『東京の子』藤井太洋 | 【感想】オリンピック開催されていたはずの2023年の東京を失踪する若者たちをクールに描きだす
著者の藤井太洋さんは、IT畑出身の作家さんで、仮想通貨やドローン、Webエンジニアなどをモチーフに、私のようなIT周りに疎い人間にも楽しめる、ちょっと未来(もう今かな?)の小説を書いてくれる頼もしい方です。
本書『東京の子』が「文芸カドカワ」に連載されたのは2017年3月号~12月号ということなので、そのころから幻視した2023年が舞台の作品です。
コロナも流行っておらず、オリンピックは無事(?)2020年に開催された3年後、大量の外国人労働者が流入し、定着したネオ東京とでも言うべき場所が、主人公の生きている場所です。
2020年に開催されたオリンピックの3年後の2023年の東京というもはや存在しない未来に、藤井太洋が何を幻視していたのか、非常に気になります。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
おすすめポイント
2020年にオリンピックが開催されてたら、未来はマジでこんなだったのかなあという目線で楽しめます。
仮想の未来を扱いつつ、外国人技能実習生の労働問題や、大学卒業後の奨学金返済問題など、現実の問題を鋭く指摘し、その上で、明るい未来をちらりと見せているところに好感が持てます。
エンジニアではない主人公・舟津怜
藤井太洋の作品を読むのは3冊目ですが、前の2冊では主人公はエンジニアでした。
今回のご紹介する『東京の子』の主人公はエンジニアどころか、パソコンもろくに触れない肉体派男子です。
幼少期、クスリ漬けの親から逃げ出すため、舟津怜(ふなつれい)という本名を捨て、仮部諌牟(かりべいさむ)という戸籍を違法に入手し生きています。
まだ舟津怜だった小学生の頃、彼は動画サイトで少年パルクール・パフォーマー”ナッツ・ゼロ”として活動し、仮部として生きる2023年には、その身体能力を生かし、逃げ出した外国人労働者の捕獲など何でも屋を生業にしています。
そんな彼に依頼されたのが、出勤しなくなったベトナム人・ファムの捜索依頼でした。
ファムを追って、仮部はオリンピック跡地に出現した、”働きながら学ぶ全く新しい大学校”を謳う「東京デュアル」に足を踏み入れます。
新しい大学校「東京デュアル」が示唆する労働問題
複数の企業と提携し、在学中から働いてお給料ももらえるという「東京デュアル」の構想は、一見魅力的です。
しかし、日本の高等教育について少しでも学んだことのある者なら、誰でも、これが非常に危うい問題を孕んでいることが分かると思います。
まず、「大学=職業専門学校」という短絡的な構造が長期的には学問の衰退をもたらすこと。
そして、短期的には、学生が、在学中から職業の選択の自由を縛られてしまうことです。
この2つの問題は、現実に存在している問題でもあります。
少なくない数の学生が、卒業後学資ローンの返済に窮し、破産しているのも事実ですし、大学に社会(あるいは政府)が求めるものが、短絡的な成果至上主義になっていることも事実です。
私たちの国が、学生という若い資源や大学という学問府を、潔癖なものとして維持し続ける余裕をもはや失いつつあるのは、多くの人が認めるところではないでしょうか。
ベトナム人の才媛・ファムは、卒業後も、「東京デュアル」の貸し付けた奨学金に縛られ、就職先を提携先企業に絞られざるを得ない体制を、人身売買同様として告発しようとします。
しかし、ファムとは別の場所で、「東京デュアル」に対する反体制デモを行おうとする動きが出現します。
それは、空っぽの正義と暴力性と隠された思惑に支配された、ファムの主張とは全く異なるムーブメントでしたが、同時期に勃発したこの動きに、ファムの主張は利用されてしまいます。
本当の自分を取り戻す
仮部は、ファムの主張が空っぽの衝動に消費されることを見過ごすことができず、今まで決してしなかった行動を取ります。
それは、”ナッツ・ゼロ”として活動していた舟津怜である自分を、再び降臨させることです。
両親に決して捕まらないために封印してきた本当の自分を、怜は解放します。
その動機は、優れた学歴を有しながら、国家間の思惑に翻弄されたファムに、自分を重ね触発されたから、と本当なら読むのでしょうが、私にはどちらかと言えば、怜がより強く自分を重ねたのは、天性のサークルクラッシャーで空虚なデモ隊の先導者・ヨーコのほうだったのではないか、と思います。
怜はその行動により、ヨーコの空っぽの行動に"意味"を与える機会を与え、ヨーコもそれを受け入れたからこそ、あの結末があったのではと私には感じられます。
救いのないドライな現実を描いているようで、いつも熱い希望をどこかに潜ませてくれている、それが藤井太洋を読む醍醐味だと改めて思いました。
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