰められたとき、エーファは放った言葉は、これまで被告人が何度も口にした言葉「私は知らなかった!」でした。
またエーファの両親は憤る娘に、自分たちはそこで生活をしていただけで、強制収容所で行われていた殺人や犯罪については何も分かっていなかった、と一度は説明します。
しかし、エーファの両親は当時、隣人への告発状を国家保安部に送付したことがあり、この事実が裁判中に明らかになります。この当時、告発状を送ることは、隣人が死刑に処せられる可能性のあることでした。
つまり、両親はその場所で何が行われているか知っていただけでなく、ナチスの体制に加担すらしていた、ということになるのです。
そして、裁判に執拗にこだわるダーヴィドにも秘密がありました。
本書の初期から、アウシュヴィッツで兄が殺され、その死体を運んだ、という過去を何人かに打ち明けていたダーヴィドでしたが、実はそれは嘘でした。
ダーヴィドの家族はユダヤ人ながら、早くにカナダに亡命できており、彼はそのことで捕虜となったユダヤ人に逆説的なコンプレックスを抱いており、裁判への参加はそのコンプレックス故の行動だったのです。
しかし、アウシュヴィッツ=ビルケナウ記念博物館を調査団の一人として訪れたエーファとダーヴィドはその重みに打ちのめされます。
エーファはバラックを離れ、泣き始めた。涙をこらえられなかった。職員のひとりがエーファに近寄り、こう言った。「ここに来た人がそうして泣くのを、私はしばしば目にしてきました。アウシュヴィッツについてどれだけの知識があっても、じっさいにここに立つのは、それとはまったくちがうことなのです」(p306)
そして、自分が何の経験も持たない偽者であることを深く実感したダーヴィドは、自分がついていた嘘についてエーファに打ち明け、翌日調査団を去ります。
ささやかで小さな無視と無関心
本書には、実に多くの「知らなかった」という言葉が溢れています。
ー私は知らなかった
ー私はその場所にいなかった
ーその場所にいたけれど、何が起きていたのかは知らなかった
ー知っていたけれど、自分の力ではどうしようもなかった
本当は薄々気が付いていたのに、生活のため、家族のため、みんなそうしているから、しかたがないから、目をつぶってやり過ごす、知らないふりをする。そういった個人のささやかで小さな無視と無関心。
人類史上最悪の犯罪を生んだのは、異常者でもシリアルキラーでも危険思想の持ち主でもない、ごく普通の人間の小さな無視と無関心、つまり加害者は私達自身やその家族でもあり得る、そう本書は突きつけます。
無知だったエーファは償うことのできない罪に向き合い慟哭します。
自分は何もわかっていない人間なのだ。生きることについて。愛について。他者の痛みについて。フェンスのこちら側の正しい世界にいた人間には、収容所の中に捉えられていることが何を意味していたのか、けっしてわかりっこない。エーファは果てしなく自分を恥じた。(p365~366)
エーファの慟哭は、普遍性をもって私たちの胸を打ちます。
私たちはなぜ、先の戦争を許したのか。なぜ決して償えない罪を犯したのか。そして、安全な場所にいたものには、もはや泣く権利すらないのだ、と。
自らの罪と向き合い、感傷と嘆きに逃げず、深く深く恥じ入ること。
それが多くの罪を背負う私達人間の取るべき態度ではないか、と問われているような気がしました。
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