『紅蓮館の殺人』阿津川辰海 | 【感想・ネタバレなし】刻一刻と迫るタイムリミットのなかで、探偵の存在意義が試される。謎を解くことははたして善なのか。
今日読んだのは、阿津川辰海『紅蓮館の殺人』です。
・2020本格ミステリ・ベスト10 国内第3位
・ミステリが読みたい! 2020年度版 国内篇 第5位
・このミステリーがすごい! 2020年度版 国内編 第6位
と高く評価されている本作ですが、実は続編である『蒼海館の殺人』の方を、それと知らずに先に読んでしまいました。
恩田陸の神原恵弥シリーズを読んだ時も、3作目から読んでしまいましたが、そういう星の下に生まれついているのでしょう。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
おすすめポイント
館に集う怪しい男女というわくわくする設定に、迫る山火事というタイムリミットがスリルを倍増させます。
探偵のレゾンデートルというちょっと重いテーマに挑戦した意欲作です。
探偵の存在意義の変遷
最近、石坂浩二と古谷一行の「金田一耕助シリーズ」をネトフリで見まくっていたのですが、戦後すぐの混乱期が舞台で、事件も因習に満ちたおどろおどろしいものなのに、何故か、のどかだな~という感想を持ちました。
まず、名探偵とはいえ金田一耕助という民間人に警察がフツーに捜査情報を漏らしている設定からして、時代のユルさを感じます。この映画は1970年代ですしね。
それに加え、このころには、謎を解く探偵は''善''、犯人は''悪''という図式がはっきりあって、探偵が謎を解く理由を問われることなんてあまりなかったように思います。
時代がすすみ、、物語のなかであっても、警察が一般人に捜査情報を漏らしてくれなくなったいま、探偵に推理させるためには、
・探偵自身が警察関係者である
・探偵自身が探偵行為に何らかの執着を持っている
のどちらかが必要になったということなのかもしれません。
つまり探偵がなぜ問題を解かねばならないのかという点が、推理小説のキーワード足りえるとうになってきた、ということでしょうか。
消極的な名探偵たち
それ故に、2000年代には、優れた洞察力を持ちながら、事件に積極的に関わることを嫌がる探偵像も頻出するようになりました。
2001年から始まった米澤穂信『古典部シリーズ』の探偵役・折木奉太郎、2004年の津原泰水『ルピナス探偵団の当惑』の吾魚彩子、2008年の北山猛邦『名探偵音野順の事件簿シリーズ』の音野順、などがその類ですね。
ちなみに、それに先立つ、1993年には北村薫が『冬のオペラ』にて、探偵であることの宿命とその哀しみを描いています。名探偵であることが職業でなく生きざまであることを1990年初頭にすでに書いていた北村薫はやはり只者ではないな、と思います。
『紅蓮館の殺人』での名探偵たち
さて、本書『紅蓮館の殺人』の探偵・葛城は、嘘を憎み、正義を重んじ、自ら進んで探偵であろうとする昨今では少々珍しい熱血型です。
そして、それと対照的に描かれるのは、探偵であることに絶望しきった、かつての名探偵・飛鳥井光流。
ワトソン役は葛城の同級生である僕・田所信哉。
飛鳥井は葛城に突きつけるのは、謎を解く行為が周囲の人間を巻き込み不幸することがあるという単純な事実です。そして、謎を解いて喪ったものは二度と取り戻せない、ということも。
事実、葛城は最後の最後まで、自分のせいで他人が害されたことを、飛鳥井に指摘されるまで気づくことができませんでした。
誰かを喪っても、謎を解くことで誰かが不幸になっても、探偵を続ける意味ははたしてあるのか。
えてして、悩める探偵を楽観的に救うのはワトソン役と決まっています。
次刊で葛城がその葛藤を乗り越えることができるのかは、ワトソン役である田所にかかっている、といえるでしょう。
巧みな伏線と登場人物を使いこなす技量
探偵の存在意義を酷薄ともとれるほど追求する本書ですが、トリックのアクロバティックさ、張り巡らされた伏線にこそ、本書の真の価値はあるといえます。
様々な仕掛けが組み込まれた奇々怪々な館・落日館。
何かを隠している館の住人と、火事で避難してきたという怪しげな男女。
刻一刻と迫る火の手。
手に余るような盛りに盛られた設定と個性豊かな登場人物を著者は巧みに使いこなし、読み終われば、無駄な登場人物・記述は一切なく、その見事な着地に感嘆のため息が出てしまいます。
う~ん、あそこもあそこも伏線だったのか。
伏線が小気味よく張られているので、この本は2回読み返すと別の楽しさが出てくると思います。
後、館ものは、建物の構造をよく理解せねばならず、読者としては理解がしんどいことがあるのですが、本書では、ページごとに解説図が丁寧に付されているのも嬉しい点でした。
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