書にいたる病

活字中毒者の読書記録

芥川賞を全作読んでみよう第7回『厚物咲』中山義秀 |【感想】骨の髄まで腐った老人が咲かせた美しい菊に透かし見る人生の艱難に抵抗した魂の秘密

芥川賞を全作読んでみよう第7回、中山義秀厚物咲』をご紹介します。

芥川龍之介賞について

芥川龍之介賞とは、昭和10年(1935年)、文藝春秋の創業者・菊池寛によって制定された純文学における新人賞です。

受賞は年2回、上半期は、前年12月から5月までに発表されたものが対象、下半期は、6月から11月までに発表されたもの、が対象となります。

第七回芥川賞委員

菊池寛久米正雄山本有三谷崎潤一郎佐藤春夫宇野浩二室生犀星小島政二郎、佐々木茂索、横光利一川端康成瀧井孝作

第七回受賞作・候補作(昭和13年・1938年上半期)

受賞作

厚物咲中山義秀

候補作

『鳥羽家の子供』田畑修一郎

『龍源寺』澁川驍

『鴉』『鶯』伊藤永之介

『南方郵信』中村地平

『田植酒』丸山義二

『隣家の人々』一瀬直行

『般若』秋山正香

受賞作『厚物咲』のあらすじ

代書業を営む70代の老人・瀬谷には、長年の知古であり、骨の髄まで吝嗇で守銭奴の片野がいた。周囲に嫌悪される心の汚い片野は、何故か菊づくりの名人でもあった。そして、周囲に嫌悪され、瀬谷の知人の未亡人にあさましくも懸想したあげく、見事な新種の菊を抱えたまた縊死しまう。瀬谷は片野の不思議な片意地とその荒涼とした生きざまに自らの人生をかえり見るのだった。

感想

選評委員の評価

選評によると、久米正雄がこの話を特に推していました。

読んだとき、深い感動に打たれて、暫く芥川賞銓衡なぞの俗事を忘れ得たのは、正直なところ、此の作品だけだった。(久米正雄

横光利一なども、言葉短かながら称賛していています。

殊に賞賛したく思うところは、洋法を用いながら見事に日本色を出した筆法で、このような新しさは今までの文壇に稀に見るところと思う。(横光利一

ところが、小島政二郎、佐々木茂索はあまりこの作品を、というか今回の候補作全体を評価しておらず、

僕だけの感想を云うと、今度が一番優れた作品に乏しいようだった。佐々木と僕とはその一点同意見だった。そのことを、最後の委員会の席上で口にしたら、久米正雄の激しい反対にあった。(小島政二郎

他の選評委員の話もまとめると、どうやら、伊藤永之介『鴉』という候補作のほうが、芸術的で上品だと評価を受けていたようなのですが、伊藤永之介はこの時点ですでに有名だったから、新人の賞という芥川賞の性格にそぐわないと却下され、じゃあ、久米正雄が強く推していて、菊池寛も頷いた『厚物咲』に、という話になったようです。

この伊藤永之介という作家、寡聞にして知らなったのですが、1920年代後半から活躍していたプロレタリア作家だったようで、やっぱり当時のトレンドと後世の有名度は違うな、と感じました。

あと、全然関係ないのですが、前回の第6回から委員に加わった宇野浩二の選評が他の委員に比べて長いと書いたのですが、今回の選評もめちゃくちゃ長かったです。どのくらい長いかというと、横光利一が8行くらいしか書いてないのに、一人で8頁くらい使ってました。

候補作一つ一つに評価をきちんと書いていて、もしかしてすごく真面目な人なのかな?と思いました。

芥川賞には珍しい読後感

私は、この話は結構好きで、性格悪い老人の人生の話なのに、読後感は悪くなく、芥川賞には珍しく前向きになれる類の話でした。

要約すると、クソのような性格の老人のクソのような人生の汚泥から世にも美しい菊が生まれるのだけど、それって人間の生き方としてどうなの?、もっと人間らしく生きようね、という話でした。

生き恥を晒し続けた老人の末路

この片野という老人が如何にイヤでケチな人間かという描写がえんえんと綴られていて、そこが結構面白かったです。

語り手の瀬谷に貸した30円を延々と取り立て続け(もう完済してるのに)、お金がもらえないと延々と愚痴をこぼす、から始まり、病床の老妻の医者代も食事代もケチる、というところで嫌悪感は頂点に達します。

瀬谷の妻が見兼ねて看病に行くのですが、病人はもう食べ物の匂いを嗅ぐだけで気持ち悪い、と訴えており、台所を除くと、「幾度も幾度も水を加えて煮なおしたらしい粥や蓋をあけたばかりでプンと臭いのくる味噌汁鍋が隅に抛りだしてあった」といいます。

これもすべて、「片野は無駄と手数を省くために病人の喰べ残しを幾日でも宛がいつづけていた」ためです。

しかも、老妻が最後にひきつけを起こしたときには、「あっ、とうとう死んだ。死んだ」と喜び、まだ息があるのに医者を呼ぶのももったいながったというのですから、最悪です。

しかも、片野老人は70代でこんな性格(しかも貧乏)のくせに、女好きで、老妻が死んだ後は、下品な商売女と再婚し、しかも逃げられ(「こんなシツコイ爺ィったらありゃしないよ。一日だって私をらくにしちゃ置かないんだからねえ」)、末は、瀬谷の知人の未亡人に婿入りしようと画策するのですが、この未亡人は身持ちが確りしていて立派な人物だったので、派手にフラれてしまいます。

生き恥ってこういうことを言うんだろうな、という感じなのですが、この未亡人にフラれた後、片野は自らが生み出した新種の見事な菊を抱いたまま縊死してしまうのです。

人生の非情から咲いた厚物の菊の凄まじさ

こんな性格の老害自死したりするの?、と読者も瀬谷も不思議に思うのですが、そこに荒涼とした魂の秘密があるというのです。

瀬谷は、片野の偏執的なまでの片意地が、彼の辛苦に満ちた70年の生涯を支え、そのすえに死に追いやったのではないかと推察します。

人はこうした何等かの魂の秘密なくしては、その艱難な正確に耐えないのであろうか。それとも艱難の生活がそういう秘密を生むのであろうか。

生き恥を晒した老人のその性分には、そうならないと耐えられないような人生の苦しさがあり、老人はその人生の苦難にひたすら無為な意地を張り続けることで抵抗し続けたのでした。

語り手の瀬谷はその凄まじい生き方にぞっとし、それまで落ちぶれたと感じていた自分の人生のことを省み、自分はもっと人間らしく生きようと思いなおすのでした。

非情の片意地を培養土にして厚物の菊を咲かせるより、花は野菊の自然にまかして孫達のお守りをしながらもっと人間らしい温かな生涯を送ったほうがましだと、瀬谷は二度ともはや果樹園の方を振り返ろうともせず、しかし流石に永年の友を失った孤独に沁みて反対側の山路を一人とぼとぼと下って行った。

今回ご紹介した本はこちら