書にいたる病

活字中毒者の読書記録

『冬虫夏草』梨木香歩 | 【感想・ネタバレなし】家へ、帰ろう

今日読んだのは、梨木香歩冬虫夏草』です。

巻頭に、

新進文士かけだしものかき綿貫征四郎君、疎水に近隣ほどちか高堂なきとも生家いえもり委託まかされ、ため天地自然の気りゅうやらおにやらかっぱやら数多あまた交遊まじわりける日々あれこれを、先般さきごろ家守奇譚なる一書に著述あらわせり。に引き続きて同君わたぬき出来まきおこりたる諸椿事ことども自記しるしたるが本書なり。謹言。

とある通り、同著者の『家守綺譚』の続編にあたります。

全書が、家守の名の通り、琵琶湖疎水のほど近きに立つ亡き友・高堂の生家の家守となった”私”と、その周辺で巻き起こる四季折々の出来事を描いていたのに対し、本書は少し行動範囲を広げ、行方不明の飼い犬・ゴローを追い求め、滋賀の土地鈴鹿の山奥へ分け入っていきます。

滋賀県に多少の縁のある私としては、他人事とは思われず時に神意に感嘆し、時に情に打たれながら読みすすめました。

それでは、あらすじと感想を書いていきます。

あらすじ

湖で亡くなった友の生家を守る文筆家の”私”こと綿貫征四郎は、いなくなった飼い犬・ゴローを探し、鈴鹿の山奥へと踏み入っていく。
そこで出会ったのは、河童の少年、宿を営むイワナの夫婦、竜の化身、お産で亡くなった若妻、いつか出会った少女の面影を宿す老女。
生きとし生けるものが交じり合う不思議な土地を、清新で豊かな筆で描く。

おすすめポイント 

滋賀県が舞台なので、地縁のある方は一層楽しめると思います。

心洗われるような話、癒される話が読みたい方におすすめです。

家守綺譚』の雰囲気が気に入った方は気に入ると思います。

なるべくネタバレしないようにしますが、気になる方はご注意ください。

神々と人、まじわる地

先の『家守綺譚』でも、疎水や琵琶湖や竹生島など滋賀県の土地に触れられていて、多少の地縁のある者としては楽しく読むことが出来ました。

本書でも舞台は滋賀県、更に行動範囲が広がり、主人公・綿貫は忠実なる飼い犬・ゴローを探し、鈴鹿の山奥へ分け入っていく先々で、さまざまな人や人ならざるものに出会います。

特に、ニヤリとしたのは綿貫とその友・高堂とのやり取りを描いた次のシーン。

晩秋、隣家のご亭主がこしらえた”柿の葉ずし”をお裾分けされた夜のこと、

龍田姫日枝ひえにおいでになったまま、なかなか動かれない。景色すぐれてよろし、とご満悦なのだが、紅葉が終わらぬ。

ーまたか。

ー吉野にお渡りねがわねばならん。何か、里心を誘うものを献上して。

嫌な予感がする。

ー狙いは吉野のすしか。なんと目ざとい奴だ。あれは明日、食そうと取ってあるのだ。明日まで待つがよろしいと、おかみさんが云うので。

龍田姫は、紅葉で有名な竜田山女神。

竜田山万葉集にも詠まれる紅葉の名勝で、龍田姫秋の女神としての神格も持ちます。

(現在は竜田山という地名はありませんが、女神をお祀りした竜田神社が残っています。)

そして、日枝ひえは琵琶湖の湖西、比叡山のふもとの日吉大社のこと。

前作『家守綺譚』で龍田姫は毎年の秋の挨拶に琵琶湖を治める姫神浅井姫のもとを訪れていました。

大津市日吉大社は、全国の日吉神社日枝神社山王神社の総本社で、神仏習合期に比叡山の興隆と共に山王権現として名を高めた大変格の高い神社です。

比叡山のある湖西地区は山地と湖に挟まれた猫の額ほどの土地で、緑深い山と雄大な湖の景観がすぐそこまで迫る大変風光明媚な土地です。

龍田姫「景色すぐれてよろし」と動こうとしないのも頷けます。

しかし、龍田姫が動かれないと、いつまでも秋が終わらないので、なんとか、吉野(奈良県)までお渡りいただかねばなりません。

(ちなみに吉野山も奈良の桜の名勝地で、春の吉野山、秋の竜田山と並び称される土地ですね。)

そこで、登場するのが、吉野出身の隣家の亭主がこしらえた”柿の葉ずし”です。

神々の世界から一転、急に人間世界の名物がにょきっと顔を出すところがいかにも微笑ましいです。

柿の葉ずしは、通常、初夏に柿の若葉に包んでつくられるものですが、吉野から紀伊にかけては晩秋の紅葉した柿の葉でもつくられるとのこと。

吉野名物の柿の葉ずしを餌に、姫の実家(本拠地?)である奈良に帰ってきてもらおう、という作戦です。

結局、せっかくお裾分けしてもらった”柿の葉ずし”の半分を、泣く泣く渡す羽目になります。

神々がもたらす四季と、人間の尋常の生活が、”柿の葉ずし”という他愛ない品で結びつく風景は、なんとも愛おしいものがあります。

おかみさんは、自分の柿の葉ずしが、秋をかしたことを知らない。

家へ、帰ろう

来い、ゴロー。手に負えぬ煩いは放っておけ。

本書の世界では、人間も動物も植物も、竜も河童も神も同じ地平線上に存在します。

綿貫の忠犬・ゴローがいなくなった経緯にも、どうやら神々の世界のややこしい事情が関係しているようだということが、薄布を透かして見るように薄っすら察することができます。

しかし、綿貫は、その透けて見える人の領域を超えた事情に易々と踏み入ったりはしません。

もはや人ならざるものの道に踏み込んだ友・高堂とはそこに違いがあります。

あくまで人間としての立ち位置に踏みとどまり、しかし、人ならざるものの世界を否定はせず、ゆるやかに見たままに物事を受け止めています。

きっと心から優しい人、清らかな人とはこういう人のことなのでしょう。

古代中国でいうところの”君子”とはこういう有様のことなのかもしれません。

千年行方不明だった川の主の再来に立ち会っても、河童の少年に出会っても、お産の亡くなった若妻の霊に出会っても、主人公・綿貫の目的は、ただ飼い犬・ゴローの無事を確かめ、家に帰ることなのです。

なので、この物語は精霊と人が交錯する土地を旅する冒険譚であり同時に、家に帰るための物語なのかもしれません。

来い。

来い、ゴロー。

家へ、帰るぞ。

今回ご紹介した本はこちら

前作の感想はこちら

rukoo.hatenablog.com

スピンオフ

家守綺譚』『冬虫夏草』の主人公・綿貫の友人でトルコ留学中の村田くんが主人公のお話です。