書にいたる病

ものがたり大好き主婦の読書記録

『JR上野駅公園口』柳美里 | 【感想・ネタバレなし】漂泊する死者の独白によって浮き彫りにされる私たちの歴史の影と死者への祈り

今回ご紹介するのは、柳美里JR上野駅公園口 (河出文庫)』 です。

2020年度全米図書賞(National Book Awards 2020)の翻訳部門を受賞した作品です。

日本の歴史の影を具現化したかのような一人の男の生涯を、漂泊する魂の独白雑踏から聞こえる無数の声によって語らせる詩的な小説です。

読み終わった後、文字通り何もかもを波がさらっていったかのような虚脱感に襲われました。

それでは、あらすじと感想を書いていきます。

あらすじ

 1933年、男は「天皇」と同じ日に生まれた。そして1960年、息子の誕生のそばで、ラジオからは「皇太子妃殿下は、本日午後四時十五分、宮内庁病院でご出産、親王がご誕生になりました。御母子共にお健やかであります」という声が聞こえていた。
1963年、東京オリンピックの前年、男は福島県相馬郡八沢村から出稼ぎに上野駅におりたった。日本の歴史の影を背負うかのような一人の男の生涯が彷徨う死者の独白によって語られる。

おすすめポイント 

芸術性とメッセージ性の高い文学作品をお求めの方におすすめです。 

本書は邦書ですが、むしろ翻訳文学が好きな方のほうが気に入るかもしれません。

なるべくネタバレしないようにしますが、気になる方はご注意ください。

無かったことにされる人々の無念

「単行本版あとがき」によると、著者は2006年から3回にわたりホームレスの「山狩り」の取材にあたったといいます。

「山狩り」とは、皇族の行幸啓直前に行われる「特別清掃」のことです。

上野恩賜公園近くのビジネスホテルに宿泊し、ホームレスの方々が「コヤ」を畳みはじめる午前七時から、公園に戻る五時までのあいだ、彼らの足跡を追いました。

真冬の激しい雨の日で、想像の何倍も辛い一日でした。

告知は、「コヤ」に直接貼り紙を張る方法で行われ、早くても一週間前、時には二日前の時もあるといいます。

本書には実際の特別清掃時に張られた文言がそのまま引用されています。

また、テント村の荷物には整理番号がつけられます。

〈●いつも荷物(にもつ)の外側(そとがわ)の見(み)えるところにつけておくこと。

●この番号表(ばんごうひょう)の貸(か)し借(か)りや譲(ゆず)り渡(わた)しはできません。

●ほかの人(ひと)の荷物(にもつ)などをあずからないこと。

●荷物(にもつ)は必要(ひつよう)なものだけにして、大(おお)きくしないこと。

●次(つぎ)の更新(こうしん)については、平成(へいせい)24年(ねん)8月(がつ)になったらお知(し)らせします〉

と、漢字の後にいちいち平仮名の読みが入っていて、かえって読みづらいのだが、ホームレスたちには小学校卒業程度の学力もないと思っているのだろう。

社会の底辺の存在として蔑まれ、行幸啓の際にはいないことにされる。

確かにここに存在しているのに、そこに至るまでの個人的な歴史を無視して、いないことにされる人々の無念と怒りが胸を刺します。

地方に押し付けられた貧しさとリスク

本書では、すでに死者となった男の独白と上野駅の雑踏の声が交互に入り混じりながら、高度経済成長期の影を背負った男の生涯が明かされていきます。

実の母親から「おめえはつくづく運がねぇどなあ」と称された生涯。

福島県相馬郡(現南相馬市に生まれ、貧しい家庭を父と共に支え、1963年、東京オリンピックの前年に出稼ぎのために上野駅に降り立ちます。

この地に原発を誘致する以前は、一家の父親や息子たちが出稼ぎに行かなければ生計が成り立たない貧しい家庭が多かった、という話を何度も耳にしました。(あとがき)

そして、東京オリンピック会場建設は主人公のような東北出身の安価な労働力に依存していた、とあります。

ここで浮き彫りにされるのは、中央の熱狂の裏で搾取される地方の労働力と、貧しさ故に押し付けられた「原発」という大きなリスクです。

この巨大なリスクは2011年3月11日のあの日、最悪の形で噴出します。

目を開いて自分の立っている場所を見よ

貧困のなかで必死に働き、子供を育て、そして何もかも失い、帰る家さえ失った主人公の痛苦は本人の責任に因るものなのでしょうか。

中央の発展を象徴する「上野駅」という場所にふきだまるホームレスたち、彼らがその境遇に陥ったのは、努力が足りなかったからでしょうか、運がなかったからでしょうか。

自己責任論が横行しようとしている今、本書は私たちに「目を開け」と訴えかけます。

多くの人々が、自分が立っている場所は自分で手に入れたと思っていることでしょう。

実はそうではないかもしれない、自分の立っている場所、その安定と繁栄は「フクシマ」が象徴する地方の忘れられた無数の死者たちの犠牲により成り立っているのかもしれない。

本書は安穏と生きる私たちに、鋭い切っ先を向けます。

そして、同時に本書には失われ忘れられた命への深い哀悼が込められています。

是非、この薄い冊子に込められた深い芸術性を堪能してください。 

今回ご紹介した本はこちら

柳美里の「山手線シリーズ」