『朱色の研究』有栖川有栖 | 【感想・ネタバレなし】人を狂わせる魔的な夕焼けが支配する。意外な犯人とそこに至る精緻なロジックに驚嘆する本格推理小説。
所謂「作家アリスシリーズ」 の長編で、1997年に刊行されたものです。
バブル崩壊直後の、あ~なんか不景気やな~、という落ち込んだ退廃的な雰囲気と、カミュ『異邦人』を思わせる世界の終わりのような焼け付く夕焼けが重なって得も言われぬ情緒が感じられる小説です。
また、著者の本格推理小説に寄せる哀しみに近い想いが、登場人物の口を通して語られる興味深い作品でもあります。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
ところが、調査をはじめた矢先に当時の事件の関係者であり朱美の伯父の山内陽平が殺害され、不可解な電話をもとに駆け付けた火村と友人で推理小説家の有栖川有栖はその第一発見者となってしまう。
犯人の挑戦に、2人は2年前の事件が起きた和歌山へと向かう。
おすすめポイント
探偵と助手という王道の本格推理小説をお求めの方におすすめです。
著者の本格推理小説に寄せる想いが切々と語られるのも見所です。
本格推理小説に寄せて
本書のなかで、有栖が火村の教え子の朱美に、「たいていの推理小説の中で人が殺されるのは、なぜか」という問いを受けます。
これに対して、「推理小説が持つ独特の切ないような興趣というのがあるんですが」と語ったうえで、
「人は、答えてくれないと判っているものに必死に問い続けます。(略)死者にも問う。私を本当に愛してくれていましたか? 私を赦してくれますか? 泣いても叫んでも、答えはありません。相手は決して語りません。それでも、また問うてしまう。ーそんな人間の想いを、推理小説は引き受けているのかもしれません」
「推理小説が持つ独特の切ないような興趣」というのは実感的に理解できるような気がします。
謎が現れ、それを解いてみせる。
これだけの単純な様式が、なぜ長年にわたり人を魅了し続けるのか、不思議に思うことがあります。
ワクワクするような魅力的な謎が提示され、それが手品のようにスルスルと解き明かされるなかで、私たち読者はその華々しさを楽しみながら同時に哀しみに近い感情を抱きます。
そして、その哀しさに魅入られるように、もっともっとと謎を求めます。
合理的かつアクロバティックな推理が披露されるとき、私たちは一時的に人生のある種の哀しさから解き放たれたような気持がします。
そして、その一時的な解放を求め、更に複雑かつ精緻な謎を求め、本格という深い森に迷い込んでいきます。
本格推理小説などにのめりこむものは、皆等しくジャンキーなのでしょう。
不条理な焼け付くような夕景
本書は王道まっすぐの本格推理小説で、意外な犯人!という面では、大いに驚かされました。
ただ、他の読者が指摘するように、動機が少し弱いのでは、という面も確かにあります。
しかし、その不条理さこそ毒々しいオレンジ色の夕焼けに覆われた本書に相応しいものではないでしょうか。
「プロローグー夕景」で、まだ名も無き犯人は世界の終わりのような毒々しい夕焼けのなかで、ふと立ち止まります。
古人はこんな刻、道行く人々の間からひょいと洩れ聞こえてくる言葉をつかまえ、意味があるはずもないその言葉に運命を、何事かの吉兆を訪ねた。夕占という。
そして、雑踏から聞こえてきた暗示は、ぞくりとするものでした。
ばれるわけないって。
殺してしまえ。
ーえ?
背筋にぞくりと悪寒が走った。
その人物ー火村が戦うことになる殺人犯が、夕占のお告げを受け取った瞬間だった。
「魔が差す」というのはよく聞く言葉ですが、人智を超えたかのような圧倒的な夕景にさらされたその瞬間、犯人は魔に魅入られてしまったのでしょうか。
また、本書のキーパーソンで火村の教え子の朱美は、名前に「美しい朱」を冠しながら、「夕焼け恐怖症」という世にも奇妙な症状に悩まされています。
誰もかれもを飲み込んでいく”世界の終わりのような夕焼け”の魔的な描写には、酩酊するような奇妙な感覚、何があってもおかしくないような不条理さが満ちています。
この恐ろしい小説においては、犯人の動機も余人には理解しがたいものでなくてはいけない、そんな気さえしてきます。
これから、ものすごい夕焼けを見るとき、見蕩れるより先に、この物語を思い出し、ぞくっとしてしまいそうな気がします。