書にいたる病

活字中毒者の読書記録

芥川賞を全作読んでみよう第6回『糞尿譚』火野葦平 |【感想】あまりに衝撃的なテーマで庶民生活の哀歓と糞のような人間模様を丹精に描く

芥川賞を全作読んでみよう第6回、火野葦平糞尿譚』をご紹介します。

芥川龍之介賞について

芥川龍之介賞とは、昭和10年(1935年)、文藝春秋の創業者・菊池寛によって制定された純文学における新人賞です。

受賞は年2回、上半期は、前年12月から5月までに発表されたものが対象、下半期は、6月から11月までに発表されたもの、が対象となります。

第六回芥川賞委員

菊池寛久米正雄山本有三佐藤春夫谷崎潤一郎室生犀星小島政二郎、佐々木茂索、瀧井孝作横光利一川端康成宇野浩二

第六回から、宇野浩二が新たに加わりました。

気合が入っていたのか、選評も他の委員に比べて長いです。

第六回受賞作・候補作(昭和12年・1937年下半期)

受賞作

糞尿譚火野葦平

候補作

『白衣作業』中本たか子

『探鑛日記』その他 大鹿卓

『あらがね』間宮茂輔

『沃土』和田傳

『春の絵巻』中谷孝雄

『梟』伊藤永之介

受賞作『糞尿譚』のあらすじ

没落した豪農の息子・彦太郎は、田畑を売って糞尿汲取業に乗り出すが、生活は困窮を極め、住人からは侮蔑を浴び、果ては、地元の政治闘争に巻き込まれ、事業そのものを取り上げられてしまう。
悪辣な政治家に搾取される庶民の姿を、哀歓をまじえて描く。

感想

タイトルの衝撃と内容の丁寧さのギャップ

もし世の文学に関心を持つ程の人で、『糞尿譚』を、題名だけで当て推量して、敬遠して、読まない人があったなら、その人は文学の神に見放されるであろう。(宇野浩二

本書を語るとき、まず外せないのが、あまりに衝撃的なタイトルでしょう。

ちょっと手に取るか迷うほどインパクトがあります。

格調高い純文学の卓上に上げていいものかどうかは選考委員のなかでも多少迷いはあったらしく、

材料の、善い意味でも、「悪い意味」でも悪趣味なのを除いては、申分なかった。出征中と云う政治的条件すら、申し分無かった。(久米正雄

しかし、久米氏が推賞しながらも「お座敷へ出せる品物だろうか、、、、、、、、、、、、、」と一応躊躇するのも至極同感な節がある。(佐藤春夫

と、まあテーマに関しては、当時の選考委員のなかでも、話題ではあったようです。

糞尿、という人が最も関わることを嫌がるものどかん!と真ん中に持ってくるだけに、どれだけ大胆で骨太で、荒くれた文章なのだろう、と思ったのですが、あにはからんや、意外に、文章は気回しがよく、素朴で、細かく、搾取される庶民への愛着に似た同情心すら感じられます。

糞のような人間たち

まこと、人間というものは糞のよう、ということを凝縮したようなお話でした。

主人公の彦太郎は、没落したかつての豪農の息子で、一念発起して糞尿汲取業に乗り出すのですが、事業は軌道に乗らないし、従業員からは舐められるし、妻子からは愛想を尽かされるし、住人からは侮蔑のまなざしで見られるし、子どもにも馬鹿にされるし、で良いとこなしのまさに糞まみれ人生です。

今に見ていろ、今に見ていろ、と唇を噛みしめますが、最後には、町の親分同士の政治闘争に巻き込まれた挙句、何より大切にしていた事業を巻き上げられてしまうのです。

彦太郎という人物は、悪い人間ではないのですが、良く言えば素朴、悪く言えば鈍感で小心者で、そこを狡猾な人間に付け込まれてしまうのです。

彼のある種の人を脱力させるような善良さ(あるいは鈍感さ)は、落語『寿限無』の長久命長助の名前(すごく長い)を全て覚えていることして、自分はみんなに馬鹿にされているが、長久命長助の名前を全て覚えているのだから馬鹿ではない、と自分に言い聞かせている、というエピソードからも伺えます。

そんなんだから騙されるんだよ!

でも、彦太郎も愚かですが、糞尿を汲み取ってもらわないと困るのは自分たちなのに、彦太郎に冷たい住人たちもどうかと思うし、保身しか頭にない小役人の代表のような市役所の衛生課長も糞みたいだし、たかだか九州の寒村のくせに偉そうに張り合う親分連中も、その取り巻きも何もかも全て糞のような人間模様だ!と叫びたくなりました。

追い詰められた人間のおかしみ

しかし、このお話が、搾取される弱者の悲劇を描いているかというと、そうでもなく、作品全体に、追い詰められた人間がやけくそで笑ってしまうような、おかしみのようなものがあります。

彦太郎がラストで見せる爆発は、このおかしみの最たるもので、読者はここで、まるで突然起きたお祭り騒ぎを仰ぎ見るかのような心沸き立つような心地になります。

ただ、オチをお祭り騒ぎにしてしまったことで、純文学の格調から少し乱れたものなってしまったことも否めません、が、それを補ってあまりあるエネルギーがあるのも確かです。

ただ遺憾なところは無邪気さを装い、烈しさを敢行した傾跡の見える乱暴さのあることだが、しかし、それも今は人々は赦すだろう。(横光利一

戦争と文学

芥川賞受賞当時、著者の火野葦平日中戦争に出征中だったそうで、陣中で授与式が行われたことで話題となったそうです。

火野葦平はこののち、麦と兵隊などで兵隊作家として名声を得ますが、戦後は戦犯として厳しく追及されることになります。

文章からは、庶民への同情と、生活に根差した素朴な精神を感じますが、戦争というものは色々なものを無理やり捻じ曲げていくのかもしれません。

芥川賞を過去から追っていると、読むごとに戦争に近づいていきます。

物語の登場人物にも、著者にも、選考委員にも、「ああ、あと数年で日本が世界大戦に敗北することをこのなかの誰も知らないのだ」と思うと、何とも言えない気持ちになります。

少しずつ戦火に近づく怖さはありますが、勇気を出して読み進めていきたい、と思います。

今回ご紹介した本はこちら