書にいたる病

活字中毒者の読書記録

『女王の百年密室―GOD SAVE THE QUEEN』森博嗣 | 【感想・ネタバレなし】女王が統治する死が存在しない街で、人間の尊厳の在処を宣言される

今日読んだのは、『女王の百年密室 GOT SAVE THE QUEEN』です。

実は森ミステリを読むのはこれがはじめてです。

本書は百年シリーズと呼ばれる連作の一作目ということです。

印象的な表紙にずっと惹かれていたのですが、なんとなく手に取らずここまで来てしまいました。

序文に「クリスティナ・ガルシア・ロデロに感謝する。彼女の一枚の写真がこの物語のすべてと等しい」とある通り、この印象的な写真は1949年生まれのスペイン人の女性写真家の手によるもののようです。

| クリスティーナ・ガルシア=ロデロ

ミステリに分類されるものの、内容は生と死、神と人間、罪と罰という深いテーマを登場人物が議論するものとなっており、10年以上前に書かれたものとは思われぬほど、今読んでも新しいと思わせる内容でした。

それでは、あらすじと感想を書いていきます。

あらすじ

2113年の世界、小型飛行機で見知らぬ土地に不時着したミチルとロイディは、どこかから聞こえる音楽と導かれ老人と出会う。老人の言葉のとおり進んだ先にあったのは女王・デボウ・スホが統治する隔絶した街・ルナティック・シティだった。しかし、外部と遮断された完璧な楽園に異変が起きる。そして、それはミチル自身の消し去りがたい過去ともつながっていく。

おすすめポイント 

文明が高度に発達した社会での生と死の肉薄、人間の存在が身体と精神どちら宿るかなど、深いテーマを掘り下げています。

ミステリとしてより、哲学的・倫理的課題を題材としたファンタジーとして読む方が楽しめると思います。

が、なぜ統治するのが女王でなくてはいけないのか、なぜミチルはその地に辿り着いたのか謎が最後に全て明らかになる瞬間がスッキリします。

なるべくネタバレしないようにしますが、気になる方はご注意ください。

死を遠ざけた女王の街・ルナティック・シティ

本書の設定・登場人物は現実感がなく舞台上の書き割りのようです。

エバ・ミチル、デボウ・スホ、といったカタカナの名前や、生活感を感じさせない街の描写、個性を感じさせない登場人物の描写など、わざと人間臭さを排除しているとしか思えない書き方がなされています。

その不自然さの理由はすぐに明らかになります。

ミチルが迷い込んだ街・ルナティック・シティでは人が死ぬという概念がなく、「永い眠りに就く」と表現されます。

宮殿の地下に遺体を冷凍保存する施設があり、いつかもっと科学が進んだ未来に生き返ることができると信じられているのです。

死がないこの街では殺人という概念も存在しません。

Aという人物がBを殺しても、Aは「永い眠り」につき、Bは罰として冷凍保存させてもらえない。なので、ルナティック・シティでは殺人を犯すメリットがない、というのがその説明です。

起こるはずのない殺人

しかし、その起こるはずのない殺人が宮殿内で発生します。

女王デボウ・スホの第一王子であるジュラ・スホが何者かによって殺害されます。

しかし、女王含め住人は王子の死を「永い眠り」についたことと捉えているため、犯人を捜すという行為を一切しません。

しかも、住人のなかには、過去にミチルとその恋人を襲った連続殺人犯・マノ・キョーヤがいることも明らかになります。

マノ・キョーヤは殺人を犯した過去を隠すことなく、街に住むことができているのも、死や殺人という概念が存在しないためです。

人間の尊厳と生と死の問題

ルナティック・シティのなかでは、生と死の限りなく肉薄し、身体が生きているなら死んではいないと主張しますが、ミチルはその思想に反駁します。

しかし、人間の尊厳は、躰の形にあるのではありません」僕は言う。

医学・科学が極端に進んだ社会では人が完全に死ぬことはより難しくなります。

ミチルのいる2113年では、脳を銃で撃ち抜かれたとしても、なお生き残る可能性がある程です。

しかし、だからといって、死の恐怖・悲しみが消えるわけではありません。

ルナティック・シティの人々は死を存在しないことにすることで、一見、死を克服しているかのように見えますが、反対に人口は減り続け、街は徐々に衰退しています。

それは、死が遠くなるほど、生の価値も薄くなっていくからではないでしょうか。

殺された第一王子・ジュラ・スホの友人であった少女・リン・バウにミチルは、残酷な事実を突きつけます。

リン・バウは大人に教えられた通り、ジュラは死んだのではなく、永い眠りについたのであって、生きているのだと信じています。

そんな彼女に、ミチルは言います。

「君は、これから成長する。大人になって、歳をとる。でもジュラ王子は、もうあのままだ。二度と君は、彼に触れることはできないだろう」

「どうして……、そんな悲しいことを言うの?」リン・バウは泣いているようだ。

「人は生きているんだ」僕は話を続ける。「これは普通の状態じゃない。とても危うくて、ぎりぎりで、本当に奇跡みたいな状態なんだ。ちょっとしたことで、人は死んでしまう。そして、二度と生き返らない。壊れてしまったら、機械のようには直せない。だからこそ、人が生きていることは、とても大切で貴重なことなんだ。わかるね?」

「ええ……、でも……」

「だから、その人の生を奪う行為は絶対に許されない。どんな理由があっても、それを許してはいけない。永い眠りに就くことは、君たちが教えられているよりも、もっともっと悲しいことだ」

リン・バウは哀しい事実を突きつけられますが、同時に、友人を失った悲しみをはじめて解放し、涙することを許されます。

生と死がどれだけ近くなっても、愛する人を失うことは、変わらず悲しいのです。

どれだけ科学が発達しても、人は絶対に死に、死んだ人とは二度と会えない、しかし、この哀しい事実があるからこそ、生は何よりも貴いと、本書は宣言しているのではないでしょうか。

人間の尊厳は、呼吸する細胞にではなく、精神の幻影・ゴーストに宿ると信じる主人公・ミチル。

世界がどのように変わろうと、死んだように生きてはいけない、生き続けなければいけない、そう言われているような気がしました。

 

今回ご紹介した本はこちら

百年シリーズの次刊