『i』西加奈子 | 【感想・ネタバレなし】この残酷な世界にアイは存在するのか。生きることへの祝福に満ちた物語
「この世界にアイは存在しません。」
アメリカ人の父と日本人の母との間に養子として育てられたアイは、その繊細さと聡明さで、自分の”恵まれた”境遇に罪悪感を抱きながら育ちます。
世界中で沢山の人が苦しく辛い思いをしていることを真面目に受け止めると、ほとんどの人は息が詰まって生きてはいられないでしょう。
これは、その息苦しさのなかを足掻きながら、それでもその苦しさを苦しみのまま受け止めることに決めた少女の生の旅の物語です。
この世界にアイは存在するのか、ぜひ本編でそれを確認してみてください。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
裕福な両親に何不自由なく育てられているのに、その恵まれた境遇がなぜか苦しい。
アイは、世界で悲惨な事件が起きるたび、その犠牲者の数をノートに記録しはじめる。
なぜ、私が選ばれたの?
私は誰かの幸せを奪って生きているの?
切実な叫びを胸に、アイは親友と出会い、大切な人と家族になり、そして胸が潰れるような痛みを経験し、成長していく。
「世界にアイは存在するのか」を探しながら。
おすすめポイント
幼少期、繊細だった方は主人公に共感できると思います。
日々、目にする痛ましいニュースをどう受け止めればいいか分からず苦しんでいる優しい方におすすめします。
幸せの息苦しさ
私は養子ではありませんが、主人公にアイの両親に遠慮してしまう気持ちがなんとなくわかります。
でも、アイみたいに「グッドガール」ではいられませんでした。
高校生くらいのとき反抗期が来たのですが、言いたいことがあっても「生活費出してもらってるから、学費出してもらってるから」とぐっと我慢し、我慢しきれず爆発、ということがよくありました。
母親も喧嘩になると「卒業したらお金は出さない!家からも出ていけ!」みたいな売り言葉に買い言葉のセリフをよく口にしていて、親にお金の話を持ち出されると子供としては言い返せないし、当時は「なんて卑怯な!」と密かに思っていました。
私は能天気なので、次の日にはお小遣いをねだるよーな無神経さを発揮していましたが、姉なんて、いまだにお金のことで言葉の圧力をかけられたのを怨んでいるようです。
でも、結局、骨の髄まで反抗しようと思えば、家を出て働きながら奨学金もらって学ぶ、みたいなことも出来たはずなので、結局、親に甘えていたし、親も甘やかしてくれていたのでしょう。
その”甘やかされていること”をどう消化できるかで、その人の誇り高さが決まるような気がします。
アイは、シリアにルーツをもつ養子で、裕福な両親に恵まれている自分を心苦しく思っています。
貧困や内戦、自然災害、痛ましいニュースが流れるたび、アイは「生き延びてしまった」自分を恥ずかしく思い、恥ずかしく思う自分の傲慢さにまた苦しみます。
アイの親友・ミナはそんな彼女の繊細さを受け止めてくれます。
「誰かのことを思って苦しいのなら、どれだけ自分が非力でも苦しむべきだと、私は思う。その苦しみを、大切にすべきだって。」
しかし、苦しみの当事者になりたい、などという思いが彼女の想像を超えて傲慢だということに、やがて気が付くときがきます。
生きる痛みをどう受け入れるか
胸が潰れるような痛み、悲しみに晒されたとき、彼女は思わず大切な人を憎みます。
なぜ自分が?
あなたも一度でいいからこの傷みを味わえばいいのに。
地獄にいるとき、私たちが求めるのは、救われることではなく、一緒に地獄に落ちてくれる人です。どんなにそれが不合理な願いでも。
そして、追い打ちをかけるように親友・ミナの身にもアイには受け入れがたい事態が訪れます。
アイは泣きます。
どうしてもミナを赦せなくて。赦せない自分に苦しんで。
そして、ミナのもとへ向かいます。
本書には、1988年から起きた世界中の様々な悲劇的な出来事とその犠牲者の数がたびたび登場します。
そのなかには、シリアの内戦や9.11、3.11も含まれています。
おびただしい死者の数と、苦しみの連鎖に、私たちは何て残酷な世界に生きているのだろう、と俯かずにおれません。
この物語は、世界の痛みを全身で受け入れようとする一人の少女のアイデンティティを希求する旅であり、私たちに生きることの限りない痛みと果てのない喜びを示唆してくれます。
自分の降りかかった苦しみを咀嚼し、同じように他者の痛みを受け入れ分かち合うとき、理解できないものを理解できないまま愛するとき、アイははじめて自分の輪郭を世界のなかに認めます。
「私はここよ」