書にいたる病

活字中毒者の読書記録

芥川賞を全作読んでみよう第1回 『蒼氓』石川達三 |【感想】 棄てられた民たちの諦念と悲哀が現在の弱者とリンクする

芥川賞を全作読んでみよう第1回は、石川達三蒼氓(そうぼう)』です。

芥川龍之介賞について

芥川龍之介賞とは、昭和10年(1935年)、文藝春秋の創業者・菊池寛によって制定された純文学における新人賞です。

菊池寛芥川龍之介は盟友で、芥川の葬式で弔辞を読んだのも菊池寛でした。

受賞は年2回、上半期は、前年12月から5月までに発表されたものが対象、下半期は、6月から11月までに発表されたもの、が対象となります。

第一回芥川賞委員

菊池寛久米正雄山本有三佐藤春夫谷崎潤一郎室生犀星小島政二郎、佐々木茂索、瀧井孝作横光利一川端康成

第一回受賞作・候補作(昭和10年・1935年上半期)

受賞作

蒼氓石川達三

候補作

『草筏』外村繁

『故旧忘れ得べき』高見順

『けしかけられた男』衣巻省三

『逆光』太宰治

文藝春秋刊行『芥川賞全集』によると、第1回である、昭和10年(1935年)上半期の対象作品は、1月~6月までに発表された作品から、第2回は7月~12月までに発表された作品の内から選ぶことにした、とありますので、初期は対象期間が今より1ヶ月ずれていたようです。

また、選評によると、候補者について、「文壇各方面に百数十通封書をもって本年上半期の新進、無名作家の作品の推薦を求む」とあったり、選評委員の瀧井孝作がの選評に、

この春三月ごろ、芥川賞の候補者について、佐々木君と一寸話した折り、ぼくは川崎長太郎氏が佳い短編を二つ三つ出した、と云ったら佐々木君は、川崎長太郎と云う人は、新進作家でもあるまい、名前は古くから知っていると云い、ぼくは、以前から書いている人でも近頃冴えがみえてくれば新進作家と云ってもよいのではないかしらと、話したりした。

とあるので、やはり最初は、候補作の選評基準について、いろいろ試行錯誤した様子が伺えます。

最終的には、文藝春秋の社内で30人くらい選んで、その中から瀧井孝作が10人ほど候補を選び、それを7月24日の第2回委員会で審議して候補作としたようです。

ちなみに、瀧井が候補絞りをすることになったのは、同じく選評委員の久米正雄曰く、「見渡したところ瀧井が一番閑がありそうだから」だそうです。わはは。

また、候補作に太宰の名前があることに、ちょっと嬉しくなりました。

今では有名な芥川賞も、はじまりがあって、その中で人が選んでいるんだなあ、と実感しました。

受賞作『蒼氓』のあらすじ

1930年の神戸港の移民収容所、政府の政策にすがり、貧困にあえぎ、ブラジルへの移民にすがる農民たちが渡航するまでの収容所での姿を描く。

物語の時代背景と感想

時代背景

ブラジルが正式に日本人移民をけ入れるようになったのは、1900年代初頭。

移民公募では、ブラジルでの高待遇や高賃金をうたっていましたが、実際はコーヒー農園等で過酷な労働環境にさらされることが多く、移民のことを”棄民”と揶揄する声もかったようです。

また、物語の舞台となる1930年代になると、満州事変、日中戦争などにより、日本人移民排斥の動きも巻き起こります。

本書で描かれる1930年は、この前夜の出来事と言えます。

弱者の愚かさとその普遍的な哀しみ

故郷の農地を捨て、異国での暗い未来にすがらざるを得ない貧農たちの姿には、弱いものから切り捨てられていく、という現在にも通ずる法則を感じずにおれません。

神戸港の移民収容所に集められた移民たちは、秋田や青森など地方から集まった貧しい農民ばかりです。

なかでも目を引くのが、紡績工場の女工であったとその弟の孫市です。

「満五十歳以下ノ夫婦及ビ其ノ家族ニシテ満十二歳以上ノ者」という条件を満たすため、お夏は孫市に言われるがまま、孫市の友人の勝治と偽装結婚してそこにいます。

お夏は貧しさというものにすっかり慣れ切ってしまっていて、抵抗する力を根こそぎ奪われてしまったような女性です。

本当は、同じ紡績工場に勤めてた堀川という男から結婚を迫られ内心その気になっていたのですが、弟の孫市の「一年で帰ってくるから」という頼みに折れてしまいます。

更に、移民監督助手の小水が自分に不埒な行いをしても、男とはそういうものだから、すぐ横で眠っている弟に助けを求めもせず、諦めて身を任せてしまいます。

そんな静謐な諦めに満ちた姉と対照的に、弟の孫市よく言えば素朴、悪く言えば鈍感で無教養な田舎者として描かれます。

姉に偽装結婚までさせて引っぱってきたのに、偽装結婚相手の勝治の弟・義三に、「兵役が怖くて移民しようとする不忠義者」と揶揄されたことにカッとなり、あろうことか、「不忠義者と言われたくないから移民をやめる」、と言い出します。

孫市の姉のお夏の偽装結婚なくしては、二家族全員での移民は叶わないのですから、孫市を不忠義者などと言い出して話をまぜっかえすような真似をする義三という男は愚かも愚かですが、それに過剰に反応する孫市も軽率で肝が据わっていません。

しかも、それを仲裁するのが、昨晩お夏に不逞を働いた移民助監督の小水というのですからつくづく救われません。

小水は、孫市に呼び出されたとき、お夏に自分がしたことがバレたのでは、と内心ヒヤヒヤしていたのですが、話が田舎者同士の益体も無い揉め事と分かるやホッとして、いけしゃあしゃあと仲裁に入るのです。

このときの、お夏の気持ちを考えると、女性としていたたまれない気持ちになります。

孫市はその後も、自分は不忠義者と思われたくない、などと自分のことばかりで、姉宛てに男の名前で手紙が来ている意味に鈍感にも気付くことができません。

また、一年でお金を貯めて帰ってくる、と意気込むものの、同じ移民の麦原という男に、帰りの二人分の船賃を一年では到底稼げないという、至極当たり前の事実を突きつけられ、狼狽します。

本書で描かれる人々はみな愚かです。

しかし、その愚かさは、現在の視点から見るから愚かなのです。

私は、当時から60年以上たった日本で生まれ、戦争を一度として経験せず、大学という高等教育機関を卒業し、この世の中の仕組みについて、そして歴史について、十分な教育を受けて育ちました。

私は、孫市や夏にこれから襲い掛かる大きな歴史の波を知っています。

だから、本書に登場する人々が、あまりに愚かで哀しく思えるのです。

本書でブラジルへ行こうとする移民は、おそらくは尋常小学校を卒業したかどうかも怪しいほど貧しい農民ばかりです

貧しさ故の無知さに付け込まれ、遠い外国に棄てられるように旅立たつことを余儀なくされた弱く愚かな人々、その姿は、80年後に振り返った自分の姿かもしれない、そんな普遍性を感じる作品でした。

芥川賞受賞作となったのは、神戸港の収容所から渡航までの日々を描いたものですが、この後、船内とブラジル到着後を描いた第二部、第三部を合わせ長編として刊行されています。

一読の価値ある力強い作品でした。

今回ご紹介した本はこちら