『アムリタ』吉本ばなな | 【感想・ネタバレなし】生きることはおいしい水をごくごく飲むこと
何かのあとがきで、著者自身はこの作品をあまり気に入っていないというようなことを書いていた記憶があるのですが、私はすごく気に入りました。
母親が離婚したり、父親の違う弟がいたり、妹が自殺したり、階段から落ちて記憶喪失(?)になったりヘンテコな人生を送っている女性の話なのですが、色々悪いことが起こっているのに妙に呑気な感じの雰囲気が好きです。
不遜ながら、主人公の妹(激烈美人!)にすごく感情移入してしまいました。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
「私」は変化していく日々のなかで、”自分自身”を再び掴み取っていく。
今日という日の何もかもが一回しかなくて、そのすべては惜しみなくふりそそいでいることの愛おしさ。
溢れる水を飲むように、私たちは生きる。その奇跡を切り取った長編。
おすすめポイント
「キッチン」「N・P」などの初期の作品が好きな方におすすめです。
旅に出ているシーンが多いので、小説のなかで旅に出たい方にもおすすめです。
思い出に浸透していく力
本書は、読者の人生に水のように染み入って、その思い出を振り返らせてしまうような力がある、と思います。
まず、主人公・朔美の妹、真由に自分を重ねて読んでしまいました。
といっても私と違い真由は幼い頃から、鄙にも稀なる美貌の持ち主で、「営業用の笑顔を100種類以上持っていた」本物の芸能人です。
ただ、物語開始時点で、ノイローゼによって芸能界を引退、薬物とアルコール依存の末、自殺に等しい事故死をとげています。
このいたましい妹のどこに感情移入したかというと、姉である主人公が彼女を評して、
とにかく真由はそういうとき、あんまりにも景色がきれいだったりするとこわくなって、決して退屈してではなくて、「早く帰ろう、うちに帰ろう」っていう子だったの。
この感じ、すごくよく分かります!
目の前にあるものから良いことを連想できなくて、結論を急ぐあまり破滅に向かってしまうんですよね。
私の今の人生あまり前向きじゃないのは、こういう理由からなんだよなー、と感情移入……。
ついでに、朔美の友人のエピソードが、私自身の友人との思い出に重なってちょっと感傷的になったりもしました。
いつもすっぴんで手ぶらの彼女は、日本にいるといつも堅苦しそうだった。だから、外国に行くととたんにぴんぴんと水をはじく魚のようになった。私ともう一人は、そういう彼女を深く愛していた。
その友人と学生時代何回か海外旅行に行ったのですが、そのときの感じがまさにこういう感じでした。
日本では息苦しそうにしていて、外国に行くと「ぴんぴん」していた彼女を、私は深くちょっと哀しいくらい愛していました。
今、ちょっと連絡がつかなくなっているので、それが悲しいです。
本書のなかで折に触れて思い返してしまう文章があって、それは遠い旅空の下、今はもういない妹を悼む言葉なのですが、それがとても切なくて美しいのです。
誰か、今ここにいない人を思うとき、必ずこの文章を口ずさんでしまうくらい心のなかに残っている文章です。
もう、どこにもいないのだろうか。本当にどこにもいないのだろうか。真由。空がこんなに青くて影も濃くて、きちんと意識すると何もかもがおそろしくすごいのに、もうそういうことも感じられない真由。
ちょっと変わった家族の物語
本書はちょっと変わった家族の物語としての魅力もあります。
ひとつ屋根の下で暮らすのは、主人公の朔美、母親、父親の違う年の離れた弟、いとこの幹子、母親の幼なじみの純子さん。
”女の園”風でちょっと良い感じですよね。
朔美の死んだ父親はちょっとした小金持ちで、朔美はバーやパン屋でアルバイトしながら、のらくら生きている感じが超羨ましいです。
この家族には、妹の自殺や、母親の離婚など人生を暗い方向に引っ張っていってしまう力が働いているのですが、なぜかむしろあっけらかんとした雰囲気があって、それは朔美の母親が中心でただ「びかーっ!」と輝いているからなんです。
この”大いなる母”という重しがあるからこそ、弟がエスパーみたいな力に目覚めだしても、まあまあ落ち着いてやっていけちゃう感じがあるのだと思います。
ある程度人間ができていて、ある程度メンバーの秩序を保つことのできる人物(それは母だった)が中心にひとりいれば、同じ家に暮らしてゆく人はいつしかか家族になってゆく、そんな気がしはじめていた。
生きることは、
本書の印象的なセリフに、「生きることは、水をごくごく飲むようなこと」というものがあります。
二人の別の人間の口から発される言葉なのですが、先に書いたようになんでも決め急ぎがちな私のような人間は、肝に銘じなければいけないと思います。
「空が青いのも、指が5本あるのも、お父さんやお母さんがいたり、道端の知らない人に挨拶したり、それはおいしい水をごくごく飲むようなものなの。毎日、飲まないと生きていけないの。何もかもが、そうなの。」
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吉本ばななの他のおすすめ作品
『スイス時計の謎』有栖川有栖 | 【感想・ネタバレなし】論理パズルのような悪魔的推理が暴露する青春時代に男たちが立てた熱い誓い
今日読んだのは、有栖川有栖『スイス時計の謎 (講談社文庫)』です。
所謂「作家アリスシリーズ」の短編集で、刊行は2003年です。
表題作となっている「スイス時計の謎」は、推理小説というより論理パズルのようで、詐欺師の騙されているのに反論できないような奇妙な感覚が味わえます。
また、いけすかないエリート気取りの集まりへの印象が、謎が解き明かされることで一転するという小説的面白さもあって、そこも好きです。
それでは、各章の感想など書いていきます。
あらすじ
2年に一度開かれれ、己の出世ぶりを誇示し合う「
おすすめポイント
王道の本格ミステリをお求めの方におすすめです。
表題作は、ロジックの楽しみを最大限生かしながら、謎を解くことで人への意外な希望が露見する秀作です。
シリーズを通読していなくてもちゃんと楽しめます。
各短編の感想
あるYの悲劇
タイトル通り、著者の大好きなエラリー・クイーン『Yの悲劇』が登場します。
ダイイングメッセージもので、殺害されたギタリストが最後に自分の血で「Y」を書いて遺したという話です。
ダイイングメッセージは、「そんなもん遺してる暇があったら犯人の名前を書くか、救急車呼べ」という無粋な声に押されて、近頃「これや!」というものに出会いにくくなっているように思うのですが、この短編は、「そういうことか! それやったらありそう」と上手く納得させてくれました。
また、人の名前に関する小ネタも仕込まれていて、これを知った時の著者のニヤニヤ顔が目に浮かぶようです。
女性彫刻家の首
一応、バラバラ殺人ということになるのでしょうか?
女性彫刻家が殺害され、その首が持ち去されたうえ、彫刻の首にすげかえられていた、というなかなかショッキングな事件です。
犯人は、不仲が噂される夫か、トラブルを抱えた隣人か、どちらかに絞られるのだ……という流れです。
こういう場合、「なぜ犯人は首を持ち去ったのか?」がポイントになるのですが、今回も「まあ、そうなったらそうなるわな」と見事納得させられました。
無神論者の火村らしいセリフ
天の裁きだって? 神の御手のなせる
業 か。勝手なことしてくれるじゃねえか。裁いていいと、誰がてめぇに言ったんだ」
が印象的 。
シャイロックの密室
シャイロックとはシェイクスピア『ヴェニスの商人』に登場する強欲な高利貸しのことなのですが、これについては近年ユダヤ人へのステレオタイプな偏見だと言われたり、逆に、キリスト教世界での虐げられた悲劇的な人物として解釈されたり、と色々物議をかもす人物像のようです。
ちなみに『ガラスの仮面』でも、この役柄に対する言及があったりしてそれも興味深いです。
さて、この短編自体は倒叙ミステリで、犯人の視点から一連の犯罪が語られます。
悪徳高利貸し・佐井六助(シャイロックそのままでちょっと笑ってしまいました)に、弟夫婦を自殺にまで追い込まれた犯人が、佐井を殺害、自殺に見せかけるためある方法で密室をつくります。
自殺に見せかける目的で、下手に密室をつくると破られたとき犯人がすぐバレる、の典型でした。うーん……。
また、犯人の側から火村と有栖を見るとちょっと新鮮な気持ちがします。
ラストの犯人の目から見た火村の眼差しが怖い……。
スイス時計の謎
待ってましたの表題作!
高校生時代「社会思想研究会」という排他的なグループをつくっていた6人の男の内の1人が、2年に一度の「
特徴的なのは、死体からメンバーの証である”スイス製の時計”がなくなっていたこと、社会思想研究会のメンバーが有栖川有栖の高校の同級生であったこと、です。
なぜ、犯人は時計を持ち去ったのか、までは簡単なのですが、そこからの、「あなたが犯人です」までのロジックの展開は、論理パズルめいていて非常に面白いです。
なんだか、どこかに穴があるような気もするのに、どうしてもその結論に至ってしまう、なんだか詐欺にあったかのような不思議な気持ちになります。
犯人はこの火村の論理の前に独白します。
「論理的です。……
悪魔的 なまでに」
また、登場する「社会思想研究会」のメンバーは、エリート意識を鼻にかけ、たまに集まっては己の出世ぶりを誇示しあう、という意識高い系の「うわあ……」な集団なのですが、謎が解き明かされていくうちに、メンバー内でのライバル意識や人生からの転落など、様々な側面が暴露されていきます。
そして、メンバーの一人が叫ぶ、青春時代に彼らが誓い合った”真の意味での貴族たらん”とする熱い誓いが、「エリート意識を鼻にかけた坊ちゃんたち」というイメージを覆します。
「われわれは富豪や名家の御曹司ですらないが、そんな奴らよりも誇り高かったんじゃないのか? 俺様は他の連中とは違うという驕りを根拠あるものにすべく自分を高めていこう、と誓いあったはずだろう!」
うーん、熱い!
そして、例の有栖の高校時代の初恋のトラウマについても、この短編で少し触れられています。救いのある話でよかったです。
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の他のおすすめ作品
『狩人の悪夢』有栖川有栖 | 【感想・ネタバレなし】狩人とは一体誰だったのか。シリーズの愛読者には嬉しいサプライズが最後に待つ。
2017年に刊行された「作家アリスシリーズ」の長編です。
本シリーズは御手洗潔とは異なり、探偵の火村と有栖は年を取らないシステムなので、シリーズ初期では、携帯もなく、ワープロ(!)やフロッピーディスク(!)で仕事をしていた有栖も、2017年にはスマホを持ち、パソコンで仕事をしています。
このシステムは、登場人物の設定に色々障害はあるものの、その時々の時代が感じられて、結構好きです。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
招待を受けた有栖川と白布施の担当編集・江沢は京都・亀岡にある白布施の自宅「夢守荘」を訪れる。
しかし、その翌日、白布施の亡きアシスタントが使用していた隣家「獏ハウス」で右手首が切断された女性の他殺体が発見される。
有栖川は友人で犯罪学者の火村英生に助けを求めるが……。
おすすめポイント
シリーズの愛読者にとっては、嬉しいサプライズが最後に用意されています。
普段は温厚な有栖が犯人に対して感情的になる珍しい作品です。
34歳の名探偵と助手へ
「作家アリスシリーズ」にはじめて出会ったとき、私は高校生だったので、火村と有栖が随分”おじさん”に見えていたものでした。
こんなおっさん同士でもくだらん会話するんやな~、というのが初読時の感想でした。
しかし、じわじわ年が近づき、もう彼らを”おっさん”とは呼べない年齢に自分がなってしまったことに愕然とします。
というか、彼らが”おっさん”だとすると、自分が何と呼ばれるか怖くてたまりません!
そして、高校生のときから少しも変わっていない自分にも愕然とします。
これが、サザエさんシステムの魔!
そして、この愛すべき”おっさん”二人を書き続けてくれた著者には、初読時の失礼な感想を詫びたいです。
30代過ぎても友人同士の会話は出会った当初から変わらないものですよね! すみません!
狩人とは誰か
本書のタイトルに掲げられた「狩人」、シリーズの愛読者であれば、即座に火村を連想するでしょう。
犯罪者を冷徹に追いつめ、狩る探偵。
俺が撃つのは人間だけだ。
という、かっこいい(?)セリフを放ったりもします。
しかも、火村は謎めいたトラウマを持ち、頻繁に「悪夢」にうなされている人物でもあります。
しかし、あにはからんや、犯人を真に追い詰めるのは普段は助手に徹している有栖のほうです。
あまり、書くとネタバレになってしまうのですが、今回犯人にとどめを刺したのは火村ではなく有栖のほうでした。
解決後、火村が言うには
「お前の矢には毒が塗ってあった」
確かに、火村の提示した推理だけでは、「証拠がない」と逃げられても仕方なかったかな、という展開でした。
とはいっても、人の好い有栖らしく、火村であったら絶対想像しないような同情的な推論を犯人に投げかけます。
きっと冷徹に淡々と追い詰められるよりそっちのほうがキツいこともあるのでしょう。
事件解決後、火村の「悪夢」について二人が語る場面があるのですが、今後火村が「悪夢」に飲まれそうになっても、今回のように有栖が代わりに出てきて、それを引き受けてくれるのでは、と希望が持てるラストでした。
本書でクスりと笑ってしまった一幕がこちら
「異性の手を握る意味について思いがけず見解が一致した記念に訊くけど、火村先生が最後に大切な手をぎゅっと握ったのはいつや?」
「この前の日曜日さ」
面白くもなさそうに答える。
「お前を侮ってた。……マジか」
この男が抱える秘密は計りがたい。
「ああ、婆ちゃんが台所で転びかけてな」
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有栖川有栖の他のおすすめ作品
『朱色の研究』有栖川有栖 | 【感想・ネタバレなし】人を狂わせる魔的な夕焼けが支配する。意外な犯人とそこに至る精緻なロジックに驚嘆する本格推理小説。
所謂「作家アリスシリーズ」 の長編で、1997年に刊行されたものです。
バブル崩壊直後の、あ~なんか不景気やな~、という落ち込んだ退廃的な雰囲気と、カミュ『異邦人』を思わせる世界の終わりのような焼け付く夕焼けが重なって得も言われぬ情緒が感じられる小説です。
また、著者の本格推理小説に寄せる哀しみに近い想いが、登場人物の口を通して語られる興味深い作品でもあります。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
ところが、調査をはじめた矢先に当時の事件の関係者であり朱美の伯父の山内陽平が殺害され、不可解な電話をもとに駆け付けた火村と友人で推理小説家の有栖川有栖はその第一発見者となってしまう。
犯人の挑戦に、2人は2年前の事件が起きた和歌山へと向かう。
おすすめポイント
探偵と助手という王道の本格推理小説をお求めの方におすすめです。
著者の本格推理小説に寄せる想いが切々と語られるのも見所です。
本格推理小説に寄せて
本書のなかで、有栖が火村の教え子の朱美に、「たいていの推理小説の中で人が殺されるのは、なぜか」という問いを受けます。
これに対して、「推理小説が持つ独特の切ないような興趣というのがあるんですが」と語ったうえで、
「人は、答えてくれないと判っているものに必死に問い続けます。(略)死者にも問う。私を本当に愛してくれていましたか? 私を赦してくれますか? 泣いても叫んでも、答えはありません。相手は決して語りません。それでも、また問うてしまう。ーそんな人間の想いを、推理小説は引き受けているのかもしれません」
「推理小説が持つ独特の切ないような興趣」というのは実感的に理解できるような気がします。
謎が現れ、それを解いてみせる。
これだけの単純な様式が、なぜ長年にわたり人を魅了し続けるのか、不思議に思うことがあります。
ワクワクするような魅力的な謎が提示され、それが手品のようにスルスルと解き明かされるなかで、私たち読者はその華々しさを楽しみながら同時に哀しみに近い感情を抱きます。
そして、その哀しさに魅入られるように、もっともっとと謎を求めます。
合理的かつアクロバティックな推理が披露されるとき、私たちは一時的に人生のある種の哀しさから解き放たれたような気持がします。
そして、その一時的な解放を求め、更に複雑かつ精緻な謎を求め、本格という深い森に迷い込んでいきます。
本格推理小説などにのめりこむものは、皆等しくジャンキーなのでしょう。
不条理な焼け付くような夕景
本書は王道まっすぐの本格推理小説で、意外な犯人!という面では、大いに驚かされました。
ただ、他の読者が指摘するように、動機が少し弱いのでは、という面も確かにあります。
しかし、その不条理さこそ毒々しいオレンジ色の夕焼けに覆われた本書に相応しいものではないでしょうか。
「プロローグー夕景」で、まだ名も無き犯人は世界の終わりのような毒々しい夕焼けのなかで、ふと立ち止まります。
古人はこんな刻、道行く人々の間からひょいと洩れ聞こえてくる言葉をつかまえ、意味があるはずもないその言葉に運命を、何事かの吉兆を訪ねた。夕占という。
そして、雑踏から聞こえてきた暗示は、ぞくりとするものでした。
ばれるわけないって。
殺してしまえ。
ーえ?
背筋にぞくりと悪寒が走った。
その人物ー火村が戦うことになる殺人犯が、夕占のお告げを受け取った瞬間だった。
「魔が差す」というのはよく聞く言葉ですが、人智を超えたかのような圧倒的な夕景にさらされたその瞬間、犯人は魔に魅入られてしまったのでしょうか。
また、本書のキーパーソンで火村の教え子の朱美は、名前に「美しい朱」を冠しながら、「夕焼け恐怖症」という世にも奇妙な症状に悩まされています。
誰もかれもを飲み込んでいく”世界の終わりのような夕焼け”の魔的な描写には、酩酊するような奇妙な感覚、何があってもおかしくないような不条理さが満ちています。
この恐ろしい小説においては、犯人の動機も余人には理解しがたいものでなくてはいけない、そんな気さえしてきます。
これから、ものすごい夕焼けを見るとき、見蕩れるより先に、この物語を思い出し、ぞくっとしてしまいそうな気がします。
今回ご紹介した本はこちら
有栖川有栖の他のおすすめ作品
『スウィングしなけりゃ意味がない』佐藤亜紀 | 【感想・ネタバレなし】どんな残酷な現実でも、スウィングするように自由に生きてやる。ナチ政権下のドイツを強かに生きる不良少年たちの輝かしい青春。
今回ご紹介するのは、佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』です。
ナチ政権下のハンブルクで、敵性音楽のジャズに夢中になる少年たちの危うくも輝かしい青春と、何もかもを台無しにする戦争の滑稽さと狂気。
あの狂気の時代にも、自分の感性と力をもって生きようとした若き命があったことが瑞々しく退廃的な文章と、登場するジャズのナンバーから伝わってきました。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
軍需会社経営者の父を持つブルジョワの少年・エディとその仲間たちは、金も暇もある青春を敵性音楽のジャズに費やしていた。
ゲシュタポの手入れがあってもへっちゃら、戦争に行く気はないし、兵役を逃れる方法はいくらでもある。
ゴキゲンな音楽とダンス、女の子とお酒があれば毎日ハッピー。
そんな享楽的な青春に、徐々に戦争の狂気が迫っていく。
おすすめポイント
ナチ政権下のドイツを、敵性音楽のジャズに夢中になる不良少年の目で描くという、ちょっと変わった戦争小説です。
当時の権力の横暴さとその論理のくだらなさを、主人公の少年の冷静かつ皮肉な視線が暴いていく文章には、残酷な描写のなかにも、スカッとするものがあります。
輝かしい不良少年たち
ナチス・ドイツについて書かれた小説や映画は当たり前だけれど大抵暗い。
しかし、この小説に描かれている少年たちの青春の輝きは眩しいほどです。
主人公のエディとその仲間たちは、敵性音楽のジャズに夢中で、家のプールサイドでパンチ片手にパーティーするわ、ゲシュタポの手入れが入って殴られたりしても全然懲りないわ、ユーゲントの僚友長はリンチにかけるわ、親が大物なことをいいことにやりたい放題です。
エディは、ドイツ人ではあるものの、ナチなんて大嫌いで、その馬鹿げた理屈にもうんざりしています。
これがまたすさまじく馬鹿な話だ。我慢して聞いてほしい。誰がユダヤ人か、という難問を突き付けられて、法律家たちは博士たちの素晴らしく馬鹿げた主張をなんとか法律の形に収めようとした。もとが馬鹿話だったので、出てきた法律もまた馬鹿げていた。
こんな調子なので、学校でも不良少年扱い、何度も補導されますが、本人は全然凝りません。
しかし、理知的で頭の回転が速いところがあり、ユダヤ人との混血のマックスやその従兄弟たちを何かと世話をやいたり、ユーゲントのスパイのクーを巧妙に仲間に引き入れたり、その行動は如才なくクールです。
やがて、不良少年たちは、ジャズの海賊版をつくり闇で流通させるという、見つかれば一発アウトの商売に手を染め始めます。
権力や暴力にビビらず、自らの感性を信じ、”不良少年”であること貫く彼らの背中には、危うくも輝かしい青春の光が宿ります。
奪うものへの憎悪
そんな彼らの上にも、戦争の狂気が覆うときがやってきます。
エディは遂に逮捕され、キツイ強制労働と暴力にさらされます。
他の少年たちが暴力に屈し、次々志願していくなかで、エディは両足の指が壊死するほどの労働のなかにおいても、頑として志願しません。
そんじょそこらの不良少年ではなく、エディという少年のなかには、権力の横暴さ、自由を抑圧する”そいつら”への激しい憎悪が燃え盛っているのです。
お前、は別に女のことじゃない。アディのことでもエヴァのことでも高い口紅の子のことでもない。マックスの婆さんをしなせベーレンス兄弟をUボートさせたもの。アディをラーフェンスブリュック送りにし、ぼくをここにぶち込んだもの。あの溝を死んでいく人間に掘らせているもの。お前のことだけを考える。出ても入っても、娑婆でもムショでも、アルスター・パヴィヨンのテラスで踊っていてもベルゲドルフにぶち込まれていても、ぼくにはわかる、ぼくがいるのは牢獄だ。月の下でも太陽の下でも、兵隊になるなんてあり得ない。模範囚になって個室に蓄音機を持ち込んでも、雑居房で雑魚寝してても、囚人を順に殺していく狂った牢獄を祖国とか呼んで身を捧げる奴なんかいるか? お前、お前、お前から逃れるまで、ぼくはお前のことを考える。夜も昼も。
でも、釈放された後でも、”そいつら”はエディを解放したりしません。
父親の工場では、収容所の外国人が働かされ、SSの曹長は何かと暴力を振るうし、やがて街は焼かれ、人が大勢死に、人の死に皆が鈍感になっていく。
エディはそんななかでも、仲間たちとナイトクラブの経営に乗り出し、音楽をかけ続けます。
抑えつけ、縛りつけ、根こそぎ奪っていく”そいつら”に抗うかのように。
どんな状況でも、強かにスウィングするように生きる若者、焼け焦げた大地に流れる音楽、遠い輝かしい青春の光。
最後の一文には、魂が撃ち抜かれるような感動をおぼえました。
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その他のおすすめ作品
『異類婚姻譚』本谷有希子 | 【感想・ネタバレなし】夫婦という名のぬらぬらした生き物が日常の浅瀬をうごめく
「ある日、自分の顔が旦那の顔とそっくりになっていることに気が付いた」専業主婦の日々を軽妙なタッチで描いた話です。
結婚してまだ日が浅い身からすると、「夫婦」という名のもとにぐちゃぐちゃと混じり合っていく二人の描写にゾッとしてしまいました。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
専業主婦4年目の私は、ある日夫と自分の顔がそっくりになっていることに気付く。
夫は「俺は家では何も考えたくない男だ」と宣言し、バラエティ番組を一日3時間以上鑑賞し、不毛なゲームに熱中し、揚げ物に執着していく。
そして、いつの間にか、お互いの輪郭が溶け合い役割が不明確になっていく。
おすすめポイント
ちょっと変わった小説を読みたい方におすすめです。
結婚に夢を持っている方に、是非、悪意を持っておすすめしたいです。
結婚という不可解な活動
本書の主人公の「私」は専業主婦歴4年。
私も結婚してまだ日が浅いので、つい感情移入して読んでしまったのですが、この「私」の「旦那」の描写は、なんだか両生類のように不確かで、ふにゃふにゃで、こんな奴と結婚するの絶対やだわ~、と思ってしまいました。
「俺は家では何も考えたくない男だ」と宣言して家でダラダラするまでは許せるんですが、妻の弟に家の雑事を押し付けて平然としていたり、道で痰を吐いてトラブルになって妻に「何とかしてよ」と丸投げしたり、しまいには、仕事にも行かず延々とゲームをしたりしはじめます。
なんだ、こいつ。
そして、しまいには、家事に手を出し始め、ここに至って、「私」と「旦那」の役割は逆転し溶け合い、どちらがどちらか分からないまでになっていきます。
でも、「私」も、怠惰で勝手な夫を、なんだかな~と思いながらも受容している風で、実は自分も安楽な専業主婦の座に後ろめたさを感じつつも居座り続けるという「旦那」によく似た行動を取っているので、まさに「似た者夫婦」なのでしょう。
この、「もう何も考えたくない」、果ては「もう無理して人の形をとっていたくない」という願望は自分にも根強くあるので、突然痛いところを刺激されたような不快感を覚えました。
是非、結婚願望の強い頭がファンタジックな方に読んでほしいです(自分だけイヤな思いをしていたくないので)。
日常に潜む異世界
ここからの展開がファンタジックで、楽なほう楽なほうに逃げる余り、専業主婦の「私」と同化しようとし、ついには人の形まで捨てようとする「旦那」に「私」は叫びます。
ー私になるんじゃなくて、あなたはもっと、いいものになりなさいっ。
本書を読んだ後「夫婦」って何だろう、と思い返すと、その言葉のあまりのあやふやさにゾッとします。
夫・妻という”日常”を当たり前のように受け入れてきましたが、それを支える柱は案外ふにゃふにゃで、私も、そのうち夫と同化していくのだろうか、と思うと、うーん、私も夫になるようりは、もっといいものになりたい、と思ってしまいました。
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『ミシンの見る夢』ビアンカ・ピッツォルノ | 【感想・ネタバレなし】お針子の少女が垣間見る上流階級の秘密と真実。”縫う”という技術一つで力強く生きる女性の姿を描く。
今回ご紹介するのは、ビアンカ・ピッツォルノ『ミシンの見る夢』 です。
著者のビアンカ・ピッツォルノはイタリアの児童文学の第1人者で、大人向けの作品は本書で3作目とのことです。
そのせいか、”19世紀末のイタリア”という異世界を描いた作品ながら、その語り口は夢と優しさに包まれ、上質のファンタジーを読むように、すっと物語に引き込まれてしまいました。
階級社会の色濃く残る社会で、貧しいお針子の少女が上流階級の家庭で垣間見た人々の秘密や、滑稽で残酷な真実を通して、一人の少女の成長と”縫う”という創造性がもたらす自由のすばらしさを描ききっています。
それでは、あらすじと感想を書いていきます。
あらすじ
各家庭で見聞きした秘密や謎、驚くべき真実や試練を通して少女は成長していく。
そして、彼女自身にも人生の愛と試練が降りかかる。
”縫う”という技術一つで、自由に強く人生を渡り切った女性の姿を描く傑作。
おすすめポイント
男性優位社会で女性が力強く生きていく様を描いた小説が好きな方におすすめです。
1つの家庭ごとに悲喜こもごものドラマがあり、ドラマティックな話やファンタジーが好きな方にもおすすめです。
”縫う”ということ
著者による前書きに印象的な文章があります。
そして、私たちのために流行りに安価な服を縫ってくれる、今日の第三世界のすべてのお針子さんたち。私たちがほんの数ユーロで買い求める量販店のために服を縫う。別の人が裁断した、いつも同じ部分ばかり縫っていく一種の流れ作業で、お手洗いに立つ時間も節約するためにオムツまでして十四時間も縫い続ける。そして、最低以下の賃金を受け取って、工場という牢獄で火に巻かれて命を落とす。縫うとは素晴らしい創造的な活動だ。だが、こんなことはあってはならない。絶対に。絶対に。
本書の舞台は、階級社会の色濃く残る19世紀末のイタリアです。
家族をコレラで次々なくした少女は、祖母から受けついだ裁縫技術で日雇いのお針子の仕事をし、貧しいながらも自立して生きていきます。
まだ布が貴重で上流階級であっても、同じ布を何度も縫い直したり仕立て直したりして使い倒していた時代です。
主人公の手がける仕事は、ドレスのような華やかな仕事ではなく、日常的に使用する様々な布(シーツ、肌着、オムツ、etc)を縫ったり直したりする仕事が中心です。
決して豊かとはいえない生活のなかでも、彼女は向上心を失わず、文字を覚え、新しい縫製技術を身に着け、力強く未来を掴んでいきます。
そして、聡明で素直で誠実な彼女は、上流階級の女性の中でも信頼と友情を勝ち得ていきます。
イタリアだけでなく、世界中で刺繍や織物は女性の手仕事として、伝統的に受け継がれてきました。
その手仕事の芸術性は、しかしごく普通の日々のなかで生まれてきたものです。
女たちは、子どもを育て、食事をつくり、おしゃべりしながら縫物を、笑い、独創的なパターンを生み出し、時にはそれを売って家計の足しにしてきました。
”縫う”というただ一つの技術、この創造的な活動のすばらしさが本書では余すところなく描かれています。
女性の生き方として
本書には様々な女性が登場します。
主人公の味方になってくれる大地主の娘・エステル嬢。
エステル嬢の英語の家庭教師でジャーナリストのミス・ブリスコー。
吝嗇家の夫に悩まされるプロヴェーラ夫人とその二人の娘。
これらの女性たちは、裕福で素晴らしいドレスを身に着け、何不自由ない生活を送っていますが、同時に、父親や夫の一存で人生が決まってしまう危うさを秘めています。
一見、自由闊達に振る舞っている米国人ジャーナリストのミス・ブリスコーでさえ、その横暴な男性優位社会から自由でいられなかったことが、物語中で示唆されています。
特に、プロヴェーラ夫人の当時流行したジャポニスム風の桜模様の布を巡るエピソードは、当時の父権的社会が抱える滑稽で悲劇的な矛盾を、意外な角度から突く秀逸な物語です。
対して、主人公の少女は、貧しいお針子ですが、自分の技術一本で自立して生き、父や夫という鎖から自由でいられます。
”縫う”というただ一つの技術が、少女にいくばくかの自由を保障してくれるのです。
こういった極端な事柄は現代は減ったとはいえ、巧妙に更に見えにくい形になって残っているとも言えます。
私たち読者は、主人公の少女と一緒に、何もかも奪い去ろうとする”男たち”に憤慨し、奇妙な真実に驚き、愛について考え、そしてふと自らを省みます。
私たちは、社会規範という名のもとに、誰かから奪い、奪われていないか。
そして、私たちは、手を動かし、何かをつくることができているか。
本書を表す言葉は著者自身のこの言葉に詰まっています。
縫うとは素晴らしい創造的な活動だ。