書にいたる病

活字中毒者の読書記録

『原因において自由な物語』五十嵐律人 |【感想・ネタバレなし】彼は誰が殺したのか、自由意志がもたらすある悲劇と夜明け

今日読んだのは、五十嵐律人『原因において自由な物語』です。

タイトルのカッコよさに惹かれて読みました。

法律用語の「原因において自由な行為」からきているらしいです。

弁護士でもある著者らしいタイトルだな、と思いました。

内容は、いじめ、自殺疑惑、ゴーストライター、とちょっと重いです。

また、著者の、弁護士であることと小説家であること双方のレゾンデートルが、物語の形に落とし込まれている点が興味深かったです。

それでは、あらすじと感想を書いていきます。

あらすじ

人気小説家の二階堂紡季は才能の枯渇に悩まされていた。
しかしある日、弁護士である恋人の転落事件により、とある男子高校生の自殺疑惑に巻き込まれていく。
彼はなぜ死んだのか。
そして恋人は何を語ろうとしていたのか。
物語ることの意味を今一度問いかける。

おすすめポイント 

・自分にしか書けない新しいスタイルの小説を書こうという気概を感じます。

なるべくネタバレしないようにしますが、気になる方はご注意ください。

顔面偏差値といじめ

作中では、ルックスコアという顔面偏差値を測るアプリが若年層の間で普及しており、その数値によってスクールカーストが形成されています。

その残酷なカーストの最下位に属していたとされる一人の男子高生の死が物語のキーポイントとなります。

壮絶ないじめを受けていた男子高生が、生前何を考え、何をしようとしていたのか。

彼の周囲にいた二人の女子高生は、彼の死に、何を考え、どう行動したのか。

「いじめって、人数制限があるウイルスみたいなものなんだ」

「はい?」

「宿主が苦しんでる間は他者に感染しない。でも、宿主の免疫力が強くなったり、外部からワクチンが投与されると、次の感染先を狙い始める。表面的には解決したように見えても、ウイルスの保有者が変わっただけだった。そういうパターンを山ほど見てきた」

文章が上手いんだけど2冊目は読まないかな、という作家と、拙いところはあるけどこれからもチェックしようかな、という作家がいるのですが、この著者は後者だな、と思いました。

作中作という仕掛けを用いて、現実と虚構の間の頼りなさを表現し足元が崩れるような不安感を醸し出す冒頭部分など、お!上手い!と身を乗り出してしまいました。

何より、”書いてやる!”という強い意志を作品全体から感じたのが好印象でした。

自由であることとは

「原因において自由な行為」とは、交通事故や殺人などの罪が行われた際、例えその瞬間に心神喪失状態にあっても、その原因となった行為(飲酒や薬など)の際に完全に責任能力があった場合、刑事責任を問えるという理論らしいです。

”いじめ”という過酷な現実に対し、少年少女らは瞬間的に暴走し、ときに道はもう他に無いと思い込んでしまいます。

また、彼らの真実を追う主人公も、作家としての自分がすでに才能が枯渇したと感じ、自らの罪に向き合えずにいます。

彼らに共通しているのは、自分にはどうすることもできなかったと思い込み、起こってしまったことの結果だけに拘り自罰的な行為にのめり込んでいることです。

あらゆる物事の結果は、一人の人間の一回の決断だけでなく、たくさんの人のその時々の小さな意思決定によって導かれます。

いじめを主導する加害者、見て見ぬふりをするクラスメイト、手をこまねく教師、手の差し伸べ方を間違えた友人、彼らの幾つもの選択の積み重ねが破滅をもたらします。

本書が訴えかけるのは、無数の無責任な”自由意志”が時に大きな破滅をもたらすことへの警鐘と、それでも、自由な意志を持つことこそ人間の素晴らしさである、という切ないまでの想いです。

作中で語られる通り、この物語は、誰かを救済する物語ではなく、痛みを痛みのまま伝えるための物語です。

自由であることは痛く辛く、でもその痛みを救済するのもまた自由な意志なのもしれません。

次回作も楽しみです。

今回ご紹介した本はこちら