書にいたる病

活字中毒者の読書記録

『レストラン「ドイツ亭」』アネッテ・ヘス | 【感想】平凡な家庭が向き合うポストアウシュヴィッツの世界

今日読んだのは、アネッテ・ヘス『レストラン「ドイツ亭」』です。

著者のアネッテ・ヘスは、1967年ドイツのハノーファー生まれ。

テレビや映画などの脚本を多く執筆し、数々の賞を獲得しているとのこと。

本作は著者の初めての小説であり、ドイツで発表後、22か国語に翻訳され、海外でも高い評価を得ているとのことです。

では、あらすじと感想を書いていきたいと思います。

あらすじ

1963年、ポーランド語とドイツ語の通訳を行う主人公エーファ・ブルーンスはアウシュヴィッツ裁判の証人の通訳を依頼される。エーファの家族はレストラン「ドイツ亭」を営み、ごく平凡に平和に暮らしていたが、裁判により、家族の間に次々と亀裂が入っていく。

 平凡な主人公と家庭

ーもし、自分の家族が虐殺に関与していたら。

あまりに恐ろしいこの問いに即答できる人は少ないのではないでしょうか。

本書の舞台は1963年のドイツ。終戦から20年が経過し、若いドイツ人のなかには、かつて強制収容所で何が行われていたのか知らない者も増えていました。

主人公エーファもそんな若者のひとりでした。

24歳で、職業はポーランド語とドイツ語の通訳者、実家は、家庭的なレストラン「ドイツ亭」を営んでおり、優しい両親、仲の良い姉と弟に囲まれ、唯一の悩みは彼氏のユルゲンが婚約を申し込んでくれるかどうか。

このごく平凡な女性が、1963年に開廷した「フランクフルト・アウシュビッツ裁判(正式名称はムルカ等に対する裁判)」に通訳者として巻き込まれていきます。

何も知らなかった

ー何も知らなかった

この言葉は本書の中で何度も登場します。

裁判に異様な執念を燃やす司法修習生ダーヴィドは、初対面のエーファにこう言葉を投げつけます。

「何にも知らないんだな、あんたらはみんな」(p33)

今では考えられませんが、この時代の若いドイツ人のなかにはエーファのように、自分の国でホロコーストがあった過去もよく知らない人が沢山いたのです。

エーファは通訳を担うこととなる「フランクフルト・アウシュビッツ裁判(正式名称はムルカ等に対する裁判)」は忘れさられつつあるドイツ人の(または人類の)罪を再度掘り起こす裁判でもあったのです。

事実、当時の世論もこの裁判について国内では反対派が多かったようです。

エーファは裁判で、証人のポーランド語の証言を翻訳する役目を与えられますが、証人の語るあまりに惨たらしく非人道的な収容所での経験にエーファはひどく動揺します。

しかし、あの人はあの場所にいたのだ、あの人がその人だ、と指さされると、被告人は肩をすくめ、「私は何が起きていたのか知らなかった」と嘯くのです。

ー私はその人を知らない

ー私はそんなところに行ったことはない

私たち読者はエーファの目を通して、かつて強制収容所で惨たらしい拷問や処刑を行ってきた男たちが、戦後、何食わぬ顔で、夫として、父親として、信頼できる職業人として「普通に」暮らしてきた事実に愕然とします。

そして、何も知らなかったと言い逃れようとする被告人らに強い怒りを覚えます。

当事者となる恐怖

しかし、本書はエーファにも私たち読者にも、ただの第三者でいること許しません。

やがて、エーファは自分の優しい両親がかつてナチス親衛隊に所属し、アウシュビッツ収容所でコックを務めていたことを知ってしまいます。

ダーヴィドにそれを問い詰められたとき、エーファは放った言葉は、これまで被告人が何度も口にした言葉「私は知らなかった!」でした。

またエーファの両親は憤る娘に、自分たちはそこで生活をしていただけで、強制収容所で行われていた殺人や犯罪については何も分かっていなかった、と一度は説明します。

しかし、エーファの両親は当時、隣人への告発状を国家保安部に送付したことがあり、この事実が裁判中に明らかになります。この当時、告発状を送ることは、隣人が死刑に処せられる可能性のあることでした。

つまり、両親はその場所で何が行われているか知っていただけでなく、ナチスの体制に加担すらしていた、ということになるのです。

そして、裁判に執拗にこだわるダーヴィドにも秘密がありました。

本書の初期から、アウシュヴィッツで兄が殺され、その死体を運んだ、という過去を何人かに打ち明けていたダーヴィドでしたが、実はそれは嘘でした。

ダーヴィドの家族はユダヤ人ながら、早くにカナダに亡命できており、彼はそのことで捕虜となったユダヤ人に逆説的なコンプレックスを抱いており、裁判への参加はそのコンプレックス故の行動だったのです。

しかし、アウシュヴィッツ=ビルケナウ記念博物館を調査団の一人として訪れたエーファとダーヴィドはその重みに打ちのめされます。

エーファはバラックを離れ、泣き始めた。涙をこらえられなかった。職員のひとりがエーファに近寄り、こう言った。「ここに来た人がそうして泣くのを、私はしばしば目にしてきました。アウシュヴィッツについてどれだけの知識があっても、じっさいにここに立つのは、それとはまったくちがうことなのです」(p306)

そして、自分が何の経験も持たない偽者であることを深く実感したダーヴィドは、自分がついていた嘘についてエーファに打ち明け、翌日調査団を去ります。 

ささやかで小さな無視と無関心

本書には、実に多くの「知らなかった」という言葉が溢れています。

 

ー私は知らなかった

ー私はその場所にいなかった

ーその場所にいたけれど、何が起きていたのかは知らなかった

ー知っていたけれど、自分の力ではどうしようもなかった

 

本当は薄々気が付いていたのに、生活のため、家族のため、みんなそうしているから、しかたがないから、目をつぶってやり過ごす、知らないふりをする。そういった個人のささやかで小さな無視と無関心。

人類史上最悪の犯罪を生んだのは、異常者でもシリアルキラーでも危険思想の持ち主でもない、ごく普通の人間の小さな無視と無関心、つまり加害者は私達自身やその家族でもあり得る、そう本書は突きつけます。

無知だったエーファは償うことのできない罪に向き合い慟哭します。

自分は何もわかっていない人間なのだ。生きることについて。愛について。他者の痛みについて。フェンスのこちら側の正しい世界にいた人間には、収容所の中に捉えられていることが何を意味していたのか、けっしてわかりっこない。エーファは果てしなく自分を恥じた。(p365~366)

エーファの慟哭は、普遍性をもって私たちの胸を打ちます。

私たちはなぜ、先の戦争を許したのか。なぜ決して償えない罪を犯したのか。そして、安全な場所にいたものには、もはや泣く権利すらないのだ、と。

自らの罪と向き合い、感傷と嘆きに逃げず、深く深く恥じ入ること。

それが多くの罪を背負う私達人間の取るべき態度ではないか、と問われているような気がしました。

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『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか 生と死と哲学を巡って』高村 友也 | 【感想】 滑稽なまでに真面目な人生観とその行きつく先とは

今日読んだのは、、高村友成僕はなぜ小屋で暮らすようになったか 生と死と哲学を巡って』です。

著者の高村友成さんは、山梨県の雑木林に自作の小屋をつくって、半ホームレスのような生活をしているそうです。

あと神奈川県の川沿いにも土地を持っていて、そこではテントで生活しているとのこと。

ミニマリストという言葉が流行となって久しい感じですが、この本はそういったものとは趣が違う感じがする、と直感し購入しました。

著者情報によると、 高村友成さんは1982年生まれ、そして東京大学哲学科のご出身。

この時点でなんとなく面倒くさそうな予感(というか偏見)がしましたが、とりあえず読んでみました。

以下、感想など書いていきます。

あらすじ

 雑木林に小屋を立て、河川敷にテントを張り、最低限の生活を営む著者は、なぜ現在の生活を選んだか。常に全人格でありたい、自分自身でありたいと希求する著者の試行錯誤、その死生観と哲学が語られる一冊

おすすめポイント 

社会生活・人間関係が面倒くさい、すべて捨てたい、と思っている人は、こんな生き方もあるのか、と盲を開かれる一冊です。

面倒くさい人間が真面目に七転八倒がする様が見れる、ある意味滑稽な本です。

滑稽なまでに真面目な人生観とその行きつく先

本書の感想を一言で言うと、この人めんどくさくて面白いなあ、です。

本書では、小屋で暮らすサバイバルスキルや、消費社会からの脱却など、こういった自伝にありがちなハウツーは一切描かれません。

ひたすら、高村友成さんの個人的な内面の世界のことが語られます。

著者の内面世界を語るキーワードは二つ、「死の観念」「ホンモノ病」です。

死の観念

幼少期、高村さんは突然、死の観念というものに取りつかれてしまったそうです。

死ぬのが怖くなった、という単純なものではないようなのですが、このあたりの感じは読んでても、よく理解できませんでした。

とはいっても、この死を強く意識する性格が翻って、長じて人より「生」を強く意識する要因となったようです。

著者は自身の「生」のなかに死を内在させる方法を模索します。

(死と生)どちらかを切り捨ててはもはや全人格たりえない。常に全人格でありたい。自分自身でありたい。自分自身であるためには、死の観念を抑圧したり、ごまかしたり、忘れようとしたりすることはできない。(p126)

私の言葉で簡単に(薄く)言うと、死ぬことを忘れたまま、なんとなく生活を続ける薄っぺらな人生に耐えられなかった、ということでしょうか。

良く分かりません。

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ホンモノ病

経歴からも分かるように著者は本人言うところの「暗記能力」「記号処理能力」に優れていたそうです。これにより、幼少期、著者の世界を明るく自由で愛に満ちていた、と語られます。ところが、中学・高校と進学するうち、著者は自身の「記号処理能力」をただ勉学という承認欲求の道具にしてしまい、これにより世界への愛と好奇心は失われます。

愛と好奇心が消失してから、何をやっても「自分はホンモノではない」「自分はニセモノである」という劣等感がついてまわるようになった。(p47)

「ホンモノ」は自分でも制御できないような純然たる興味によって静かに突き動かされていなければならない。いわば、狂人でなければならないのだった。(p49) 

このあたりの考え方が、この方が人生に対し非常に誠実で真面目だったことを示している、と思います。

ただ、この性質はもちろん、社会生活においてはマイナスの因子にしかならないことは誰にでも分かるかと思います。

何を仕事にするにしても、溢れ出る情熱に突き動かされた「ホンモノ」でなくてはいけない、なんてことになれば、日本の多くの人は仕事をできなくなってしまいますよね。

そういう意味で、組織や社会の中で現実的かつ物質的に生活をする、というのは、ニセモノの人生に耐えることだとも言えるわけです。

それに著者は耐えられません。

社会不適合者の到達点・森の生活へ

さて、大学や就職といった社会の繋がりから離れ、しかし完全にホームレスするには生きていくだけで色々不便、そんな著者が辿りついた妥協点が、二束三文で手に入れた雑木林の土地に小屋を自作して住む、という半野人生活だったのです。

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つまり、著者を森の生活へと誘った現実的な原因は、唯一つ、他者との繋がりや社会生活に意味を見出せない社会不適合者であったこと、だたそれだけなのですが、それを長々と、ともすれば難解で哲学的なセリフ回しで、切々と語る。

なんて滑稽で面白い人なんだ!(でも絶対一緒に飲みたくない)

念のため、一応言い添えますが、本書は決して''面白い''本、''笑える''本ではありません。

著者の高村友成さんは、自身の思考世界と現実世界の折り合いが、現在の生活で結合した様を、真面目に自伝として書いてらっしゃいます。

ただ、あまりにも真面目で堅物な語り口が逆にユーモラスに映る、というだけです。

決して、馬鹿にする意味合いはございませんので、悪しからず。

とはいっても、私のような都会に潜む脱落者からすると、著者の七転八倒の末の孤高な精神世界とその生活様式は、何とも羨ましいと言わざるをえませんでしたが、皆様はいかがでしょうか。 

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『いいからしばらく黙ってろ!』竹宮ゆゆこ | 【感想・ネタバレ】荒々しく純粋に野蛮に生きろ! 私たちは、バーバリアン・スキル!

今日読んだのは、、竹宮ゆゆこいいからしばらく黙ってろ!』です。

かわいらしい装丁と過激なタイトルの対比に惹かれて、ジャケ買いしたのですが、後から調べましたら、作者の竹宮ゆゆこさんは、ライトノベル畑出身で、人気タイトル『とらドラ!』を執筆されたすごい方だそうですね。

本書『いいからしばらく黙ってろ!』でも、ライトノベル出身の方だからか、登場人物のキャラクターがすごく立っていて、面白かったです。

さて、あらすじと感想などご紹介していきます。

あらすじ

地方企業の経営者の両親のもと、双子の姉兄、双子の弟妹に挟まれて生まれた’’真ん中っこ’’の富士は、ずっと周囲の調整役をしながら生きていた。ところが、大学を卒業する今、彼女は人生のどん底にいた。友人も、婚約者も、就職先も、住む場所も失った富士は、弱小劇団に調整役の才能を見込まれスカウトされる。そこは、社会のはみ出し者が集うカオス渦巻く場所だった!

おすすめポイント 

・地道な人間が報われるストーリーが好きな方におすすめです。

・富士が劇団の様々な問題を、自分なりに解決しようと努力する様が見所です。

 

注意! ここからネタバレします

ハチャメチャな兄姉弟妹に囲まれた主人公・富士

本書『いいからしばらく黙ってろ!』の見所は、主人公富士が弱小劇団「バーバリアン・スキル」の抱える問題を次々と解決していく爽快さにあると思います。

富士は、上を双子の姉兄、下を双子の弟妹に挟まれた''真ん中っこ''です。しかも、この2組の双子は、それぞれがハチャメチャな性格で、多忙な両親は、上下の双子の面倒をすっかり富士に押し付けてしまっています。

何かとトラブルを起こす二組の双子の相手をしてきたせいで、富士はトラブルやカオスな状況に出会うと、自分が何とかしなくては、とつい出しゃばってしまうのです。

富士がなりいきでスタッフを務めることとなる、弱小劇団「バーバリアン・スキル」は、まさに彼女の大好物(?)なカオス状態にあります。

演劇への愛だけで実務能力に欠くリーダー・南野にまとまりのないメンバー、加えて、新規メンバーの大量脱退、唯一のまとめ役・樋尾は連絡が取れず、のしかかる資金難。

それでも、次の公演を成立させなければ劇団の存続も危うい!

巻き込まれるように、劇団に飛び込んだ富士は、ふりかかる数々のトラブルを懸命に乗り越えるうち、彼女自身も新しい力に目覚めていきます。

それは、自分の中身をさらけ出すことだ。

勇気をもって、自分を表現することだ。 

冒頭、婚約破棄された富士は卒業式後の宴会の場で、みんなが羨ましい、自分なんか人生のどん底だ、とこぼし、その場にいた人間の逆鱗に触れます。

結局、親が裕福であることで、就職や生活に関する心配がないことが、日々、懸命に就職活動に明け暮れた学友からどう見えていたか、富士は無自覚で無神経だったからです。

生きる力にどこか欠けていた富士、劇団メンバーの演劇に対する嵐のような情熱に触れ、自分自身も、荒々しく純粋で野蛮なまで生きる技術、バーバリアン・スキルを獲得していきます。

そんな彼女の最後の叫びは、爽やかな風となって読者の胸に響きます。

「いいからしばらく黙ってろ!」

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竹宮ゆゆこの他の作品

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『ゼロエフ』古川日出男 |歩こう、話を聞こう、18歳で故郷福島を出た著者が歩いた360kmを越える旅、そこで聞く生者と死者の声

今日読んだのは、古川日出男ゼロエフ』です。

古川日出男福島県の椎茸生産農家の生まれで、東日本大震災後はあるいは修羅の十億年』『おおきな森など、震災後文学は何ができるのかを全身で訴えるような、鬼気迫る小説を上梓しています。

そんな古川日出男が全身で故郷福島に向き合う初のノンフィクションです。

私のような心弱い者が読むのは、とても辛かったですが、読んだ後の感想を言語化してみようと努力します。

あらすじ

 福島県の椎茸生産農家に生まれた著者は18歳で故郷を出た。そして、あの日2011年3月11日から、9年復興五輪が叫ばれる東京で、著者は、歩こう、と思った。福島県を縦断する二つの国道、4号線と6号線、生者の声と死者の声を聴くために。

著者初のノンフィクション、と題されていますが、2011年7月に刊行された『馬たちよ、それでも光は無垢で』もかなりノンフィクションに近かったな、と今思い出します。

それでも『馬たちよ、それでも光は無垢でで』があの災害直後の茫然自失とした精神を痛々しく感じさせるのに対し、『ゼロエフ』は、全身で震災後の故郷と向き合おうという覚悟を感じました。

4号線と6号線と

著者は2020年7月23日~8月10日まで、福島県内を縦断する二つの国道、4号線と6号線合わせて280kmを踏破する旅に出ます。震災後、そこに生きる人の声をただ誠実に聞くために。

私は、私以外の意見ばかりを傾聴しよう、、、、、、、、、、、、、、、)、と考えた。(p46)

本書でインタビューされる人々の声は、私たちの「福島=震災=津波=原発」というような紋切り型の解釈を、粉々に打ち壊します。

苺農家、畜産、椎茸農家、病院の院長、それぞれがそれぞれの災害を経験し、その人だけの苦しみを生きたことを痛感します。

そて、著者は指摘します。

私は全部がハウスの問題だったと知る。東日本大震災でー残された家がある。津波で流された。海水だ。だが、淡水でも流された。藤沼湖の決壊だ。土砂に潰された家がある。(中略)私はあちらこちらで「国はひどい」という声を聞いた。「行政が悪い」と語られて、「国には何も期待していない」との声も。そんな風に、国、国と聞いて、一度たりとも国家とは聞かなかった。(中略)私は悲しい。この日本には国民わたしたちのための家がないのだ。(p175)

あるいは銀河鉄道としての阿武隈川 

生者の声を掬い上げた夏の旅の後、著者は死者の側の声を掬い上げる駆動力を感じ、再び徒歩の旅にでます。

2020年11月27日 あぶくま駅から阿武隈川河口を目指す旅。

そこで、著者は見えないもの、放射能、水害の痕跡、そして死者らに思いを馳せます。 

除染とは何なのか、復興とは何なのか。

「死者たちを除いている?」と私は洞察してしまい、嘔吐しかける。(p305)

そして、また東京電力福島第一原子力発電所(イチエフ)のメルトダウンを「死者たちの罪悪感」で定義し直します。

イチエフは、津波により溺死し、罪の意識に苛まれている、と。それを許す、と。

国が国民の国家(ハウス)となるため、その空洞には「慈悲、という理念」嵌め込むべき、と著者は主張します。

死者と溺死したイチエフの罪悪感を内包する、

死者たちを除染しない国家、、、、、、、、、、、、。 (p315)

古川日出男が360kmをこえる道のりの果てに感得した慈悲の国家、浄土を内包した私たちのハウスとしての国家、概念的に過ぎるように思えるこの考えを、どう処理してよいのか、私にはまだ分かりません。

しかし、なんとなくですが、災害があったこと、死者がそこにいること、を無かったことにしないところに、私たちの新しい出発点''ゼロエフ''があるのでは、と想像しました。

今回ご紹介した本はこちら

古川日出男の他のおすすめ作品はこちらから

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『あなたの人生、片づけます』垣谷美雨 | 【感想・ネタバレ】汚部屋の住人にも人生がある、片付け屋・大葉十萬里が教える人生の片づけ方

今日読んだのは、、垣谷美雨あなたの人生、片づけます』です。

そういえば、学生の頃、片付けが苦手で半ゴミ屋敷みたいなアパートに住んでました。

母親が連絡せず遊びに来ちゃって、アホみたいに叱られて恥ずかしくて、それ以降、まあまあ掃除するようになりました。えへへ。

ただそれ以来、ゴミ部屋を掃除するブログとか好きになりました。

ビフォーアフターを見るのが楽しいんですよね。角度変えたらまだ全然汚かったりして。

そういえば、あるブログで物凄いゴミ部屋を掃除したら小銭がなぜか大量に出てきて、最終的に3万円分くらい出てきた、みたいな話がありました。

もう、めちゃくちゃ自分の部屋、掃除しましたよ。お金出てこないかと思って。

さて、本書 、垣谷美雨『あなたの人生片づけます』は、汚部屋に住んでいる人は、なぜその状況に至ったか、という部屋に住む人間の心情・背景に焦点を当てた短編集です。

どんな部屋でも住んでいるのは、生きている人間で、見栄や誰にも言えない悲しみ、苦しみ、寂しさが部屋の形をして表出する、そんなお話でした。

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以下、感想など書いていきます。

  • あらすじ
  •  おすすめポイント 
  • ゴミ部屋・汚部屋は千差万別
  • 片づけ屋・大葉十萬里の片付け方
  • 今回ご紹介した本はこちら

あらすじ

社内不倫に失敗したことを認めたくないOL、妻に先立たれた木魚職人、資産家の老婦人、片づけ屋・大葉十萬里は、片付けられない人間の心に踏み込むことで、片付ける方法を探りだしていく。

 おすすめポイント 

・部屋を片付けたくなります

汚部屋に住んでいるのは、だらしがない人、という固定観念が崩れます

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『灰の劇場』恩田陸 | 【感想・ネタバレ】虚構と事実の狭間の灰色の劇場で、何者でもない彼女たちの物語が演じられる

今日読んだのは、、恩田陸灰の劇場』です。

恩田陸さんといえば、最近は映画化した蜜蜂と遠雷でも話題となりましたよね。

また、長年にわたり、ミステリー、ホラー、少女小説など幅広いジャンルで、しかも質の高い小説を書かれるちょっと信じがたい才能を持つ作家でもあります。

また、演劇についても造形深く、チョコレートコスモスという名作小説も書かれています。

今回ご紹介する『灰の劇場』もそんな演劇への造詣の深さが際立つ名作といえるのではないでしょうか

では、あらすじと感想など書いていきます。

  • あらすじ
  •  おすすめポイント 
  • 3つの座標
  • 徹底的に匿名化された人物
  • 虚構と事実の狭間の灰色の劇場
  • 今回ご紹介した本はこちら

あらすじ

 新聞の三面記事に載った二人の女性の飛び降り自殺。25年前のその記事は、小さな刺のように小説家の胸に刺さったままになっていた。顔も名前も分からないその二人をモデルに書いた小説はその後、舞台となるが、現実と虚構は徐々に混ざり合い……。

 おすすめポイント 

恩田陸チョコレートコスモス』『ユージニア』などが気に入った方におすすめです。

現実と虚構が混ざり合い崩壊する、心地よい浮遊感を味わえます。 

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『gift』古川日出男 | 【感想】小説界の鬼才がそっと贈る物語の源泉、通り過ぎる小さな奇蹟を鮮烈に記録した掌編集

今日読んだのは、古川日出男の掌編集『gift』です。

たった数ページ、なかには1ページしかない掌編ですが、その名の通り、贈り物のような輝きに満ちた一冊です。

「台場国、建つ」などは、1ページでここまで人を感動させられるのか、と驚嘆しました。

現在は、東北・馬などをキーワードに難解な小説を執筆することが多い著者のストーリーメイカーとしての源泉に触れることができるのも魅力でしょう。

古川日出男の入門書として、ぜひ一読あれ。

では、あらすじと感想など

あらすじ

 廃墟のなかで再生のときを迎える女子高生(あたしはあたしの映像のなかにいる)、回転する観覧車を希望の言語が照らす(台場国、建つ)、猫として生まれた娘を深く愛した叔父夫婦(光の速度で祈っている)、愛した妻への哀悼を失われた音楽へ重ねる(僕は音楽を聞きながら死ぬ)、愛と希望と小さな奇蹟に触れる掌編集

 おすすめポイント 

 ・数ページで本気で文学的感動を得たい人におすすめです。

 ・リン・ディン「血液と石鹸」が好きな人は絶対好きです。

・爽やかな読後感を得られます。

 

特に好きな掌編についてご紹介します。

あたしはあたしの映像のなかにいる

あらすじ

体重80㎏をこえた女子高生が絶望して、廃墟と化した古い団地で餓死をこころみる、という話です。怒りに満ちながらラフでポップな語り口が、女子高生の世間に対するぶっきらぼうさみたいなものを表していて、しびれます。

廃墟団地で彼女は、少し前まで人が住んでいたかのように家具や物が綺麗に配置された不思議な部屋に辿りつきます。

この少し前まで、人がいたかのような廃墟って、メアリー・セレスト号っぽいですよね。

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餓死しようと悶えながら、彼女はその部屋の遺留物(CDや小説)から、その部屋に住んでいた人物、おそらく少し年上の女性の像を探り出そうとします。

そしてついに、映画の脚本を発見します。その部屋はヒロインの部屋としてつくられた空間だったのです。

絶食のすえ、体重を落とした彼女は、その部屋の持ち主である架空のヒロインの衣服を着ることに成功します。

彼女は餓死するのをやめ、部屋の外に踏み出していきます。

だって、あたしがだれなのか、いまなら手がかりがつかめる。この部屋が映っていて当然のようにあたし自身も映っているフィルムが、この世界のべつの場所にあるにちがいないから。

あたしはそれを狩りだそうと思う。

古川日出男『ルート350』への源流

そして、架空のヒロインの部屋としてつくられた部屋とヒロインを、女子高生が乗っ取り、刈り取っていく。この現実とレプリカの交錯の物語に、現実とそのレプリカの間に立ちあがる物語をテーマにした短編集『ルート350』の源流を見ることができるのでは、と思います。

女子高生のあたしは、架空の映画の筋書きを今や乗っ取り、現実さえレプリカとして狩り取ろうと雄々しく踏み出していく。

うーん、数ページながら圧倒される熱量です。

『ルート350』のレビューも書いていますので、気になる方はこちらから。

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台場国、建つ

あらすじ

気象変動により突如、東京湾の水位が上昇し、お台場の大観覧車の根本まで水没、乗っていた乗客83名が回転する大観覧車に閉じ込められる、というお話です。

パニックになった人々はやがて、ゴンドラとゴンドラの間でコンタクトを試みはじめます。叫び声、身振り手振り、歌、様々な形のコミュニケーションが、年齢、性別、出自を越えてゴンドラ間を飛び交います。

恐慌を回避する、精神の強靭さが誕生させつつある、それは共同体だった。固有の(発展しつづける)言語を有するーつまり、それは一つの母国語をもった国家だった。

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言語こそ希望の光

初読の際、この数ページの掌編に大興奮しました。コミュニケーションへの心底の渇望が言語を誕生させる。言語が持つすさまじい希望のパワーを感じさせられました。

野生の舌

なぜか、この話から、アンサルドゥーア グロリア『野生の舌を飼い馴らすには』を連想しました。

レズビアンチカーノであり、英語・スペイン語が複雑に混交する地域で育った著者グロリアは、学校や世間で強制される、’’’正しい英語‘’、''正しいスペイン語''を、母語として持ちません。

しかし、どれだけ強制されても、自らの言語的アイデンティティである、クレオール的言語すなわち''野生の舌''を飼いならすことはできない、というエッセイなのですが、この''野生の舌''という表現が、今、生まれつつある生きた言語を描いた「台場国、建つ」と私のなかでハレーションを起こした、みたいな感覚があります。

アンサルドゥーア グロリア『野生の舌を飼い馴らすには』に興味がある方は『世界文学のフロンティア〈1〉旅のはざま』という本に載っているので、ぜひ一読してください。

アンケート

たった1ページのQ&Aで構成された掌編です。短すぎてあらすじも書けません。

しかしその1ページに込められた滑稽なまでの熱量に完全にノックアウトされました。ちなみにQは、よくある、無人島に持っていくなら何を持っていく? というやつです。
意外なアンサーに、完全にやられちゃいました。

 

他にも魅力的な掌編がたっぷり詰まっていますので、ぜひ読んでみてください。

今回ご紹介した本はこちら

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