『ピスタチオ』梨木香歩 | 【感想】アフリカの水と風が香る、死者のための物語を探す旅へ
梨木果歩と言えば、深い自然の循環を描く作家というイメージが強く、その深遠で透明な世界観から、高校生の時などは、なんとなく敬遠していたのですが、時期が来たのでしょうか。
先日、ブックオフで本書『ピスタチオ』を見つけたとき、ふいに手に取ってしまいました。
私たち人類の始まりの大地アフリカを舞台に、水と風、生者と死者が交錯し循環する、そんなお話が描かれていました。
あらすじ
おすすめポイント
全体的に透明感のある文体で、アフリカの大地を背景に、自然という大きな営みのなかに生死がある様が、丁寧に語られます。
落ち着いた大人の物語、風や緑など自然を感じるお話が読みたい方におすすめです。
亡き友人が託した仕事
アフリカで友人カタヤマが師事していた呪医師(呪術を使う医者みたいなもの)に邂逅した棚(たな)は、不思議な話を耳にします。カタヤマが自分に「やり残した仕事」を頼んでいた、というものです。それは、カタヤマの呪医師としての最初のクライアントである女性、ナカトの、双子の妹ババイレを探し当てる、といものでした。ババイレは幼いとき武装した反政府組織にさらわれて、生死不明となっていました。カタヤマは生前、自身に憑いたジンナジュ(精霊のようなもの)から、「キジャニが来る」と告げられていたそうです。キジャニとは葉っぱの色を指し、棚(たな)の本名、「翠」を暗示していました。
最近、よしもとばななを乱読しているせいか、こういうスピリチュアルな話にも、どんどんついていけてしまいました。
遠いアフリカの地で、最近まで死んだことも知らなかった友人が、自分にやり残した仕事、それもかなり怪しげな人探しを頼んでいたなんて、かなり、混乱するし面倒なことになったと感じるとおもうのですが、主人公である女性ライター棚(たな)は、まるで前線の発達のように受けと次々押し寄せてくる出来事を、あるがまま淡々と受け入れていきます。
肝が太い、というより、作中アフリカでガイドの真似事をしてくれる知人三原が評して言うように「獰猛なやつ」ということなのかもしれません。
死者のための物語
ああ、カタヤマはよく、死者には物語が必要だって、言ってました (p242)
本書には多くの死の影があらわれます。主人公の友人カタヤマをはじめ、カタヤマのガイドを務めた人物、棚(たな)の愛犬の病気、三原がHIV陽性患者であること、ナカトの妹ババイレが生死不明であること。
本書での死は特別でなく、水が流れ、前線が通過し、木が葉を茂らすように、ごく当たり前に地球の一部に組み込まれているのうに表現されています。
そして、人間一人が短い命のなかで現実的に何をしたかなど、その人自身を「咀嚼」するには不十分なのです。
死者のための物語、それは、死者がその物語を抱いて眠るための物語なのではないでしょうか。自分の生きているうちに起こったこと全ての受け皿になるような、そんな物語が死ぬとき必要になる。
もしかすると、私たちの言う「成仏」って物語を与えられるってことなのかも、と思いました。
そういえば、田村由美の漫画「ミステリと言う勿れ」1巻に、「一番イヤな死に方」を聞かれるシーンがありました。主人公整くんの答えは、「事故やもしくは殺されたのに自殺だと片付けられること」でした。
死んだ後なんて合理的に考えれば、誰に何を思われても良いはずなんですが、やはり、死んだ後のことが嫌だ、とか死に方に納得いかないから祟ってるとか、そういう話が出てくるのは、死んだ人間に納得できるような物語が必要だから、と私たちが考えているからかもしれませんね。
物語の力ってすごいなあ。
物語の巫女
冒頭、主人公のペンネーム「棚」は実はロマン主義の画家ターナーに由来していることが語られます。
主人公の印象として「緑をまるで描かない人だった」ターナーの絵の風景を、棚はコンゴ国境付近の雲霧林に見いだします。そしてそこで、見つけた「幽かな薄い緑」、ターナーの絵の風景には似つかわしくない「緑」こそが、旅の終着点となるのです。
本名が「翠」であることも含め、まるで、何者かに予言されるように、死者の物語を見いだしていく棚、そういった意味でも、彼女はやはり物語の巫女なのだろうと思います。
ちなみに、ターナーの絵画はこんな感じ。確かに、大地や風は感じますが、緑は少ないですね。
読了後、なんとなく、自分もアフリカに行ってきたような気がしてきました。
今後は、梨木果歩作品をもっと積極的に読んでいこうと思います。
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