書にいたる病

ものがたり大好き主婦の読書記録

直木賞受賞!『テスカトリポカ』佐藤究 |【感想・ネタバレなし】血と暴力の闇の底に恐ろしい神々が棲まう。麻薬ビジネスの闇を神話の闇に重ねて描き切ったノワール

第165回直木賞に佐藤究さんの『テスカトリポカ 』が受賞されました!

アステカの恐ろしい神々の世界と血と暴力に満ちた麻薬ビジネスの世界の混沌たる神話。

江戸川乱歩賞の『QJKJO』からずっと面白いと思っていた作家さんだったのですごく嬉しいです。

あらすじ

現代の麻薬密売業界の世界に身を置く男たちが残酷な運命のなかでめぐり逢い、

心臓密売という新たなビジネスに手を染めていく。

メキシコ、ジャカルタ、川崎、世界中に広く深く根差す麻薬資本主義の世界、

そして背後に、古代アステカ文明の残酷な神々の影がちらつく。

圧倒的な筆力で描かれる現代の暗黒神話

普段見ている世界が裏返るー暴力への崇拝

まるで私たちが普段見ている世界とは全くの別世界の話のようだが、実は違う。

私たちは普段、ドラッグを、分別を知らない若者や不心得な芸能人、そういった自分たちとは全く違う人種が、路地裏か自宅、どこかのクラブか、とにかく自分とは関係のない場所でこそこそと嗜まれているものと考えている。

しかし、ドラッグは生産、流通、販売まで、組織的に管理され、麻薬密売人は莫大な利益を得る。

その莫大な利益、生産性は、麻薬そのものの中毒性よりも強く人を支配する。

カルテルはコロンビアやペルーに専属契約の農場を持ち、コカイン生産量を管理し、製造、輸送、分配までをみずからおこない、政治家、官僚、警官らを買収して、彼らを麻薬ビジネスの内側に取りこみながら、新しい資金洗浄法を常に考えている。誘拐、拷問、殺人などの計画的な実行も業務の一部であり、壮大なスケールの犯罪企業体を無数の麻薬密売人ナルコが支えている。(p009)

まさに、「暗黒の資本主義人ダーク・キャピタリズム」だ。

私が生きている間でおそらく、ちらとも目に触れない世界だが、それは確かに存在する。

読み進めると、自分の立っている地面がぐらぐら揺れるような、漠然とした不安を感じるが、それが意外にも心地よい。

凄惨な裏切り者の拷問、アステカの神々への残酷な儀式の描写に、くらくらしながらも憑かれたようにページをめくってしまう。

本書は、人が皆持つ暴力への崇拝心を刺激する。

本書のなかでは、人の命はあまりに軽く、ラップを切るようにパスパス殺されていく。

あまりにもあっけなく殺されていくので、だんだん、そうすることが正しいことのように思われてくる。

 

思考の停止が悪をもたらす

印象的な出来事がある。

作中、人体の密売に手を染めながら、唯一、良心を持ち自らの罪に苦悩する男は、仲間内からは「家族ファミリア」ではないと蔑まれ、「家族ファミリア」内での名を持たない。

一方、心臓を摘出する子供を全国から集める役割のコカイン中毒の女は、自分は虐待児童の保護をしていると盲信している。彼女は自らの罪に無自覚ながら、「家族ファミリア」から女呪術師マリナルショチトルの名を与えられている。

両者は、闇の世界にどっぷりと浸かった他の登場人物とは違い、凡庸とも言えるが一応良心を持ち、読者が所属する一般の世界に近い感性を持っているといえる。

ではなぜ、彼女は女呪術師マリナルショチトルの名を与えられているのか。言いかえると、暴力の世界の住人と認められているのか。

それは、思考の停止、他者に対する最大の悪だからではないだろうか。

彼女は、明らかに不自然な上司(実はヤクザ)の言動を信じ、全国から虐待されている子供たちを次々と集めていく。子供たちはあるお寺の地下(住職もグル)に集められ、ある日どこかに連れていかれ、二度と戻らない。報酬として不自然に高い金額が提示される。どう考えても、犯罪だが、彼女は、子供が海外で養子縁組されているという説明をただ受け入れ、自分はいいことをしていると信じている。決して、それ以上のことを考えようとはしない。

彼女が思考を停め、コカインに夢中になっている間に、子供たちは確実に殺されていく。

ハンナ・アーレントアイヒマン裁判において、思考を放棄した凡庸な人間こそが人類最大の悪を犯すことを主張したが、同様に、彼女も私たちも思考を停めたとき、人間性を失い、知らず他者への暴力を犯す

それは、自覚的に罪を犯すことより、恐ろしいことなのかもしれない。

本書の終盤、良心を持つ男は良心に従うことを決断し、女は、

私はコカインをやめられる。

と、独白する。彼女が本当に麻薬及びその暴力の世界から逃げることができるのか、それは誰にも分らないだろう。

彼女が足を踏み込んだ闇の深さに比べると、この独白があまりにもちっぽけで無力に思われてならない。

今回ご紹介した本はこちら

佐藤究の他のおすすめ作品

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芥川賞を全作読んでみよう第4回その2『地中海』冨澤有爲男 |【感想】地中海の朝焼けに溶けていく二人の男の友情。純文学とは思えないドラマティックさにドキドキが止まらない

芥川賞を全作読んでみよう第4回その2、冨澤有爲男『地中海』をご紹介します。

芥川龍之介賞について

芥川龍之介賞とは、昭和10年(1935年)、文藝春秋の創業者・菊池寛によって制定された純文学における新人賞です。

受賞は年2回、上半期は、前年12月から5月までに発表されたものが対象、下半期は、6月から11月までに発表されたもの、が対象となります。

第四回芥川賞委員

菊池寛久米正雄山本有三佐藤春夫谷崎潤一郎室生犀星小島政二郎、佐々木茂索、瀧井孝作横光利一川端康成

第四回受賞作・候補作(昭和11年・1936年下半期)

受賞作

『普賢』石川淳

『地中海』冨澤有爲男

候補作

『梟』伊藤永之介

『滅亡の門』『歳月』川上喜久子

 

同時受賞の『普賢』について

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受賞作『地中海』のあらすじ

パリで絵画を学ぶ学生・星名は、知己であり人妻である桂夫人に対し恋情を抱き、友人の数学者・児島に相談を持ち掛ける。児島は10以上も年下の星名を恋に対する指南を授け、星名は遂に想いを遂げるが、夫である桂氏に秘密が暴かれてしまう。

感想

端正な筆致による美しい風景とドラマ

読後の感想は、”美しい”の一言でした。

同時受賞び『普賢』が、混沌とした人間模様を猥雑な口調で語っているのと対照的に、地中海の美しい風景とそこで起きるドラマが端正で無駄のない筆致で描かれ、非常に充実感を得られる物語でした。

純文学と思えないドラマティックさ

実際に描かれているのは、人妻との不倫という何とも低俗なドラマなのですが、不思議とそれを軽蔑させないものがあります。

また、純文学に抱きがちな「難しそう」「気取ってそう」な雰囲気が全くなく、また、第1回2回にあったような歴史的なメッセージ性も特になく、あまりに筋書きが人間臭くドラマティックなので、え?これ純文学なの?と戸惑ってしまいました。

特に、不倫現場に桂氏が踏み込んでくるシーンや、星名の後見人たる星名が桂氏にある事実を突きつけるシーンなど息を呑む緊迫感があって、なんだかドキドキしてしまいました。

児島という男と星名青年

本書が読んでいて楽しいのは、登場人物の個性豊かさにあると思います。

特に、星名青年の友人・児島のキャラクター性は光り輝いています。

不愛想で皮肉屋で、賭博と射撃の時にしか笑いを見せないような数学者。

人妻である桂夫人に恋をしてしまった主人公は、ある晩の夫人の家を訪れた際、思いもかけず冷遇され落ち込み児島にそのことを打ち明けます。

児島は例のようないらいらしたいかにも不熱心な要人深い態度で、初めは何一つ意見も述べなかったが、そのうち非常に不機嫌な顔になってこう答えた。ーお前は馬鹿なのだーどうして?ーと思わず僕もムッとして反問せずにはいられなかった。

「主人がいる時といない時とで夫人に対する態度が別々になるような奴は当然その位な眼に会わされる」

こいつ絶対モテる男だな、とここで思ってしまいました。

そして、この児島という男の言うとおりにすると、スイスイ事が運び、星名青年は遂に桂夫人をモノにすることに成功します。

しかし、秒で夫である桂氏にばれて、銃による決闘を申し込まれてしまいます。

決闘には後見人が必要なため、星名青年はまたしも児島を呼び寄せます。

決闘という命のかかった一大事にも関わらず、児島は飄々と現れ、スッと主人公の後見人になってくれます。

「だいぶ参ってるな…ふふむ」ーと、児島はひとわたり僕らからの説明を聴き終ると、初めて例の小馬鹿にした苦笑を鼻先に浮べた。ー「どうだ、自分の馬鹿さ加減がいまさら骨身にしみただろう」

いや、絶対イケメンでしょ、この人!

しかし、何故、児島が、桂夫人との恋愛に色々と指南を授けてくれたのか、そし決闘の後見人にまでなってくれたのか、ここから明らかになっていきます。

実は、桂氏と児島との間には浅からぬ因縁があったのです。

このあたりのドラマはぜひ本編で読んでほしいです。めちゃくちゃ興奮しました!

しかし、結果として自分の復讐に若き青年である星名を巻き込んでしまった罪悪感か、それまで不適で傍若無人であった児島は次第に暗鬱とし表情となっていきます。

そして、遂に決闘から逃げるように主人公に促します(主人公が決闘から逃げた場合、後見人の児島は代わりに決闘をすることになります)。

しかし、星名青年はそれを断り、尚も言い募る児島に告げます。

「発つにしても、僕は同じ時刻に巴里で自殺する」

キャー!

作中、始終うだつの上がらなかった万年青年の主人公が一番輝いた場面でした!

己の復讐に若い青年を操って運命の輪に引きずりこんでしまった自責の念にうなだれる男と、そうと分かっていても誤った恋に突っ走ったその結果を静かな決意で己が身に受け止めようとする若き青年、二人の姿が美しい朝焼けの地中海に溶けていくラストは何だか一本の映画を見終わったような充足感がありました。

やはり、この作品は美しいです。

今回ご紹介した本はこちら

こちらの全集にしか今のところ載っていないようです……。

素晴らしい作品なので、そのうち文庫が出るといいのですが……。

芥川賞を全作読んでみよう第4回その1『普賢』石川淳 |【感想】饒舌で混沌とした筆遣いが描く市井の人々の滑稽などったんばったん

芥川賞を全作読んでみよう第4回その1、石川淳『普賢』をご紹介します。

芥川龍之介賞について

芥川龍之介賞とは、昭和10年(1935年)、文藝春秋の創業者・菊池寛によって制定された純文学における新人賞です。

受賞は年2回、上半期は、前年12月から5月までに発表されたものが対象、下半期は、6月から11月までに発表されたもの、が対象となります。

第四回芥川賞委員

菊池寛久米正雄山本有三佐藤春夫谷崎潤一郎室生犀星小島政二郎、佐々木茂索、瀧井孝作横光利一川端康成

第四回受賞作・候補作(昭和11年・1936年下半期)

受賞作

『普賢』石川淳

『地中海』冨澤有爲男

候補作

『梟』伊藤永之介

『滅亡の門』『歳月』川上喜久子

 

二作同時受賞について

第三回同様、二作が受賞しました。

第三回は、前回にあたる第二回が「受賞作なし」だったという経緯の末の二作受賞でしたが、今回はそういった事情がないため、少し奇異に感じます。

佐藤春夫は選評にて

室生氏などは二つともというのは卑怯とまでいうが、卑怯でも愚昧でも致し方ない。

 と書いており、また佐々木茂索も、

芥川賞にしろ直木賞にしろ、もう少し基準をはっきりさせ、最後の決定方法も確立する必要がある。

としているので、この芥川賞の黎明期において二作に受賞をさせることについて大分議論が紛糾したことが伺えます。

ちなみに、横光利一などは、

私は「普賢」は読む暇がなくてまだ見ていない。

とまで書いています。おいおい選評委員が受賞作読んでなくていいんかーい、と思わずツッコんでしまいました。まさに、出発したての事業という感じがしますね。

受賞作『普賢』のあらすじ

ジャンヌ・ダルク縁の中世フランスの女流詩人の伝記を書く書生の〈私〉は、友人の庵文蔵の妹であり地下活動を行うユカリに懸想している。また、〈私〉の周囲を道化のように飛び回る垂井茂市とその周辺の人々の滑稽な悲喜こもごもを饒舌かつ大胆な筆致で描く。

感想 

饒舌な混沌

感想といっても、もうカオス!の一言に尽きます。

今の作家で似ている文章の人を挙げるとすれば、町田康でしょうか。

筋があってないような話なのに、なんと原稿用紙150枚もあり、読み通すのに大分苦労しました。

主人公である〈私〉は中世フランスの女流詩人クリスティヌ・ド・ピザンの伝記を書かねばならず、前半はこのジャンヌ・ダルクゆかりの女詩人の生涯がとうとうと語られるのですが、語りの途中で、下宿の女主人・葛原安子が突然介入してきたり、垂井茂市という何だか道化のような詐欺師のような不思議な男に振り回されたり、一向に仕事が進みません。

果ては、茂市の知り合いの彦介という貧乏男とその女房でヘロイン中毒のお組が突然登場、お組の母親が電車に轢かれてしまったり、また茂市の伝手で出会った綱という女性と関係を持ってしまったり、その綱が実は、自分の知り合いの愛人でかつ茂市とも関係があったり、まさに手垢に満ちた人間関係の地獄絵図

おまけに同じ下宿に住む友人の文蔵とは、訳の分からない芸術談義や皮肉の応酬のし合いで、もう何がなんだか分かりません。

じつはわたしはときどき深夜の寝床を蹴って立ち上がり、突然「死のう」とさけぶことがあり、それを聞きつけた文蔵に「まだ死なないのか。」とひやかされる始末である、

茂市という男

この汚れた人間地獄の俗世の中心に座すのは垂井茂市という一人の男です。

主人公が離れたくても離れられないしがらみを辿っていくと、必ずこの茂市という男に辿りつきます。

実は大人物なのか小物なのか、それすらもはっきりせず、女郎屋で因縁をつけて小金を稼いだかと思えば、どうしようもない貧乏性の彦助とお組の夫妻の面倒をそれとなく見ていたり、かと思えば、人の愛人を飄々と寝取っていたり、粗野かつ低俗にして飄々とし、まさに縦横無尽、融通無碍。

普賢行とはまさにこの男の行いなのか、と益体もないことを考えてしまいました。

不可思議な引力

この著者の芸術精神を長々しくも垂れ流したような小説には、何故か不可思議な引力を感じます。

垢が滲むような俗世の描写と、主人公のくだくだしい言い訳にげんなりしながら、その図太さと混沌とした魅力に終に最後まで引っ張られていってしまいます。

二作受賞に反対したらしい室生犀星も選評で、

各委員もこの「普賢」に対する不満混迷を感じられていたに拘らず、この作品からはなれられぬ、、、、、、妙なものを感じられているらしかった。

 と評しています。

これが純文学なのか?と疑問に思わせながらも、その摩訶不思議なワールドで強引に賞をもぎとっていった力、これこそこの短編の魔力と言えるでしょう。

今回ご紹介した本はこちら

芥川賞を全作読んでみよう第3回その2『城外』小田嶽夫 |【感想】青年官吏の外国での孤独と若き恋の日々を古雅な筆致で描く

芥川賞を全作読んでみよう第3回その2、小田嶽夫『城外』をご紹介します。

芥川龍之介賞について

芥川龍之介賞とは、昭和10年(1935年)、文藝春秋の創業者・菊池寛によって制定された純文学における新人賞です。

受賞は年2回、上半期は、前年12月から5月までに発表されたものが対象、下半期は、6月から11月までに発表されたもの、が対象となります。

第三回芥川賞委員

菊池寛久米正雄山本有三佐藤春夫谷崎潤一郎室生犀星小島政二郎、佐々木茂索、瀧井孝作横光利一川端康成

第三回受賞作・候補作(昭和11年・1936年上半期)

受賞作

コシャマイン記』鶴田知也

『城外』小田嶽夫

候補作

『部落史』打木村治

『遣唐船』高木卓

いのちの初夜北條民雄

『神楽坂』矢田津世子

『虹と鎖』織田隆士

『白日の書』横田文子

前回の第二回が受賞作なしだったので、第三回は二作を受賞作として挙げたようです。

受賞作『城外』のあらすじ

二十五歳で杭州の日本領事館に派遣された青年官吏の"私"は、あてがわれた官舎で中国人の召使い・桂英とその娘・月銀と出会う。若き青年官吏の秘密の恋、望郷の念、そして南京事件へ向け緊張が高まるなか帰国を余儀なくされるまでの日々を古雅な筆致で描く。

感想

成長する若き愛情

初読の感想は「若いな……」でした。愛人である桂英との関係が人にバレるのを過度に恐れ、それを隠すために妓楼に赴くなど、人の目を気にしすぎる若者の感じがよく描かれているな、と感じました。

しかし、心細い外国で「異邦人の寂しみ」を味わう"私"の若い情欲が、やがて桂英と月銀の母娘に対する大きく温かな愛情へと変化していく過程は心温まるものがあります。

桂英との関係にやましさを感じ、人に秘密にしてきた"私"ですが、彼女が重い肺病にかかる段になり、それらが吹っ飛んでしまいます。

高熱を発し、死さえ匂わせる桂英と、身も世も無く悲しむ月銀を前にして、主人公はただおろおろと惑い、何とか桂英を救おうと医者を手配し入院の手続きをします。

ようやく回復した桂英と月銀の母娘へ送る"私"のまなざしは、幸福に満ちています。

おそらく私が長い生涯を送ると仮定して、その旅の最後の終りに過ぎてきた跡を追懐して見る時があるとするならば、その一と時の生活は崇高な燦爛たる金色を放って私の眸を眩暈させるかも知れない。

中国への興味

本書が受賞した1936年の翌年に南京事件が起こります。

そこに至るまでの、国民党、共産党、日本軍の極度の緊張関係は日本の読者の興味を中国との関係に注いでいたのでは、と思います。

2021年現在では歴史上の出来事ですが、本書が読まれた1936年では歴史ではなく"今"だったのだと考えると感慨深いです。

著者の外交官経験

著者の小田嶽夫は外務省の職員で、中国・杭州の領事館などに勤務していたこともあるそうです。

本作はまさにそういった経験から描かれた物語と言えるでしょう。

ただ『コシャマイン記』と比べると……

確かに良い作品ではありますが、実はダブル受賞の『コシャマイン記』と比べると、少し見劣りするな……というのが正直な感想です。

https://rukoo.hatenablog.com/entry/book-review-091

選評委員の評も『コシャマイン記』についてはほぼ称賛されており、満場一致で受賞が決定したのに対し、あまり言及がされていないように感じました。

選評委員の意見もクォリティより長年の努力を評価している向きが多いように思います。

小田君の「城外」は少々清新な味に欠けるもので、この点受賞を躊躇した向もあったけれど十年この道に努力した跡はさすがに顕著で老成した味の尊重すべきものを思う。(佐藤春夫

小田氏は長年の勉強が認められたのは、喜ばしい。(川端康成

「城外」はいまだしの感ありと席上で云ったら、行き過ぎている位永い事書いている人だという事で驚いた。この「城外」の当選はやや幸運の感がなくもなし、(佐々木茂索)

小島政二郎室生犀星、については「城外」に言及さえしていません。

しかし、菊池寛

「城外」は現代物の中では、一番自分の心に残った。

と評価しており、芥川賞の実務を多く兼ねる瀧井孝作も、

小田嶽夫氏の「城外」は文章のしっかりしている点で一番感心した。それに情婦に対する愛情もなかなかよく描けているようだ。

 と好印象だったようです。

委員の中心人物である菊池寛が推したことと、著者の長年の努力昨年度(第二回)の受賞作がなかったこと中国への関心が高まっていたこと時運、などが合わさったラッキー受賞だったとも言えるかな、と思います。

『城外』はこちらに掲載されています

 

 

芥川賞を全作読んでみよう第3回その1『コシャマイン記』鶴田知也 |【感想】 アイヌの誇り高き酋長の末裔コシャマインの悲劇的な死を抒情詩的にうたいあげる

芥川賞を全作読んでみよう第3回、その1では、鶴田知也コシャマイン記』をご紹介します。

芥川龍之介賞について

芥川龍之介賞とは、昭和10年(1935年)、文藝春秋の創業者・菊池寛によって制定された純文学における新人賞です。

受賞は年2回、上半期は、前年12月から5月までに発表されたものが対象、下半期は、6月から11月までに発表されたもの、が対象となります。

第三回芥川賞委員

菊池寛久米正雄山本有三佐藤春夫谷崎潤一郎室生犀星小島政二郎、佐々木茂索、瀧井孝作横光利一川端康成

第三回受賞作・候補作(昭和11年・1936年上半期)

受賞作

コシャマイン記』鶴田知也

『城外』小田嶽夫

候補作

『部落史』打木村治

『遣唐船』高木卓

いのちの初夜北條民雄

『神楽坂』矢田津世子

『虹と鎖』織田隆士

『白日の書』横田文子

前回の第二回が受賞作なしだったので、第三回は二作を受賞作として挙げたようです。

受賞作『コシャマイン記』のあらすじ

和人と戦うことを誓いながら、志なかばで倒れたアイヌの誇り高き酋長コシャマインの悲劇的な生涯を抒情詩的に描く。

感想

題材について

第一回受賞作の『蒼氓』が、1930年代のブラジル移民という時勢に沿った題材だったので、和人のアイヌ迫害の歴史を古風な文体で綴った『コシャマイン記』に少々めんくらいました。

本書の受賞については満場一致で決定したようで、菊池寛の選評では以下のように評されています。

コシャマイン記」は、古いとか新しいとか云うことを離れて、立派な文学的作品であると思った。委員諸君の同意が得られない場合にも「文藝春秋」に再録したいと思っていたが、殆んど満場一致で入選したことは、嬉しかった。

時勢に沿った題材でなくとも、文学的に素晴らしい作品には受賞されるということですね。

物語の徹底的な悲劇性と透徹な神性

和人に殺されたアイヌの酋長の子供であるコシャマインは、母と共に逃れ、いつの日かアイヌの部族をまとめ和人に立ち向かうことを誓いますが、村から村へ逃れいくうちに、母は老い、妻との間に子は為せず、最後は日本人に騙されてリンチされ死んでしまいます。

その抒情的で朴訥とした文体を追ううち、自分がまるで囲炉裏を囲んで先祖の英雄譚を聞かされる子どもになったかのような心持ちがしてきます。

特に、コシャマインの母親が、自分が生き永らえてきたのは何のためだったのだろう、と嘆く場面ではその悲痛さが胸をうちます。

生き永らえるよりは、コシャマインとその母をかばって死んだ父親の部下キロロアンのように誇りがあるうちに倒れたほうが良かったのかもしれません。

最期は祖先や父と同じように日本人に騙されて殺されるコシャマインですが、祖先や父が英雄として死んだのに対し、コシャマインは結局、母に望まれたような英雄にはなれず、部下の一人も持つことなく、単身で和人の一矢報いることもできず、たった6人の日本人それも下っ端開拓民に殺されます。

しかも、日本人に対する脅威として殺されるのではなく、ただコシャマインの妻の身体目当てに殺されます。

その徹底的なまでの悲劇。

しかし、その透徹なまでの描写には、あたかも神性が宿っているかのように厳かです。

川に流されたコシャマインの死骸が、鴉や獣に食い荒らされる最期の描写には、悲劇や悲痛さを超えた神聖さすら宿っているように感じました。。

コシャマインの死骸が、薄氷うすひらの張った川を張った川をゆっくりと流れて下り、荒瀬にかかって幾度か岩に阻まれたが、ついに一気にビンニラの断崖の脚部に打つかった。それから、かつて神威カムイが年ごとに訪れ給うたカムイミンダラの淵に入って、水漬みづいている楓の下枝に引っかかってそこに止った。やがて氷が淵を被うた。そしてわずかに氷の上に見えていたコシャマインの砕けた頭部を、昼は鴉どもが、夜は鼠どもがついばんで、その脳漿のうしょうのすべてを喰らい尽くしたのであった。

今回ご紹介した本はこちら

芥川賞を全作読んでみよう第2回 | 受賞作なしの裏側で躍動する歴史のドラマ

芥川賞を全作読んでみよう第2回は、第2回にしてなんと”受賞作なし”です。

ちょっとがくっときましたが、色々調べるうち、その裏側にはうねる歴史と人間のドラマがあることに気が付きました。

結構面白かったので、今回は、そのあたりを書いていきたいと思います。

芥川龍之介賞について

芥川龍之介賞とは、昭和10年(1935年)、文藝春秋の創業者・菊池寛によって制定された純文学における新人賞です。

受賞は年2回、上半期は、前年12月から5月までに発表されたものが対象、下半期は、6月から11月までに発表されたもの、が対象となります。

第二回芥川賞委員

菊池寛久米正雄山本有三佐藤春夫谷崎潤一郎室生犀星小島政二郎、佐々木茂索、瀧井孝作横光利一川端康成

第二回受賞作・候補作(昭和10年・1935年下半期)

受賞作

該当者なし

候補作

『面影』『花の宴』伊藤佐喜雄

『夕張胡亭塾景観』壇一雄

『瀬戸内海の子供ら』(戯曲)小山祐士

『生きものの記録』丸岡明

『余熱』その他 川崎長太郎

『中央高地』宮内寒彌

手元にある文藝春秋刊行『芥川賞全集』によると、第2回は7月~12月までに発表された作品の内から選ぶことにした、とありますので、今とは対象期間が1ヶ月ずれていたようです。

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二・二六事件との遭遇

第一回芥川・直木賞委員会を、二月二十六日二時よりレインボウ・グリルに開く。恰も二・二六事件に遭遇したので、瀧井、室生、小島、佐々木、𠮷川、白井、の六委員のみ参集、各自の意見を交換した。

𠮷川、白井は直木賞委員であった𠮷川英治、白井喬二なので、芥川賞委員として集まったのは11人中4人だけだったということになります。

4人だけでは、おそらく大した話はできなかったんじゃないかな~、と思います。

ただし、二・二六事件に遭遇したことで審査が中止になった、というわけではなさそうです。

おって、第二回委員会が3月7日に同じく レインボウ・グリルで開催され、このときは11人中8人が参加しています。

この第二回の詮議において、上に挙げた候補作が挙がったようです。

しかし、委員中に未読の者もいたので、3月31日までに各自読んで推薦文を書き、これを投票の代わりとすることにしたようです。

しかし、これが受賞作なしの結果につながってしまいます。

各選評委員の推薦作と波乱

各選評委員の推薦作をざっとまとめると以下のようになります。

ものの見事に票が割れてしまった形になります。

決定的推薦文を認めて之を投票に代える事にして解散した処が、別掲の如き結果を生み、ついに芥川賞は今回に限り受賞に該当する者がなかった。 

ちなみに直木賞のほうは全委員一致で、鷲尾雨工『吉野朝太平記』に決定したようなので、第二回の芥川賞は全員が推すような突出した作品が無かったということなのかもしれません。

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詮議の裏に潜む人間ドラマ

私が興味深いな、と感じたのは、選評委員の一人、瀧井孝作の推薦文です。

他の選評委員の推薦文が500字~800字ほどあるのに対し、瀧井の推薦はたったこれだけです。

川崎長太郎君を推す。川崎氏を推す迄には種々経緯もあるが、今は父の死に会って飛騨へ急いでいるので、何も書いていられない。次号にでもゆっくり書く。(談)

1936年は岐阜県高山市指物師であった瀧井の父・新三郎が死去した年です。

父の死に急ぎながら、とりあえず仕事だけは最低限済ましておく、そういう焦りが字面から感じられるようです。

選評委員も人間なので、裏側ではいろいろなことが起こっているんだな、と改めて考えてしまいました。

さて、ここでちょっと、考えてみたことがあります。

第一回において、瀧井は久米正雄から「見渡したところ瀧井が一番閑がありそうだから」という理由で、候補作の絞り役に抜擢された経緯がありました。

そして、父の死という大事にあたっても、推薦作について一声かけておくという行為から、当時、瀧井は委員のなかでも弱年だったのではないか、と思いました。

そこで、1936年3月31日当時の委員の年齢(満年齢)を調べてみました。

最年少は、当時36歳の川端康成で、その次に若かったのが、37歳の横光利一、その次が41歳の、小島政二郎、佐々木茂索、瀧井孝作となります。

どちらかといえば、委員のなかでは若いほうとも言えますが、最年長で賞の創業者である菊池寛が47歳で最年少の川端康成とは11歳の差しかないので、芥川賞委員全体が、同年代で運営されていた、といったほうが良い気がします。

どちらかといえば年少なので気を使った可能性も捨てきれませんが、仕事に関して真面目な方だったか、当時まだ知名度の無かった芥川賞の運営について責任感があった、と解釈したほうが良さそうです。

仮定は外れましたが、なかなか興味深い結果だったので満足です。

瀧井孝作の代表作

今回取り上げた瀧井孝作の代表作はこちら

芥川賞を全作読んでみよう第1回 『蒼氓』石川達三 |【感想】 棄てられた民たちの諦念と悲哀が現在の弱者とリンクする

芥川賞を全作読んでみよう第1回は、石川達三蒼氓(そうぼう) (秋田魁新報社)』です。

芥川龍之介賞について

芥川龍之介賞とは、昭和10年(1935年)、文藝春秋の創業者・菊池寛によって制定された純文学における新人賞です。

菊池寛芥川龍之介は盟友で、芥川の葬式で弔辞を読んだのも菊池寛でした。

受賞は年2回、上半期は、前年12月から5月までに発表されたものが対象、下半期は、6月から11月までに発表されたもの、が対象となります。

第一回芥川賞委員

菊池寛久米正雄山本有三佐藤春夫谷崎潤一郎室生犀星小島政二郎、佐々木茂索、瀧井孝作横光利一川端康成

第一回受賞作・候補作(昭和10年・1935年上半期)

受賞作

『蒼氓』石川達三

候補作

『草筏』外村繁

『故旧忘れ得べき』高見順

『けしかけられた男』衣巻省三

『逆光』太宰治

文藝春秋刊行『芥川賞全集』によると、第1回である、昭和10年(1935年)上半期の対象作品は、1月~6月までに発表された作品から、第2回は7月~12月までに発表された作品の内から選ぶことにした、とありますので、初期は対象期間が今より1ヶ月ずれていたようです。

また、選評によると、候補者について、「文壇各方面に百数十通封書をもって本年上半期の新進、無名作家の作品の推薦を求む」とあったり、選評委員の瀧井孝作がの選評に、

この春三月ごろ、芥川賞の候補者について、佐々木君と一寸話した折り、ぼくは川崎長太郎氏が佳い短編を二つ三つ出した、と云ったら佐々木君は、川崎長太郎と云う人は、新進作家でもあるまい、名前は古くから知っていると云い、ぼくは、以前から書いている人でも近頃冴えがみえてくれば新進作家と云ってもよいのではないかしらと、話したりした。

とあるので、やはり最初は、候補作の選評基準について、いろいろ試行錯誤した様子が伺えます。

最終的には、文藝春秋の社内で30人くらい選んで、その中から瀧井孝作が10人ほど候補を選び、それを7月24日の第2回委員会で審議して候補作としたようです。

ちなみに、瀧井が候補絞りをすることになったのは、同じく選評委員の久米正雄曰く、「見渡したところ瀧井が一番閑がありそうだから」だそうです。わはは。

また、候補作に太宰の名前があることに、ちょっと嬉しくなりました。

今では有名な芥川賞も、はじまりがあって、その中で人が選んでいるんだなあ、と実感しました。

受賞作『蒼氓』のあらすじ

1930年の神戸港の移民収容所、政府の政策にすがり、貧困にあえぎ、ブラジルへの移民にすがる農民たちが渡航するまでの収容所での姿を描く。

物語の時代背景と感想

時代背景

ブラジルが正式に日本人移民をけ入れるようになったのは、1900年代初頭。

移民公募では、ブラジルでの高待遇や高賃金をうたっていましたが、実際はコーヒー農園等で過酷な労働環境にさらされることが多く、移民のことを”棄民”と揶揄する声もかったようです。

また、物語の舞台となる1930年代になると、満州事変、日中戦争などにより、日本人移民排斥の動きも巻き起こります。

本書で描かれる1930年は、この前夜の出来事と言えます。

弱者の愚かさとその普遍的な哀しみ

故郷の農地を捨て、異国での暗い未来にすがらざるを得ない貧農たちの姿には、弱いものから切り捨てられていく、という現在にも通ずる法則を感じずにおれません。

神戸港の移民収容所に集められた移民たちは、秋田や青森など地方から集まった貧しい農民ばかりです。

なかでも目を引くのが、紡績工場の女工であったとその弟の孫市です。

「満五十歳以下ノ夫婦及ビ其ノ家族ニシテ満十二歳以上ノ者」という条件を満たすため、お夏は孫市に言われるがまま、孫市の友人の勝治と偽装結婚してそこにいます。

お夏は貧しさというものにすっかり慣れ切ってしまっていて、抵抗する力を根こそぎ奪われてしまったような女性です。

本当は、同じ紡績工場に勤めてた堀川という男から結婚を迫られていたのですが、弟の孫市の「一年で帰ってくるから」という頼みに、決心します。

移民監督助手としてやってきた小水が自分に不埒な行いをしても、男とはそういうものだから、と諦めて抵抗もしません。

そんな静謐な諦めに満ちた姉に対して、弟の孫市は鈍感で考えの甘い人間です。

姉に偽装結婚までさせて連れてきたにも関わらず、姉の偽装結婚相手の勝治の弟・義三に、兵役が怖くて移民しようとする不忠義者、と言われ、不忠義者と言われたくないから移民をやめる、などと言い出します。

お夏の偽装結婚なくしては、二家族全員での移民は叶わないのですから、不忠義者などと言い出す義三も愚かですが、それに過剰に反応する孫市も肝が据わっていません。

しかも、それを仲裁するのが、昨晩お夏に不逞を働いた移民助監督の小水というのも救われません。

孫市はその後も、自分は不忠義者と思われたくない、くよくよ悩み、姉宛てに男の名前で手紙が来ていることに気付きながら、鈍感にもその意味に気付くことができません。

また、一年でお金を貯めて帰ってくる、と意気込むものの、同じ移民の麦原という男に、帰りの二人分の船賃を一年では到底稼げないという、至極当たり前の事実を突きつけられ、狼狽します。

本書で描かれる人々はみな愚かです。

しかし、その愚かさは、現在の視点から見るから愚かなのです。

私は、当時から60年以上たった日本で生まれ、戦争を一度として経験せず、大学という高等教育機関を卒業し、この世の中の仕組みについて、そして歴史について、十分な教育を受けて育ちました。

私は、孫市や夏にこれから襲い掛かる大きな歴史の波を知っています。

だから、本書に登場する人々が、あまりに愚かで哀しく思えるのです。

本書でブラジルへ行こうとする移民は、おそらく尋常小学校を卒業したかも怪しいほど貧しい農民ばかりです

貧しさ故の無知さに付け込まれ、遠い外国に棄てられるように旅立たつことを余儀なくされた弱く愚かな人々、その姿は、80年後に振り返った自分の姿かもしれない、そんな普遍性を感じる作品でした。

芥川賞受賞作となったのは、神戸港の収容所から渡航までの日々を描いたものですが、この後、船内とブラジル到着後を描いた第二部、第三部を合わせ長編として刊行されています。

一読の価値ある力強い作品でした。

今回ご紹介した本はこちら