『家守綺譚』梨木香歩 | 【感想・ネタバレなし】友よ、また会おう
読んだ後に心洗われるような心地がする話というのがあって、中勘助の『島守』なんかがそうなのですが、この『家守綺譚
』はそれにとても近いと感じました。
時代は明治、巻頭には
左は、綿貫征四郎の著述せしもの
とあり、湖で亡くなった友の実家の管理を任されることとなった”私”こと、書生の綿貫の徒然なる日記のような形式の文章となっています。
”湖”とあるように舞台が滋賀県なので、滋賀に(細々と)地縁を持つ私には嬉しい話でした。
滋賀にお住いの方は、一層楽しめると思います。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
四季折々の風に紛れてやって来るのは、犬、狸、サルスベリ、カラスウリ、長虫屋、果ては小鬼に河童や友の亡霊まで。
これは、亡き友の家守・綿貫征四郎の徒然なる記録。
おすすめポイント
滋賀県が舞台なので、地縁のある方は一層楽しめると思います。
心洗われるような話、癒される話が読みたい方におすすめです。
旧きもの残る時代に
各章には、それぞれの季節の動植物の名前が冠されているのですが、「木槿」の章に、
先年、土耳古帝国からの死者を乗せたフリゲート艦、エルトゥールル号が帰国途中、和歌山沖で台風に遭い、船員650名中587名が溺死するという惨事が起こった。
とあります。
エルトゥールル号の事件が1890年(明治23年)の出来事だそうなので、この年は1891年(明治24年)ということになります。
また、文章中に幾度も効果的に登場する琵琶湖疎水の開通も、1890年(明治23年)4月の出来事です。
また、同年8月は、中央気象台官制(明治23年8月4日勅令第156号)制定が為されているのですが、これを踏まえてみると、隣家のおかみさんの、
ー(略)この間の日照りの時も、気象学者なんていうのがしゃしゃり出て、気圧がどうたらこうたら云って、当分の間雨の降ることは絶対にない、一刻も早くダムをつくれとか云って、土地の神主が、その龍の祠に行って雨乞いの祈願をしたら、あっと言う間に黒雲が湧いて雨が降ってきたじゃないですか。学者なんてそんなもんですよ。土地の気脈とうものがまるで分っていない。
という言葉もフムと頷けるものがあります。
くさぐさのものども
文明の明るすぎる光と旧きものの理がせめぎ合う時代、と思うと、琵琶湖という巨大な古き湖は旧き者ものそのものであり、そこにつくられた疎水という人工の川というのは、如何にも象徴的です。
ーええ、そう、そういう土地柄なのですね。
”私”こと主人公の親友だった高堂はまさにその湖で行方不明となったのですが、ある風雨の晩、掛け軸のなかから、ふと姿を現します。
ーどうした高堂。
私は思わず声をかけた。
ー逝ってしまったのではなかったのか。
ーなに、雨に紛れて漕いできたのだ。
高堂は、こともなげに云う。
ー会いに来てくれたんだな。
”そういう土地柄”故に、主人公が住む家には、うつつもののから夢のようなものまで、亡き友の亡霊をはじめ、四季折々のくさぐさが交錯します。
事情通の隣家のおかみさん、飼い犬のゴロー、狸にカワウソ、”私”に懸想する庭のサルスベリ、カワウソの係累だという長虫屋、桜鬼、湖の姫神・浅井姫尊に挨拶に来た秋の女神・竜田姫の侍女の化身である鮎、などなど。
胸突かれる想い
本書で描かれている事象は、既に文明化された人間である読者の視点では摩訶不思議で理解不可能ですが、おかみさんをはじめとする土地の人間にとって、河童や人を騙すカワウソは、ごく平然と普段の生活の地続きにあるものです。
そして、新参者である”私”もいちいちびっくりしながらも、起こったことを起こったことのまま素直に受け入けいれることのできる稀有な精神の持ち主として描かれています。
おそらく、本書で描かれているように、科学という無粋な色眼鏡をかける前は、私たちももっと素朴で豊かな世界に生きていたのでしょう。
そこでは、何か私たちの忘れかけている言葉にできない、優しさやいたわりとしか言いようのないものが満ち溢れています。
湖の底の浄土に住まう人々のにっこりとした安堵の微笑みや、狸が化けた姿と分かっていても、背中をさすってやった”私”の慈悲の心や、お礼にと置かれた松茸を前にしたときの胸を突かれるような気持ち。
私はなんだか胸を突かれたようだった。回復したばかりのよろよろした足取りで、律儀に松茸を集めてきたのか。何をそんなことを気にせずともいいのだ。何度でもさすってやる。何度でも称えてやる。
そして、湖の姫神・浅井姫のために奔走する高堂の語られない想い。
ー浅井姫尊とは何ものか。
ーこの湖水をおさめていらっしゃる姫神だ。
ー親しいのか。
私の質問に変な熱が加わっていたのか、高堂はそっぽを向いた。
ーお見かけしたことはある。が、住む世界が違う方なので親しいといわけではない。
そして何より、”私”が家守をしてまでその姿を待ち続ける亡き親友・高堂への想い。
……こは彼の君在りし日のゑすがた。
ながめいるはては彼の君ゆるぎ寄るかとぞ思ふ。
姿が見えたとしても、もう生きては帰らない、しかしうつつと夢の混ざり合う湖のほとりのこの土地で、友よ、また会おう。
切ないような、優しいような、泣きたくなるような、一つの森を抜けたあとのような心洗われる気持ちにしばし浸る美しい読書の時間でした。
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スピンオフ
『家守綺譚』『冬虫夏草
』の主人公・綿貫の友人でトルコ留学中の村田くんが主人公のお話です。