書にいたる病

活字中毒者の読書記録

『ファミリーポートレイト』桜庭一樹 | 【感想】母と娘の呪いのような愛憎、物語ることの渇望

今日読んだのは、 桜庭一樹ファミリーポートレイト』です。

2008年に『私の男』で第138回直木賞を受賞した直後に発売された書き下ろし長編です。

母親と娘の逃避行と、永遠に失われた幸福の後の足掻きと苦しみが幻想的で緊迫したタッチで語られます。

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』『私の男』『赤朽葉家の伝説』など、家族というある種の呪縛と愛憎を描いた小説を数多く手がけている著者の集大成ともいえる一冊でした。

それでは、あらすじと感想を書いていきます。

あらすじ

 母・マコと逃避行を繰り返す娘のあたし・コマコ。城塞都市に住む老医師や奇妙な海辺の温泉街、豚の解体工場の暴力的な社長、そして、大富豪の屋敷。悪夢のような旅の中で、コマコは成長し、言葉と物語を得ていく。しかし、やがて呪いのように固く結ばれた母娘に別れのときがやってくる。ママを失ってからの抜け殻のようなコマコは生きる苦しみを物語に乗せて叫ぶ。ママ!

 おすすめポイント 

著者独特の甘く暗い、幻想的な物語が怒涛のように紡がれるのに圧倒されます。

第二部では直木賞作家である著者の自伝的要素が描かれるのも見所です。 

本書の構成

本書の構成はごく単純で、第一部で母親のマコと娘のあたし・コマコの浮世離れした逃避行が描かれ、第二部ではママを失ったコマコが喪失に藻掻きながら作家になるまでの過程が描かれます。

第一部 母娘の呪われた幸福の逃避行

老医師が住む城塞都市のような不思議な町や、遊郭のような温泉街、悪夢のような豚の解体処理上の社長宅など、美しい母親であるママとその小さな娘であるあたし・マコの旅は、ときに幻想的で、ときに悪夢のようです。

ママはコマコを自分の小さな分身か所有物のように扱い、ときに可愛がり、ときに虐待染みた行動を繰り返します。

自分の惨めさや自分へのちっぽけな愛情を、自分のちいさな分身たる娘に、サンドバックのようにたたきつけているように。

それでもコマコは「ママのちいさなコマコ」たる役割を引き受け、ひたすらに母親を愛し続けます。

なぜなら、たとえどんな親でも、愛さずにいられないから。

それはまるで呪いのようです。

あなたとは、この世の果てまでいっしょよ。呪いのように。親子だもの。

しかし、2人の呪われた''幸福''な時間はコマコの成長により、終わりへと向かいます。

背が伸び、青年のような容姿になっていくコマコと、徐々に容色が衰えていくママ。

ママは夜ごとコマコに暴力を繰り返すようになり、コマコは、成長し、「ママの小さなコマコ」でいられなくなる自分を呪います。

そして、十四歳になったとき、決定的な別れが訪れ、ママは姿を消し、コマコは初めて出会った父親に引き取られることになります。

第二部 第二の呪い・物語ることへの強迫観念

ママと別れた後のコマコは余生のような抜け殻の人生を歩みます。

ママといた十年間の''幸福''からコマコは立ち直ることができません。

お酒とタバコ、そして本に囲まれた自堕落な生活。

そして、コマコは入り浸っていた文壇バーで、ついに、第二の呪い''物語''と出会います。

自分の心臓をえぐりとるように、観客に、ママを失ってからの苦しみを、その生々しい傷口を晒すコマコ。

……助けて。

苦しい。もうなにも語りたくない。

冗談交じりにつぶやいてみる。呻き声にしかならない。四肢が萎えて、震える。

物語はいまやあたしの声!

言葉を持たないあたしのための、あたしの苦しみを語る、第二の、つめたい唇。物語はあたしの悲鳴。あたしの怒り。そしてあたしの裏返しの天国だった。

 

ママ!

 

やがて、読者にとって、コマコと著者の姿はオーバーラップし、物語ることへの強迫観念、鬼気迫るその姿に圧倒されながら、眼を離せなくなっていきます。

夜の片隅でとぐろをまき、酩酊しながら、返事さえせず、夜ごと原稿に向かう異形の生き物。作家という生き物。

物語とは、何なのか。そこまでして、物語らずにはおれない作家とは、どういう人種なのか。

「あなたのほうこそ、なにもわかっていない。余暇でつくったような舞台を、お客さんはわざわざお金を払って観にこない。物語とは血と肉と骨の芸のことだよ。供物だよ。なにに余暇だなんて……」

のたうちながら、コマコは語り続け、書いた物語が大きな賞をとったり、恋人に嫌われたり、また元に戻ったり、なんと妊娠したりします。

十四歳で人生が終わったと思っていたコマコは、いつの間にか三十三歳になり、信じられないことに人生を確かに生きています。

幻想的で、悪夢のようだった第一部から、コマコは一ページ一ページ進むごとに、一つ一つ物語るごとに現実に近づいていきます。

そして、妊娠という出来事で、コマコの周りを立ち込めていた呪いと死の影は薄れ、現実の幸福が顔を覗かせます。

この子は長くは生きないだろうと、感じていた私も、コマコの妊娠により、やっとほっと胸をなでおろします。もう、大丈夫。もう、人並みに生きていけるだろう、と。

本書は呪われた暗黒の家族の物語なのですが、私にとっては、コマコの人生に母親のようにハラハラしたり心配したりする物語でもありました。

最後のシーンは、この世の母と娘の幸福な、そして失われた一瞬の時間に、祈りを捧げたくなるものでした。

今回ご紹介した本はこちら

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