『物語を忘れた外国語』黒田龍之助 | 【感想】物語と言語との間を自由に飛び回る著者の遊戯三昧の読書記
著者の黒田龍之助先生は1964年生まれなので、今年(2021年)、57歳になられそうです。
エッセイを読むとき年齢が分かると、なぜか安心するのはなぜでしょう。
ロシア語などのスラブ語が専門とプロフィールにはありますが、実際には、それよりもっと沢山の言語を扱うことのできる学者さんのようです。
私のような、物語中毒者には意外なのですが、言語学を専門とする先生方は物語を読まない方が多いのだそうです。
「無味乾燥で干上がった語学畑の崖っぷちから落ちそうになる学習者たちを」潤いに満ちた物語に誘うことに日々勤しんでおられるそうです。
他言語を操る黒田先生の縦横無尽の読書遍歴と、良い意味で学者然としていない、その自由闊達なお人柄が知れる文章に、こちらもリラックスして向き合うことができました。
では、あらすじと感想を書いていきます
あらすじ
細雪のロシア人一家はウクライナ人ではないか、と憶測したり、物語に登場する言語学者の変人さを現実を顧みて笑ってみたり、失われたソ連文学の他言語世界に望郷の念を抱いたり、読書、映画、言語の間を周遊する名エッセイ。
おすすめポイント
谷崎潤一郎や横溝正史、吉田修一などの大正~現代文学を、他言語で読み解く楽しみを教えてくれたり、洋書を読む楽しみやコツを伝授してくれたり、文学好きにはたまらないエッセイです。
勉強のためだけじゃない、人生を豊かにする言語学習の楽しみ教えてれます。
言語学者は文学を読まない?
黒田先生は第一章で当たり前のように、さらっと書かれているのですが、私はこの部分に実は一番驚きました。
私のような物語中毒者にとって、他の言語が出来るという意味はイコールで、その言語で原書が読める、い~な~、という意味だからです。
しかし、続く先生の言葉は非常に耳が痛い。
言語学を志す者は文学を読まない。
文学が好きな者は言語学を学ばない。
たまに両方に興味を持っている学生がいても、今度は歴史を知ろうとしない。
痛い痛い痛い!
中学~大学まで英語を学んだはずなのに、今だ一切、英語で読書をしていない身としては、ぐうの音も出ません。
それというのも、先生のおっしゃる通り、日本の外国語教育は検定試験の問題集をひたすら周回するなどの「体育会系」で、会話至上主義的なのだそうです。
うーん、私が英語習得がままならないのは、強烈な体育会系アレルギーのせいだったのかも?、と現実逃避しかけてしまいました。
それに比べ、先生は、ロシア語・ウクライナ語・ベラルーシ語などのスラブ言語を専門に、チェコ語、英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語など、ちょっと気絶しそうになるくらい沢山の言葉を読んだり喋ったりできるそうです。
……やっぱり、ちょっと気絶しかけてます。
先生、先生、と親しみたくなる文章
そんなすごい先生が、こちらも大好きな文学作品について、あれこれ喋ってくれる、これが楽しくないはずありません。
まるで目の前にテーブルをはさんで喋ってくれているかのような自然でユーモラスな文章に、もうこちらが勝手に「先生、先生!」と懐いてしまいます。
会ったことも講義を受けたこともないのに、まるでゼミの恩師を思い出すような親しさを感じます(もちろん黒田先生のゼミ生は私とは比較にならない優秀な学生さんばかりでしょうが)。
横溝正史などの往年のミステリを題材に、古典作品や違う社会背景について描いた作品であっても、他言語で読む妨げにはならない、と教えてくれます。
最初に映画を見てから、原書を読んでもいいし、邦訳から先に読んでもいいし、筋を知っている日本文学の英訳を読んでもいいし、分からないことがあれば、なんとな~く読み進めていけばいいし、と先生はとにかく優しいです。
自由な読書の背景
チェコのバラウツキー大学で行った講演の際、日本留学の経験をもつ大学院生がこう質問したそうです。
「『コーリャ』は社会的背景などが難しいから、外国人には分からないといわれていますが」
わたしはこの質問が不思議でならなかった。
そういう君たちだって、社会主義時代にはまだ生まれてもないでしょ?
これには、目から鱗がボロンと落ちる思いでした。
私も、『犬神家の一族』なんて、日本の戦後の習俗が分かってない外国人には難しいんじゃない?、と私も内心高をくくっていたところがあったんです。
でも、ずばり指摘される通り、私だって、その時代まだ生まれてたわけじゃないんです。それなのに、知ったような態度をとって、恥ずかしい!
そして、この分からないもの、"未知のもの"にたいする胸襟の開き方が、先生の縦横無尽自由闊達な読書(映画)遍歴の背景なのだ、と感嘆しました。
分からないなんて当たり前なんだから、こっちで遊ぼうよ、と楽しいところに誘ってくれているような本書に、あ、もう一度、英語か何か勉強しようかな、それで何か読みたいな、とまんまと思わされてしまいました。
まるで、どこかに一緒に飲みに連れて行ってもらった後のような気分になる、めちゃくちゃ楽しいエッセイでした! おすすめです!
今回ご紹介した本はこちら