『シュガータイム』小川洋子 | 【感想】青春最後の日々・シュガータイムを透明な筆致で描く
はじめて読んだときは、そう心に残ったわけでもないのに、何故か何度も読み返してしまう本というのがありますが、本書はまさにそういう本です。
高校生くらいのときにはじめて読んでから、なぜか定期的に読み返してしまいます。
食べ物の描写が沢山出てくるので、食いしん坊な部分が刺激されているのか、淋しい夜を思わせる情景が懐かしく感じるのか。
ぜひ、手に取っていただきたい一冊です。
では、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
おすすめポイント
淡々と描かれる静かな夜の情景や、スーパーの食べ物一つ一つに魅力があります。
本書に出てくるスーパーマーケット「サンシャインマーケット」に行ってみたくなります。
主人公がパウンドケーキを焼くシーンの描写が見事。見所の一つです。
日常の中のささやかな異常さ
小川洋子の小説には「異常なもの」がよく登場しますが、本書でも大学に通う「わたし」の日常のなかにささやかな「異常」が紛れ込みます。
1.付き合っている恋人が不能であること
2.背の伸びない病気の弟
3.「わたし」の異常な食欲
1.2.については「わたし」はあまり気にしておらず、周囲の人間(母親・友人など)があれこれ口出しするのを疎ましく感じています。
そして、いつのころからか、「わたし」は信じられないくらいの食べ物を欲するようになり、食べたものを日記として残すことにします。
四月二十二日(火)
フレンチトースト四切れ(シナモンをかけすぎた)
セロリのサラダ 醤油ドレッシング
ほうれん草のココット
ハーブティー(口に残ったシナモンの香りを消すために)
草加せんべい五枚(ハーブの匂いを消すために)
ドーナッツ七個
キムチ百五十くらい(ドーナツが甘すぎて胸焼けしたから)
フランスパン一本(口の中がひりひりしたから)
ハヤシライス二杯
フライドチキン八本
ソルトクラッカー一箱
あんずジャム一口
これだけ食べても「わたし」は、食べる前と少しも変わらない、といいます。
私も高校生くらいのときはこれくらい食べていたような気もするのですが、今だったら絶対むりです。多分、「フレンチトースト四切れ」で一日終了します。
いくら食べてもお腹がいっぱいにならない、という現象は、ある種の寂しさを感じさせます。
著者の描く「異常さ」はどこか寂しく、慎ましやかとでも呼びたくなるような静けさに満ちています。
真夜中のパウンドケーキ
この小説を読むと途中で必ずパウンドケーキがつくりたくなります!
と断言できるほど、このシーンの描写は強烈です。
深夜、眠れない私は突如パウンドケーキをつくろう、と思いたちます。
砂糖を加えると、バターは若鶏の皮のようにぶつぶつしてくる。その甘さの粒がバターの脂にすっかり溶けてしまうまで、泡立て器を回し続けなければいけない。わたしの右腕は軽やかに回転していた。右腕だけが身体から切り離され、モーターを取り付けたようだった。少しも疲れていなかった。バターが全部蒸発してしまうくらい徹底的にかき回すこともできる気分だった。
描写は決して美味しそうではなく、むしろグロテスクとすら言えるのですが、なぜが、ぐっと目が引き寄せられてしまいます。ぶつぶつした砂糖の粒や、バターの脂が指に触れるようです。
孤独な春の夜の台所で静かに美しく焼きあがっていくパウンドケーキ。
詩情すら感じられる情景です。
サンシャインマーケット
本書の見所の一つが、主人公が通うスーパーマーケット「サンシャインマーケット」です。
いつも完璧に整頓され、すみやかに商品が補充され、数限りない種類の商品が揃うスーパーマーケット。
この完璧な店の中で、食事したり眠ったり思考したり笑ったり淋しがったりしたい、「私」は考えます。
「私」が恋人からの別れの手紙を開封する場所として選んだのも、このサンシャインマーケットでした。
静かな深夜のスーパーマーケットで、恋人がある女性と「シベリアの奥の小さな町の研究所」に共に行く、という非現実的な内容の手紙を読む、幻想的なシーン。
スーパーの照明や並ぶ食料品のパッケージの生々しい手触りまで伝わってくるようです。
主人公の青春が決定的に終わる瞬間でもあるこのシーン、大好きで何回も読み返してしまいます。
今回ご紹介した本はこちら
小川洋子の他のおすすめ作品