『ことばの果実』長田弘 | 【感想・ネタバレなし】世界はまだ信じるにあたいするのだと。希代の詩人が遺した心洗うことばの果実たち。
2015年5月に永眠された希代の詩人のエッセー集です。
タイトル通り、四季折々の果実が各章のタイトルになっていて、目次を見るだけで宝箱を覗くようにドキドキします。
四季を愛する穏やかなことばのなかに、ハッとするようなことばが効いていて、尊敬する恩師や祖父と縁側でしゃべっているような、のどかさと緊張感がほどよく混ざった心地よいエッセーです。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
おすすめポイント
・長田弘の詩のファンには特におすすめです。
・心洗われることばを求めている方におすすめです。
エッセーが好きですが、エッセーはその読みやすさから軽んじられていると感じるときがままあります。
と感じるのは、私自身エッセーを軽んじているところがあるからかもしれません。
就職活動の面接で、好きな本のジャンルはエッセーだと言った時の、面接官の落胆した顔(被害妄想かも)が私のコンプレックスを加速させました。
世には読むべき本が溢れていて、書店に行くと、いかに立派な人間になるか(多くはいかに多くのお金を稼ぐか)という本ばかりが誇らしげに並べられていて、元気なときは新しい世界の広がりにワクワクもしますが、心弱っているときは押しつぶされそうになります。
それでも、決してエッセーは私の逃げ場ではなく、より心豊かに、ときに残忍な人間となりかかっていることを少しでも足止めするためにあります。
世界への厳しい眼差しと人生への深い愛情
本書は、何気ない日常の一コマのなかに、美しい四季を見出します。
穏やかで、美しい言葉のなかに、ときにスッと切り込むきびしさが著者ならではの感性を思わせます。
黒ずんで、皺だらけで、身をよじるようだった年老いた樹々が、これほどつややかな実をみのらせることができるなら、世界はまだ信じるにあたいするのだと。(「さくらんぼ」)
世界は信じるにあたいするか、きっと何年も何十年も考え続けたであろう著者の人生と世界に対する厳しい眼差しが感じられます。
また、著者は、人生の哀しみに深い愛情を示しもします。
日本の西瓜は、バスケットボールの球のように真ん丸で、しっかりしていて、それでいてどこか陽気だ。けれど、水瓜であるウォーターメロンというのは、大きな枕のように横長で、人生の悲しみみたいにでかい。(「スイカ」)
人生の悲しみみたいにでかい、という北米フロリダの山間部で見たうずたかく積まれたウォーターメロン。
どこか、可笑しみさえ感じる表現です。
ちなみに、地元ではこのウォーターメロンで自家製のウォーターメロン・ワインをつくるらしいのですが、ウォーターメロン・ワインとは?、と思ってしまいましたが、検索するとレシピ動画が結構あって、わりとポピュラーな飲み物みたいです。
スイカ果汁をイースト菌で発酵させた飲み物…?のようです。多分。
ミカン箱と愛しいものの大きさの相関
また、夢で見たミカン箱のなかの猫を思い出しての言葉も猫好きとしては納得。
人が愛しいものを両手で抱きとれる大きさが、ミカン箱の大きさなのである。(「ミカン」)
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