芥川賞を全作読んでみよう第4回その2『地中海』冨澤有爲男 |【感想】地中海の朝焼けに溶けていく二人の男の友情。純文学とは思えないドラマティックさにドキドキが止まらない
芥川賞を全作読んでみよう第4回その2、冨澤有爲男『地中海』をご紹介します。
芥川龍之介賞について
芥川龍之介賞とは、昭和10年(1935年)、文藝春秋の創業者・菊池寛によって制定された純文学における新人賞です。
受賞は年2回、上半期は、前年12月から5月までに発表されたものが対象、下半期は、6月から11月までに発表されたもの、が対象となります。
第四回芥川賞委員
菊池寛、久米正雄、山本有三、佐藤春夫、谷崎潤一郎、室生犀星、小島政二郎、佐々木茂索、瀧井孝作、横光利一、川端康成。
第四回受賞作・候補作(昭和11年・1936年下半期)
同時受賞の『普賢』について
受賞作『地中海』のあらすじ
感想
端正な筆致による美しい風景とドラマ
読後の感想は、”美しい”の一言でした。
同時受賞び『普賢』が、混沌とした人間模様を猥雑な口調で語っているのと対照的に、地中海の美しい風景とそこで起きるドラマが端正で無駄のない筆致で描かれ、非常に充実感を得られる物語でした。
純文学と思えないドラマティックさ
実際に描かれているのは、人妻との不倫という何とも低俗なドラマなのですが、不思議とそれを軽蔑させないものがあります。
また、純文学に抱きがちな「難しそう」「気取ってそう」な雰囲気が全くなく、また、第1回2回にあったような歴史的なメッセージ性も特になく、あまりに筋書きが人間臭くドラマティックなので、え?これ純文学なの?と戸惑ってしまいました。
特に、不倫現場に桂氏が踏み込んでくるシーンや、星名の後見人たる星名が桂氏にある事実を突きつけるシーンなど息を呑む緊迫感があって、なんだかドキドキしてしまいました。
児島という男と星名青年
本書が読んでいて楽しいのは、登場人物の個性豊かさにあると思います。
特に、星名青年の友人・児島のキャラクター性は光り輝いています。
不愛想で皮肉屋で、賭博と射撃の時にしか笑いを見せないような数学者。
人妻である桂夫人に恋をしてしまった主人公は、ある晩の夫人の家を訪れた際、思いもかけず冷遇され落ち込み児島にそのことを打ち明けます。
児島は例のようないらいらしたいかにも不熱心な要人深い態度で、初めは何一つ意見も述べなかったが、そのうち非常に不機嫌な顔になってこう答えた。ーお前は馬鹿なのだーどうして?ーと思わず僕もムッとして反問せずにはいられなかった。
「主人がいる時といない時とで夫人に対する態度が別々になるような奴は当然その位な眼に会わされる」
こいつ絶対モテる男だな、とここで思ってしまいました。
そして、この児島という男の言うとおりにすると、スイスイ事が運び、星名青年は遂に桂夫人をモノにすることに成功します。
しかし、秒で夫である桂氏にばれて、銃による決闘を申し込まれてしまいます。
決闘には後見人が必要なため、星名青年はまたしも児島を呼び寄せます。
決闘という命のかかった一大事にも関わらず、児島は飄々と現れ、スッと主人公の後見人になってくれます。
「だいぶ参ってるな…ふふむ」ーと、児島はひとわたり僕らからの説明を聴き終ると、初めて例の小馬鹿にした苦笑を鼻先に浮べた。ー「どうだ、自分の馬鹿さ加減がいまさら骨身にしみただろう」
いや、絶対イケメンでしょ、この人!
しかし、何故、児島が、桂夫人との恋愛に色々と指南を授けてくれたのか、そし決闘の後見人にまでなってくれたのか、ここから明らかになっていきます。
実は、桂氏と児島との間には浅からぬ因縁があったのです。
このあたりのドラマはぜひ本編で読んでほしいです。めちゃくちゃ興奮しました!
しかし、結果として自分の復讐に若き青年である星名を巻き込んでしまった罪悪感か、それまで不適で傍若無人であった児島は次第に暗鬱とし表情となっていきます。
そして、遂に決闘から逃げるように主人公に促します(主人公が決闘から逃げた場合、後見人の児島は代わりに決闘をすることになります)。
しかし、星名青年はそれを断り、尚も言い募る児島に告げます。
「発つにしても、僕は同じ時刻に巴里で自殺する」
キャー!
作中、始終うだつの上がらなかった万年青年の主人公が一番輝いた場面でした!
己の復讐に若い青年を操って運命の輪に引きずりこんでしまった自責の念にうなだれる男と、そうと分かっていても誤った恋に突っ走ったその結果を静かな決意で己が身に受け止めようとする若き青年、二人の姿が美しい朝焼けの地中海に溶けていくラストは何だか一本の映画を見終わったような充足感がありました。
やはり、この作品は美しいです。
今回ご紹介した本はこちら
こちらの全集にしか今のところ載っていないようです……。
素晴らしい作品なので、そのうち文庫が出るといいのですが……。