書にいたる病

ものがたり大好き主婦の読書記録

『ゼロエフ』古川日出男 |歩こう、話を聞こう、18歳で故郷福島を出た著者が歩いた360kmを越える旅、そこで聞く生者と死者の声

今回ご紹介するのは2021年3月5日に発売されたばかりの古川日出男ゼロエフ』です。

古川日出男福島県の椎茸生産農家の生まれで、東日本大震災後は『あるいは修羅の十億年』『大きな森』など、震災後文学は何ができるのかを全身で訴えるような、鬼気迫る小説を上梓しています。

そんな古川日出男が全身で故郷福島に向き合う初のノンフィクションです。

私のような心弱い者が読むのは、とても辛かったですが、読んだ後の感想を言語化してみようと努力します。

あらすじ

 福島県の椎茸生産農家に生まれた著者は18歳で故郷を出た。そして、あの日2011年3月11日から、9年復興五輪が叫ばれる東京で、著者は、歩こう、と思った。福島県を縦断する二つの国道、4号線と6号線、生者の声と死者の声を聴くために。

著者初のノンフィクション、と題されていますが、2011年7月に刊行された『馬たちよ、それでも光は無垢で』もかなりノンフィクションに近かったな、と今思い出します。

それでも『馬たちよ、それでも光は無垢で』があの災害直後の茫然自失とした精神を痛々しく感じさせるのに対し、『ゼロエフ』は、全身で震災後の故郷と向き合おうという覚悟を感じました。

4号線と6号線と

著者は2020年7月23日~8月10日まで、福島県内を縦断する二つの国道、4号線と6号線合わせて280kmを踏破する旅に出ます。震災後、そこに生きる人の声をただ誠実に聞くために。

私は、私以外の意見ばかりを傾聴しよう、、、、、、、、、、、、、、、)、と考えた。(p46)

本書でインタビューされる人々の声は、私たちの「福島=震災=津波=原発」というような紋切り型の解釈を、粉々に打ち壊します。

苺農家、畜産、椎茸農家、病院の院長、それぞれがそれぞれの災害を経験し、その人だけの苦しみを生きたことを痛感します。

そて、著者は指摘します。

私は全部がハウスの問題だったと知る。東日本大震災でー残された家がある。津波で流された。海水だ。だが、淡水でも流された。藤沼湖の決壊だ。土砂に潰された家がある。(中略)私はあちらこちらで「国はひどい」という声を聞いた。「行政が悪い」と語られて、「国には何も期待していない」との声も。そんな風に、国、国と聞いて、一度たりとも国家とは聞かなかった。(中略)私は悲しい。この日本には国民わたしたちのための家がないのだ。(p175)

あるいは銀河鉄道としての阿武隈川 

生者の声を掬い上げた夏の旅の後、著者は死者の側の声を掬い上げる駆動力を感じ、再び徒歩の旅にでます。

2020年11月27日 あぶくま駅から阿武隈川河口を目指す旅。

そこで、著者は見えないもの、放射能、水害の痕跡、そして死者らに思いを馳せます。 

除染とは何なのか、復興とは何なのか。

「死者たちを除いている?」と私は洞察してしまい、嘔吐しかける。(p305)

そして、また東京電力福島第一原子力発電所(イチエフ)のメルトダウンを「死者たちの罪悪感」で定義し直します。

イチエフは、津波により溺死し、罪の意識に苛まれている、と。それを許す、と。

国が国民の国家(ハウス)となるため、その空洞には「慈悲、という理念」嵌め込むべき、と著者は主張します。

死者と溺死したイチエフの罪悪感を内包する、

死者たちを除染しない国家、、、、、、、、、、、、。 (p315)

古川日出男が360kmをこえる道のりの果てに感得した慈悲の国家、浄土を内包した私たちのハウスとしての国家、概念的に過ぎるように思えるこの考えを、どう処理してよいのか、私にはまだ分かりません。

しかし、なんとなくですが、災害があったこと、死者がそこにいること、を無かったことにしないところに、私たちの新しい出発点''ゼロエフ''があるのでは、と想像しました。

今回ご紹介した本はこちら

ブログ中触れた『馬たちよ、それでも光は無垢で』はこちらから

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