『乱鴉の島』有栖川有栖 | 【感想・ネタバレなし】王道の孤島ミステリ。精緻なロジカルと当時の最先端技術に寄せる著者の倫理的態度が融和する傑作
所謂「作家アリスシリーズ」 の長編にあたり、孤島もののミステリに位置づけられます。
年代が2000年代初頭なので、携帯電話が一般的に普及しはじめたけれど、スマホはもう少し先、パソコンでインターネットを使用している人も半々という過渡期で、そこがまた味となっています。
孤島に引きこもる孤老の天才詩人とその崇拝者たち。
迷い込んだ探偵と助手。
ちらちら垣間見える秘密。
満を持して起きる事件。
これぞ、ミステリファン垂涎の王道の作品です。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
おすすめポイント
孤島ものの王道ミステリが好きな方におすすめです。
2000年代初頭のリアルな空気感を歴史的かつSF的に楽しめます。
エドガー・アラン・ポーの詩に対する文学談義などが盛り込まれている点も面白いです。
ネットの普及と孤島ミステリ
今や全世界を覆うネットの普及により、”孤島もの”は小細工を弄さないと描けない天然記念物化しているのでは無いかと思います。
先日ご紹介した2020年に刊行したばかりの、『楽園とは探偵の不在なり』も、SF的世界観を導入することで、”孤島”を実現させています。
本書『乱鴉の島』が刊行されたのは2006年、携帯電話は一般的に普及したもののスマホはまだ先、パソコンの普及率は68%ほどという非常に微妙な時期に描かれた作品です。
火村とアリスも携帯電話を所有している描写はあるものの、訪れた烏島にあるパソコンはただ一台だけ、事件発生後、パソコンを調べるシーンで、登場人物の一人が、「インターネットエクスプローラーの履歴を調べるところまで思い至らなかった」等の発言をするなど、今では到底考えられないシチュエーションです。
そして、この一台しかないパソコンとそこから繋がった未だか細いネットの線が、物語で重要な役割を果たします。
まさに、ネットが”孤島”を浸食しようとする寸前を切り取り、更にそれを逆手に取った貴重な作品ではないでしょうか。
2021年の私たちは、この作品を過去の遺物ではなく、歴史的に、またはSF的に楽しむことのできる贅沢な時代に生きていると言えるでしょう。
クローン技術によって描かれる永遠と愛
本書のなかでもう一つ重要なキーワードにクローン技術があります。
本書が刊行された前年の2005年は、韓国で「ヒト胚性幹細胞捏造事件」が発覚し、不法卵子の売買、論文の捏造、クローン技術に対する倫理的問題が噴出した年です。
もし、クローン技術により愛する人を蘇らせることができたら、自分を複製し永遠に生きることができたら、という問いは、この時代ごく自然であり、それでいて、あまりにグロテスクで生々しいものだったのでしょう。
一方、エドガー・アラン・ポーと最愛の妻であり従妹であったヴァージニアとの関係に重ねて描かれる、老詩人・海老原瞬とその夭逝した妻に寄せる哀切の念、「短すぎた」という一言に込められた万感の思いはミステリという枠を超えて人の心を打つものがあります。
本書で、クローン技術は永遠を、愛は刹那的な生を象徴しているように感じます。
愛と永遠に対する先の問いに対し、本書は登場人物の一人の医師の口を通してこう語ります。
ゾウリムシのように細胞分裂をして永遠に自己を複製する生物は、他者と出会わないのだから、愛も憎しみも知らない。それこそが永遠だ。愛を知るのは、永遠から切り離されて一瞬を生きる者だけ。一瞬を生きる哀しみと苦しみは、一瞬を生きる幸せと喜びを保証してくれる。そう信じる。信じても哀しくて、それでも信じる。
いかにも良心的で善良な著者らしい言葉だと思います。
本書では、ミステリ的な精緻なロジカルによる犯人当てと、インターネット、クローン技術という最先端の技術の倫理的問題に向ける著者の態度が見事に融和した稀有な作品です。
ぜひ、一度堪能していただきたいです。
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