書にいたる病

活字中毒者の読書記録

『サード・キッチン』白尾悠 | 【感想・ネタバレなし】理解が欲しいわけじゃない、ただ受け入れてほしい。自分の、あなたのそのままの姿を。

今日読んだのは、白尾悠『サード・キッチン』です。

1998年、都立高校を卒業後、アメリカに留学した女性が、言語の壁や、様々なカルチャーショックを通して、臆病な自分と対峙していく物語です。

2020年の「ジョージ・フロイド事件」以降、「Black Lives Matter」という言葉をよく耳にするようになりました。

本書のなかでもこの言葉は出てきます。

マジョリティがマイノリティを迫害する。分かりやすい構図ですが、現実はもっと複雑で、"差別"や"文化の盗用"は、被害者と加害者が常に入れ替わりながら存在し続けます。

主人公は、そんな世界と自分との距離に絶望しながら、その距離を少しでも近づけようともがきます。

そんな彼女の姿に、私たちは今、どう考えて生きればいいのか一筋の光を見い出すことができるのではないでしょうか。

それでは、あらすじと感想を書いていきます。

あらすじ

1998年、都立高校を卒業した尚美は、アメリカの大学に留学する。
英会話もおぼつかず、社交的な性格になれない尚美は、友人もできず勉強だけをこなす孤独な日々。そんな日、偶然交流をもった隣室のアンドレアと共に、学生が共同で運営する食堂「サード・キッチン・コープ」に誘われる。そこは様々なマイノリティが集うセーフゾーン(安全地帯)だった。

おすすめポイント 

人種差別問題や経済格差、LGBTQなど2021年現在も議論され続けている様々な問題の萌芽を見ることができます。

自分が偏見や差別の加害者足りえるという、しんどい事実をありのままに提示されますが、読み終わった後、少しだけ自分や他者への見方が変わります。

 

なるべくネタバレしないようにしますが、気になる方はご注意ください。

セーフゾーン(安全地帯)

ナオミは、留学当初から友人もできずしんどい想いをいくつもします。

同室のクレアは、所謂「イケてる系」で、付き合いづらいし、同じ日系人学生は、私立高校出身で裕福な家から進学してきた英会話ペラペラの子だったり、逆にアメリカで育った日系人であったりで、裕福とは言えない家から、英会話もままならず進学してきたナオミは身の置き所のない疎外感を味わい続けます。

マイノリティ学生のセーフゾーンとして存在する「サード・キッチン」は、ナオミに留学してはじめて、ほっとする場所を与えてくれます。

そこでは、周囲に合わせてあるべき姿である必要がなく、ナオミという個人として皆が尊重してくれるからです。

誰しも自分がありのままでいられる安全地帯が必要、その信念によって運営されているのが「サード・キッチン」です。

自分が加害者となる恐怖

しかし同時に、サード・キッチンでの日々は、ナオミにとって自分のなかの偏見や見えない差別意識と正面から向き合うことでもあります。

特に、韓国系のジウンに対して、ナオミは苦手意識を克服できずにいます。

植民地支配という歴史から来る罪悪感と、講義中、ジウンの発表を聞きそびれたというほんの些細なミスへの罪悪感、そしてナオミが幼少期に行ったある過ちが、ナオミのなかでぐちゃぐちゃに混ざり合って、ジウンへの苦手意識をつくりだしています。

また、ジウンとのことを相談したニコルのことも、彼女がクィアということで反射的に拒絶するような態度をとってしまいます。

潜在的な偏見や差別意識、それは誰しもが持つもので、それを自覚してしまった瞬間、自分が加害者である恐怖にさらされます。

本書の時代背景 

本書ではわざと時代背景を現在とはずらした1998年に設定しています。

1998年、それは湾岸戦争からイラク戦争の間の時期にあたり、学生たちは、イラク攻撃に対する反対運動に参加しています。

また、主人公の両親や教員の世代はベトナム戦争反対運動に関わっていた世代ということになっています。

主人公が、イラク攻撃に反対するティーチ・イン(学内討論会)に出席するシーンは本書中で重要な位置をしめています。

ここで、主人公・ナオミが人の分断に対する無力感が払拭される出来事があるからです。

ある黒人学生が叫んだ一言がナオミの心に火を灯します。

「黒人、白人、ラテン、アジア、どんな肌だろうと国だろうと命だ! 民主主義の火は尊い? アメリカ人の命は重い? イラク人の命だってそうだろう!」

American lives matter? Iraqi lives matter?, too!

自分は、あなたは、何者か

「You are not Korean enough(お前はちゃんとした韓国人じゃない)」

彫刻科のアート作品に掲げられた言葉です。

ロサンゼルスと韓国にルーツを持つジウンは、同国人から韓国語を馬鹿にされ、アメリカ人からはアジア人として"見られて"います。

ナオミはこの言葉にドキリとします。

アメリカで育った日系人の日本語を、彼らは"日本人"じゃない、本当の"日本語"じゃないと馬鹿にしていた自分がいたからです。

自分も差別や偏見を持っている、反射的に目をそらしたくなる事実にもナオミは目をそらしません。

自分のなかの醜い感情とまっすぐに向き合い、時に失望しながらも、人との関わりのなかに希望を見出そうとあがきます。

 

「私、無知だし、いろんな、差別、偏見、不公正、持ってて。いろんな人に、いろんなことにも。考えても、わからない。進まない。どこまで、反省する? 考えなければ、いけない? 終わりない、耳の痛い。でも……」

「あなたや自分のこと、知りたいから、考える。100パーセントわかる、きっと、ない。でも、あきらめないで、考え続ける、続けたい。私の言葉……伝わってる?」

 

私は、あなたは、何者なのか。

こんなに遠い世界に住む私たちの間で言葉は伝わるのか。

本書は、様々な問いに示唆と希望を与えてくれる一冊です。

今回ご紹介した本はこちら

こちらもおすすめ