書にいたる病

活字中毒者の読書記録

『乱鴉の島』有栖川有栖 | 【感想・ネタバレなし】王道の孤島ミステリ。精緻なロジカルと当時の最先端技術に寄せる著者の倫理的態度が融和する傑作

今回ご紹介するのは、有栖川有栖乱鴉の島』です。

所謂「作家アリスシリーズ」 の長編にあたり、孤島もののミステリに位置づけられます。

年代が2000年代初頭なので、携帯電話が一般的に普及しはじめたけれど、スマホはもう少し先、パソコンでインターネットを使用している人も半々という過渡期で、そこがまた味となっています。

孤島に引きこもる孤老の天才詩人とその崇拝者たち。

迷い込んだ探偵と助手。

ちらちら垣間見える秘密。

満を持して起きる事件。

これぞ、ミステリファン垂涎の王道の作品です。

それでは、あらすじと感想を書いていきます。

あらすじ

社会学者の火村英生は、休暇を取るため、友人である推理小説家・有栖川有栖を伴い、三重県のとある島を訪れる。しかし、船の手違いにより違う島に辿り着いてしまう。無数の烏の舞い飛ぶ島に住む孤高の老詩人・海老原瞬とその崇拝者たちに迎えられた火村と有栖川は、人々が何かの秘密を共有していることを嗅ぎ取る。そして、不穏な空気のなか、終に事件が発生する。

おすすめポイント 

孤島ものの王道ミステリが好きな方におすすめです。 

2000年代初頭のリアルな空気感を歴史的かつSF的に楽しめます。

エドガー・アラン・ポーの詩に対する文学談義などが盛り込まれている点も面白いです。

なるべくネタバレしないようにしますが、気になる方はご注意ください。

ネットの普及と孤島ミステリ

今や全世界を覆うネットの普及により、”孤島もの”は小細工を弄さないと描けない天然記念物化しているのでは無いかと思います。

先日ご紹介した2020年に刊行したばかりの、『楽園とは探偵の不在なり』も、SF的世界観を導入することで、”孤島”を実現させています。

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本書『乱鴉の島』が刊行されたのは2006年、携帯電話は一般的に普及したもののスマホはまだ先、パソコンの普及率は68%ほどという非常に微妙な時期に描かれた作品です。

火村とアリスも携帯電話を所有している描写はあるものの、訪れた烏島にあるパソコンはただ一台だけ、事件発生後、パソコンを調べるシーンで、登場人物の一人が、インターネットエクスプローラーの履歴を調べるところまで思い至らなかった」等の発言をするなど、今では到底考えられないシチュエーションです。

そして、この一台しかないパソコンとそこから繋がった未だか細いネットの線が、物語で重要な役割を果たします。

まさに、ネットが”孤島”を浸食しようとする寸前を切り取り、更にそれを逆手に取った貴重な作品ではないでしょうか。

2021年の私たちは、この作品を過去の遺物ではなく、歴史的に、またはSF的に楽しむことのできる贅沢な時代に生きていると言えるでしょう。

クローン技術によって描かれる永遠と愛

本書のなかでもう一つ重要なキーワードにクローン技術があります。

本書が刊行された前年の2005年は、韓国で「ヒト胚性幹細胞捏造事件」が発覚し、不法卵子の売買、論文の捏造、クローン技術に対する倫理的問題が噴出した年です。

もし、クローン技術により愛する人を蘇らせることができたら自分を複製し永遠に生きることができたら、という問いは、この時代ごく自然であり、それでいて、あまりにグロテスクで生々しいものだったのでしょう。

一方、エドガー・アラン・ポーと最愛の妻であり従妹であったヴァージニアとの関係に重ねて描かれる、老詩人・海老原瞬とその夭逝した妻に寄せる哀切の念、「短すぎた」という一言に込められた万感の思いはミステリという枠を超えて人の心を打つものがあります。

本書で、クローン技術は永遠を、愛は刹那的な生を象徴しているように感じます。

愛と永遠に対する先の問いに対し、本書は登場人物の一人の医師の口を通してこう語ります。

ゾウリムシのように細胞分裂をして永遠に自己を複製する生物は、他者と出会わないのだから、愛も憎しみも知らない。それこそが永遠だ。愛を知るのは、永遠から切り離されて一瞬を生きる者だけ。一瞬を生きる哀しみと苦しみは、一瞬を生きる幸せと喜びを保証してくれる。そう信じる。信じても哀しくて、それでも信じる。

いかにも良心的で善良な著者らしい言葉だと思います。

本書では、ミステリ的な精緻なロジカルによる犯人当てと、インターネット、クローン技術という最先端の技術の倫理的問題に向ける著者の態度が見事に融和した稀有な作品です。

ぜひ、一度堪能していただきたいです。

今回ご紹介した本はこちら

 

『JR高田馬場駅戸山口』柳美里 | 【感想・ネタバレなし】子供を守ろうとすればするほど行き場所を無くしていく女。居場所のない魂が行き着く先とは

今回ご紹介するのは、柳美里JR高田馬場駅戸山口 (河出文庫)』です。 

2020年度全米図書賞(National Book Awards 2020)の翻訳部門を受賞した『JR上野駅公園口』が連なる山手線シリーズの一作です。

そちらの感想はこちら↓

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本書は2012年に『グッドバイ・ママ』というタイトルで刊行、新装版にあたり現在のタイトルとなりました。

夫は単身赴任中で子どもと二人、育児ノイローゼに陥った母親の辿る孤独と悲劇を描いた小説です。

ごく普通の母親が足元の暗闇に飲み込まれていく様子は、ゾッとするものがありますが、同時に著者の”居場所のない人々”への限りない祈りにハッとさせられる物語でもあります。

それでは、あらすじと感想を書いていきます。

あらすじ

ゆみは一人息子のゆたかの育児に追われる母親。
育児に熱中するゆみの態度は、幼稚園やマンションの自治会との間で軋轢を生んでいく。さらに、単身赴任中の夫には女の影があり、ゆみは孤独を深めていく。
そして、追い詰められた女はある決断をくだす。

おすすめポイント 

ごく普通の人間が、ふとした拍子に社会から孤立していく過程がリアルで怖いです。 

子育て中の方は、ハッとさせられるシーンが多いと思います。

なるべくネタバレしないようにしますが、気になる方はご注意ください。

子供を守ろうとすればするほど孤立していく母親

主人公・ゆみは息子のゆたかに愛情を注ぐごく普通の母親です。

しかし、その行動は徐々に偏執的になっていきます。

放射能汚染されていない”安全な”食べ物を探すことに熱中し、子どものお弁当には”放射能に効くらしい”玄米や子供の発育に良い食べ物を詰め込みます。

ただ、幼い息子には玄米を噛み切れず、お弁当はほとんど残されてしまっているという現実からは目を背けています。

”子どもの足に良い”靴を高値で購入し履かせていますが、ゆたか自身はその靴が履きにくく、いつもビリになってしまうから、「みんなと同じがいい」と訴えますが、それも無視してしまいます。

また、幼稚園の正座教育に過剰に反発し、各方面の専門家にジャーナリストを名乗って取材したりと、その病的な行動から幼稚園側との確執を深めていきます。

そして、どうやら母親のそういった行動から、ゆたかは幼稚園で友達ができずにいることも示唆されています。

また、子育てに熱中しすぎるゆみには、ママ友がおらず、夫も単身赴任中、またマンションの自治会とはゴミの問題を巡って対立関係にあります。

子どもを守ろうとすればするほど、子どもにとっては迷惑極まりない行動をとってしまい、社会から孤立していく母親の描写がリアルで、「そっちに行っちゃだめだよ!」と小説の外から叫びたくなるような焦燥感があります。

居場所は本当になかったのか

絶望とは、まだ体験していない未来に疲れることである。(「新装版あとがき 絶望的な日々に求める……」)

ゆみの悲劇は、”自分には相談する人が誰もいない”と思い込んでしまったことだと思えてなりません。

ゆみはの両親は幼いころに離婚、父親とは16歳の時に死別し、母親と妹の連絡先は分かりません。

そして、義母には、「息子の嫁として認められていない」と感じ、距離を置いています。

そして、当の夫は単身赴任中。

しかし、本当に彼女に居場所はなかったのでしょうか。

もし、幼稚園の母親のなかに友人ができていたら。

もし、マンションの自治会に少しでも顔を出して友好関係を築いていたら。

もし、気まずくても義両親に「助けてほしい」と言えていたら。

もし、母親と妹を探し出し助けを求めていたら。

沢山の”もの”が虚しくこだまし、山手線という閉じられた円環のなかにゆみの魂は吸い込まれていきます。

現実に疲れ切ってしまうと、まだ訪れぬ未来にも疲れてしまう、それが絶望だと著者は言いたいのでしょうか。

この禍に満ちた世で、育児という大事を背負う人々が、毎日少しでも心軽くなる瞬間が訪れていることを祈ってやみません。

今回ご紹介した本はこちら

柳美里の「山手線シリーズ」

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『台北プライベートアイ』紀蔚然 | 【感想・ネタバレなし】台湾発のハードボイルド探偵が連続殺人事件を追いかける。この面白さは読まないと分からない!

今回ご紹介するのは、紀蔚然『台北プライベートアイ』です。

原題は『私家偵探』。

台湾人が書く私立探偵小説なんて、面白そうな予感しかしない!とビビっときて、そのまま夢中になって一気に読み上げました。

ジャンルを問われれば、”ハードボイルド”としか言いようがないのですが、著者の描く台北の街の描写や、シニカルな台湾人観が混じり合い、イギリス的でもアメリカ的でも日本的でもない、独自の世界観が広がっています。

また日本をはじめとする諸外国の犯罪者と台湾の犯罪者の比較など興味深いトピックスもあり、一粒で何粒も美味しい小説でした。

それでは、あらすじと感想を書いていきます。

あらすじ

劇作家であり演劇学部の教授である吾誠ウーチェンは、若い頃からの鬱病パニック障害に悩まされ、妻との関係も悪化、しかも、酒席で出席した演劇関係者全員を痛罵するという失態を演じてしまう。ついに教職も演劇の道もなげうち台北の裏通り臥龍街」に居を移し、私立探偵の看板を掲げる。何とか一つ目の依頼を解決した吾誠ウーチェンだったが、何と台北を騒がす連続殺人事件の容疑者となってしまう。自らの疑いを晴らすためには、真犯人を探し出すしかない。監視カメラの網の目をかいくぐり、殺人を続ける犯人の驚くべき正体と目的とは!

おすすめポイント 

台湾人から見た台湾の生の風景が楽しめます。

主人公をはじめとするキャラクターが個性的で、台湾独特の人間関係の機微も相まって独特の面白さがあります。

ハードボイルドであるものの、謎解きの楽しさを残した本格的な推理小説でもあり、意外な犯人に驚かされます。

なるべくネタバレしないようにしますが、気になる方はご注意ください。

キャラクターの面白さ 

この小説の魅力はまず主人公のキャラクターにあります。

演劇学部の教授かつ割と著名な劇作家である主人公ですが、実は若い頃から鬱病パニック障害強迫性障害などに悩まされ、妻との関係も悪化中。

自分の内面の問題で散々苦しんだ挙句、酒の席で、出席者全員に暴言を吐くという失態を演じ、恥じ入った末、全ての職を辞し、裏町で”私立探偵”をはじめます。

理由は「人助け」

うだつの上がらない中年男の都落ちのような描写とは裏腹に、近隣住民の車の当て逃げ犯を鮮やかに推理して見せたことや、一つ目の依頼を解決に導く手際の良さから、読者はこの吾誠ウーチェンなる主人公が、ただならぬ頭脳と行動力をもつ人物であることが分かってきます。

また、この主人公は、人間嫌いの厭世家のように振る舞っているくせに、子どもに英語をタダで教えてあげたりと意外と世話焼きで、次第に周囲に人の輪が広がっていきます。

舎弟的存在でおっちょこちょいだけど憎めないタクシー運転手・添来ティエンライや、臥龍街派出所の人の好い警察官・小胖シャオパン吾誠ウーチェンが子供に英語を教えている阿鑫アシン一家。

彼らは、吾誠ウーチェンが連続殺人の容疑者となり逮捕された後でも、疑うことなく味方になってくれます。

この台湾人的親愛には、皮肉屋を気取る主人公もつい嘯いてしまいます。

台湾人はなにかというとすぐに、兄弟じゃないかとかなんとか、感傷的なことを言うので、おれはずっと反感をもっていたのだが、彼らが惜しげもなく親切にしてくれるものだから、おれもついに、いわゆる「光輝き、これからの人生を照らしてくれる真実の暖かい心」を見出してしまったかと思ったほどだ。

周囲に励まされながら、真犯人を突き止める覚悟を決める主人公は、遺されたかすかなヒントをつまみ上げながら、一歩一歩真相に肉薄していきます。このスリル!

そして、判明する意外な犯人!

登場人物の立場の明確さもあり、もしかして犯人は序盤で登場していないキャラクターじゃないだろな?、と疑っていたのですが、見事に出し抜かれました! 脱帽です。

シニカルな台湾人観と日本に対する興味深い眼差し

本書は台湾人が台湾のことを書いているので、その描写は皮肉なユーモアに包まれています。

例えば、

台湾では赤信号は「突っ込む準備をしろ」という意味で、緑は「そら、突っ込め」、黄色は「まだ突っ込まないのか、この馬鹿たれ!」という意味なのだ。

そんなアホな。

また、台湾の犯罪について、他ならぬ日本と比較して書いている興味深い箇所もあります。

主人公によると、台湾の殺人犯のほとんどが「衝動型」で、動機も「金・痴情・恨み」の三種類だけだと言います。

あるの社会欄の記事から、二件の殺人事件(一方は別れ話のこじれ、一方は美人局への復讐)を引き合いにだし、同日の日本の連続殺人事件と比較させます。

同じ日の日本を見れば、連続殺人事件が決着したという記事がある。容疑者は二人を刺殺し、一人にケガをさせた後、自首した。動機は、三十四年前に保健所が、自分のペットを察処分し、そのうえ、今に至るまで毎年、なんの罪もない五十万匹の動物を殺していることに憤慨したというものだった。

主人公はこの日本の事件の「動機の抽象性のレベルの高さ」に恐ろしくなったといいます。

つまり、台湾の犯罪はある意味牧歌的で、日本やアメリカ、イギリスの有名な連続殺人犯を生むほどの土壌が無い、というのです。

また、社会秩序を重んじ、規律を強いる社会ほど、それを乗り越える”犯罪”が起きやすいと指摘し、日本を「アジアの国々のなかで、連続殺人事件の数がトップ」と名指しします。

日本人が酒を飲んだ途端に無礼きわまる醜態をさらすことはよく知られている。

よく知られているのか……。なんだかすごく恥ずかしい……。

こういった台湾のリアルな声を聴くことは新鮮な感動があるし、日本人が持つ病的な偏執性を外側から言い表されるのも、なんだか痛気持ちいい気分です。

なんというか、私たちは自分たちが思っているほど、キチンとした人間とは思われていないのかもしれませんね。

お酒を飲んだときは、注意しよう!と決意しました。

今回ご紹介した本はこちら

『ウエストウイング』津村記久子 | 【感想・ネタバレなし】雑居ビルのデッドスペースで交錯する年齢も性別もバラバラの3人の人生。

今回ご紹介するのは、津村記久子ウエストウイング』 です。

津村記久子の物語は、就職氷河期世代真っ盛りといった風の全体的に未来の見えないどんよりした気怠さ全開の雰囲気なのに、独特のユーモアとシニカルさにニヤリとさせられ、何故か読み終わると、「明日もまあがんばろうかなあ」なんて励まされてしまう、という不思議な魅力があります。

本書もそういったお話です。

年齢も性別もバラバラの3人が一つの場所を共有しながらすれ違い、思わぬ災厄にあったり、知らず助け合ったり、面白い小説でした。

それでは、あらすじと感想を書いていきます。

あらすじ

設計事務所の内勤・ネゴロ、絵の得意な小学生・ヒロシ、土壌水質解析会社のサラリーマン・フカボリ。
取り壊しの噂もある古い雑居ビルの忘れられた物置で、3人はお互いの顔も知らぬまま物々交換をはじめる。
次々降りかかる生活上の災難や、思いもかけぬ出来事、雑居ビルを交錯する無数の人々の中で、3人の人生は知らず影響し合い、小さな奇跡を生む。

おすすめポイント 

クールな文体で最後に少し希望が残るような小説が読みたい方におすすめです。

沢山の人が交互に登場する群像劇が好きな方におすすめです。

なるべくネタバレしないようにしますが、気になる方はご注意ください。

お互いの顔も知らぬまま始まる関係 

OLのネゴロ、小学生のヒロシ、サラリーマンのフカボリは雑居ビルのデッドスペースである物置をサボり場所にしているという共通点から、お互いの顔も知らぬまま物々交換をする関係に至ります。

フカボリの置いていったインクカートリッジはネゴロに、ネゴロの用意した古いカメラとバインダーはそれぞれヒロシとフカボリに、ヒロシのつくった消しゴムはんこはネゴロに。

3人の生活は、古びた雑居ビル同様パッとしません。

ネゴロは使えない甘ちゃんの後輩女子に振り回されるし、ヒロシは母親の干渉を逃れて好きな絵を描いたり物語を考えたりしたいのに塾の講師はウザいし、フカボリは減給されたうえ取引会社の社長が倒れるしで、大きな不幸もないのですが、いまいちな日常を過ごしています。

なので、お互いの事情に踏み込まない物置に置かれたメモだけでやり取りが交わされる微温的で儚い関係はある種の安らぎが感じられます。

いつばったり出くわしてもおかしくないのに、ビミョーにすれ違う、実際、こういうことがあると面白いよねーと思います。

ちょっと映画で見てみたい気もします。

日常に突然訪れる非日常

こんな感じで、ぼんやり続いてきた日常のなかに、二つの大きな事件が降りかかります。

一つは、大雨による駅へと続く地下通路の浸水事件です

ターミナルへと続く地下通路が大雨で水没したことにより、雑居ビルは非日常感に包まれます。

ヒロシは、濡れた靴下を選択して乾かすというちょい仕事をクロークルームのオーナーのおっさんやエステサロンのお姉さんと始めたり、フカボリは偶々見つけたゴムボートで、地下通路を横断し荷物を運搬して小金を稼いだり、ネゴロは先輩の娘さんの作品をそうとは知らずフカボリに預けたり、大雨というイベントのなかで、それまで関わりのなかった人がワッと集まって影響しあって、そこかしこで何かが起こる様子は、まるでお祭りのようでちょっとワクワクしてしまいます。

そして、もう一つはビルの排水管の汚染事件です。

3人が利用していた物置の排水管が破裂したことがきっかけで判明した、ビルの排水管の汚染により、3人はよく分からない病原菌に感染し、同じ病院に隔離させられてしまいます。

同時に、これまで噂だけだったビルの取り壊しの話も本格的になってきます。

人が影響し合うことで起きるドラマ

3人は、いまいちパッとしない日々を過ごす雑居ビルをそれでも何とか残せないか、それぞれ考え少しだけ行動を起こします。

その様子は、日々、真面目に働いても薄給で、嫌な上司はいるし、塾の先生は尊敬できないし、隣の先輩の愚痴はウザいし、な今いちな毎日へのそれでも持ち続けている愛着を感じさせます

それ一つだけでは、何の効果もない行動が、伝線し影響し合うことで、ちょっとした小さな奇跡が起きる、それは、吹き続ける世間の逆風へのちょっとした意趣返しのようで思わずガッツポーズを取りたくなります。

明日からも、たぶん嫌な上司や先輩がいて、面倒な後輩に煩わされて、お金はなくて、彼女もできなくても、でも、毎日ちゃんと、ちゃんと生きていこう、そういうあっけらかんとした気持ちにさせてくれる小説でした。

今回ご紹介した本はこちら

津村記久子の他のおすすめ作品

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『JR品川駅高輪口』柳美里 | 【感想・ネタバレなし】携帯電話で自殺掲示板を眺める女子高生は品川駅から約束の場所へ向かう。毎日毎刻生きることを選択し続ける、その尊さを温かな雨が濡らす

今回ご紹介するのは、柳美里JR品川駅高輪口 (河出文庫)』です。

2020年度全米図書賞(National Book Awards 2020)の翻訳部門を受賞した『JR上野駅公園口』が連なる山手線シリーズの一作です。

そちらの感想はこちら↓

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本書は2011年に『自殺の国』というタイトルで刊行、2016年に『まちあわせ』と改題して、文庫化された作品の新装版にあたり現在のタイトルとなりました。

死に引き寄せられる女子高生が立つ断崖のようなプラットホームから見渡す景色を克明に描いた作品です。

『JR上野駅公園口』が死者の物語なのだとしたら、本書は生者の慟哭と言えるでしょう。

 著者は「新装版あとがき 一つの見晴らしとして」において次のように語っています。

山手線という閉ざされた円環への眼差しが、この歪な日本社会への一つの見晴らしとしとなりますように、と私は両手を祈りの形に握り合わせている。

それでは、あらすじと感想を書いていきます。

あらすじ

市原百音(いちはらもね)、高校1年生。学校にも家庭にも居場所がない。
携帯電話のなかの自殺掲示板を眺めながら、断崖のようなプラットホームに立つ。
そして彼女は21時12分品川発の電車に乗り、約束の場所に向かう。
この世は生きるに値するのか、孤独な少女の問いに答えはあるのか。

おすすめポイント 

自殺という単語に引き寄せられる未熟な魂を否定も肯定もせず、ただ真正面から描ききった点がすばらしいです。

また、あとがきにある理由から電車に飛び込むシーンを描かなかった点にも敬意を評したいです。

なるべくネタバレしないようにしますが、気になる方はご注意ください。

主人公の抱える虚無

本書のは、女子高生の主人公・百音(もね)が、自殺掲示板で同士を募り集団自殺を図るというショッキングな内容です。

「死にたい」「誰か一緒に死んでほしい」そんな言葉が飛び交う掲示板と、山手線を利用する雑踏の声が交互に繰り返されることで、百音の抱える空虚が読者にストンと提示されます。

しかし、百音の境遇は取り立てて不幸というほどではありません。

学校では、上辺だけとはいえ友人がいて、いじめを受けているということもない。

母親は弟の受験にかかりっきりなものの、虐待を受けているということもなく、どちらかといえば父親に可愛がられている様子もあります。

多少、問題はあるけれど、どこにでもある不幸、という感じです。

他人から見れば大したことのない悩み、そうだからこそ彼女の抱える虚無は膨らむのかもしれません。

掲示板を見て集まった集団自殺者の一人の女性は言います。

「おばさんはいろいろあって、もう駄目だけど、あなたはまだ若いんだし、生きていれば、悪いことだけじゃなくて、いいことも……」

自分も自殺しようとしているくせに、ありきたりのセリフで百音を止めようとする彼女の姿は滑稽ですらあります。

まだ若いから、人生悪いことだけじゃない、生きてさえいればいいことがある、そんな空虚な言葉では死に向かう人を止めることはできないのかもしれません。

彼女の行動を、もっと苦しんでいる人もいるのに、と憤る方もあるかもしれませんが、本書は彼女の行動を真正面から淡々と描き、否定も肯定もしません。

彼女の抱える空洞に最後まで寄り添います。

人間への敬意

百音の環境が変化することは最後までありません。

相変わらず、見せかけの友人、見せかけの家庭。

それでも、私は、著者が最後まで彼女を取り巻く環境を好転させなかったことに、むしろ人間への敬意を見ました。

一筋の希望として、祖母との思い出や、不器用に会話を試みる父親を随所に登場させますが、それを理由に彼女は生きることを決めるわけではありません。

おそらく、人が生きるのは(そして死ぬのは)、人生に良いことがあったり悪いことがあったりするからではなく、ただ、その人の人生を生きるから(あるいは死ぬから)なのでしょう(上手く言えませんが……)。

「どんなに残酷であったとしても、人生は生きるに値する」ということをしめしたいと思った。(「新装版あとがき 一つの見晴らしとして」)

また、自殺をテーマとし、電車や駅が頻繁に登場する作品であるのに、人が飛び込むシーンは描かれていません。それは、

登場人物が、電車が近づく数分の間に、死を思い留まり、生に引き返すかもしれないという可能性を僅かでも残しておきたかったので、わたしは電車に飛び込むシーンは書いていない。(「新装版あとがき 一つの見晴らしとして」)

ラストの英語の授業で百音が英文を音読するシーン、は美しく、彼女の選択と、これから訪れる日々を慰撫するかのようです。

It is raining softly now.

いま静かに雨が降っています。

When will it stop raining?

雨はいつやむのでしょう?

The rainy season will begin soon.

私たちは良い人生だから生きるわけではなく、悪い人生だから死ぬわけではない、ただ、毎日毎刻生きることを選択し続けている、その尊さに温かな雨が降る、そんな想いが胸を貫きました。

今回ご紹介した本はこちら

柳美里の「山手線シリーズ」

 

『さよならの夜食カフェ-マカン・マラン おしまい』古内一絵 | 【感想・ネタバレなし】マカン・マランシリーズ第4作。

今回ご紹介するのは、古内一絵『さよならの夜食カフェ-マカン・マラン おしまい (単行本)』です。

おしまい、ということは、もうこれがシリーズ最終作となるということですね。

ちょっと残念です。

でも、これまでのシャールさんに掬い上げられてきた各話の主人公らが一挙に登場するのはシリーズの愛読者としては、とても嬉しかったです。

それでは、あらすじと感想を書いていきます。

これまでのシリーズの感想はこちら↓

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あらすじ

大人気「マカン・マランシリーズ」の第4弾にして最終作。
友人グループとの間に入った亀裂に悩む自意識過剰気味の女子高生。
SNSの炎上に巻き込まれた和食創作料理人。
母との確執とセレブ妻同士のマウンティングに疲弊するトロフィーワイフ。
そして、これまで様々な人を迎え入れてきたシャールのもとに、白皙の美青年が訪ねてくる。「マカン・マラン」を開店したきっかけ、これまで訪れた様々な人が脳裏を去来するなかで、クリスマスの特別な夜がやってくる。

おすすめポイント 

食べ物がメインの物語が好きな方、ハッピーエンドが好きな方におすすめです。

これまで登場した各話の主人公らのその後が触れられます。 

なるべくネタバレしないようにしますが、気になる方はご注意ください。

 各章の感想

第1話「さくらんぼのティラミスのエール」

主人公は、母を幼くして亡くし父と祖母に甘やかされて育った女子高生・秋元希美です。

ビーズジュエリーづくりが趣味の彼女は、つくった作品をプレゼントすることで、友人グループ内の立ち位置を確保していますが、最近、友人らから煙たがられているような気がして焦っています。

この話には沢山の問題が示唆されているのが面白かったです。

・甘やかされて育った人間がとる悪気のない行動

・自分の自意識の高さ無知に気付いたときの愕然とした思い

・作品を無料でプレゼントすることのリスク

希美ちゃんは、私の学生時代の友人の一人を思い出させます。

悪気はないんだけど、人の勘に触るような言動をするので、よくフォローに回されていたのを思い出します。

といっても、私は希美のフォロー役である和葉のように優しくないので、気まぐれにかばったり、かばわなかったり質が悪かったと思います。

一方、得意だからといって、人にタダでものを頼むのは、リスクを伴うと再認識させてくれました。

学生時代、サークルなどのポスターに、絵が上手いからといって気軽にデザインを頼んだりするのも本当は良くなかったな、と反省。

「ティラミス」の意味は「私を元気にして」ですが、直訳すると「私を持ち上げて」です。

この話のなかでは、直訳は紹介されませんが、自分が甘やかされて育ったことに気付いた希美は、今後、自分で自分を、人の気持ちが慮れる人間に”持ち上げて”行かなくてはいけません。

そういった意味も込められているのかな、と少し思いました。

第2話「幻惑のキャロットケーキ」

主人公は、料亭「ASHIZAWA」の若きオーナーシェフ・芦沢庸介です。

シリーズ第3作『きまぐれな夜食カフェ』の第2話「藪入りのジュンサイ冷や麦」に、成功を収めた同期として華々しく登場する彼ですが、そのうちメインで登場するだろうと実は思っていました。

強気で、何もかも利用する胆力のある彼が、その性質故にSNSの炎上商法に巻き込まれてしまう、という話なのですが、ネット慣れしている読者は、見え見えの煽りにまんまと引っ掛かる庸介に、あ~アホだな~と呆れてしまうでしょう。

第1話もそうですが、SNSマジ怖い……。

この話の見所は、「藪入りのジュンサイ冷や麦」に登場した和食料理人・香坂とライターのさくらちゃんの再登場でしょう。

他人の目を通して見る香坂とさくらのそれぞれの姿が新鮮で、落ち込んだときの二人を知っている読者としては、その後がんばっている二人に励まされます。

あと、この話のタイトルは「キャロットケーキ」ですが、人参は登場しません!

秘密はぜひ本篇を読んでみてください。

第3話「追憶のたまごスープ」

シリーズ第3作『きまぐれな夜食カフェ』の第3話「風と火のスープカレーにちらっと登場する若きセレブ妻・平川更紗が主人公です。

「風と火のスープカレーで登場したときは、若年ながら、手強いセレブ妻同士のマウンティングを強かに乗り切り、かつ、主人公の燿子をさりげなく手助けしてくれる魅力的なキャラクターでした。

今回は、彼女の内面と過去が深く掘り下げられます。

勝気で派手に見える彼女には、母親との確執から来る、自分への根深いコンプレックスが隠されています。

娘として生まれた者は、すべて母親に対しては、大なり小なり愛憎を抱える宿命にあるよね、という話でした。

個人的には、燿子と更紗の住む高層マンションの管理組合会長にしてボス妻・圭伊子が主人公の話も読みたかったな~、と思います。

なんかすごい面白いこと考えてそうな女ですよね、彼女。

第4話「旅立ちのガレット・デ・ロワ

迫るクリスマスまでの日々、シャールさんが、これまで迎えてきた様々な人を思い起こし、「マカン・マラン」を開店するまでの経緯に思いを馳せる最終話に相応しい話です。

シリーズ通してちょくちょく登場するクリスタの意外な一面が明らかになる回でもあります。

ここでそう使ってくるのか!

また、1作目から伏線の張られていた中学校教員・柳田の水泳部顧問時代に行った”あること”の真相も明らかになります。

LGBTQにいまいち理解のない頭の固いおっさんの柳田ですが、やはりやるときはやる男でした。やるじゃん柳田!

でも、柳田は、LGBTQという自分が理解できないものに対し、打ち解けもしませんが、反対に拒絶もしません。

シリーズ通してこの頭の固いおっさんを登場させているのは、自分は理解がある人間のふりをして、そのことでマイノリティを異分子として傷つけ疎外する人間が存在することを、反証的に示したかったからではないかと私は考えています。

ガレット・デ・ロワは、公現祭(1月6日)に食べるフランスの伝統的なお菓子です。

最近は日本でも市民権を得てきているので、ご存じの方も多いのでは。

ガレット・デ・ロワはフェーヴとよばれる陶器の人形が一つ仕込まれ、それがあたった人はその年の王様として皆から祝福されます。

ちなみに、このフェーヴにも熱烈な収集家が存在するそうです。

シャールさんはガレット・デ・ロワに仕込むフェーヴに、いかにもシャールさんらしい意匠を凝らします

シリーズ最終話に相応しいこのお菓子を、ぜひ本篇で確認してください。

今回ご紹介した本はこちら

シリーズの既刊はこちら

第1作目

第2作目

第3作目

『男ともだち』千早茜 | 【感想・ネタバレなし】異性の友人というややこしさを喝破する潔さに心洗われる、古い友人に会いたくなる一冊

今回ご紹介するのは、 千早茜男ともだち』です。

これまで読んだ著者の本のなかで(エッセイも含めて)、著者の内臓に一番深く触れる小説だった気がします。

それだけに表現としての小説というより、良い意味でも悪い意味でも何かの吐露のような、洗練さよりは荒削りで無骨な突き上げるような魅力を感じました。

「男女の友情は存在するか」というのは、永遠のテーマですが、本書はこの永遠のクエスチョンに対し、一定の答えを弾き出していると思います。

それでは、あらすじと感想を書いていきます。

あらすじ

29歳のイラストレーター・神名葵。
同棲している恋人とは関係が冷めかけているものの、医者の愛人とは一線を引いた割り切った関係を続けている。
夢を叶え仕事は順調なはずなのに、描きたいものを描けていない気がする。
そんなぽっかり穴があいたような日々に、学生時代の”男ともだち”ハセオが七年ぶりに帰ってくる。
身体の関係なしに、大切にしてくれる存在。これは何という関係なのか。
仕事・恋愛・友情、強欲で貪欲で臆病な29歳の女性の日々に変化が訪れる。

おすすめポイント 

タイトルから警戒されるかもしれませんが、恋愛より仕事が占める割合が大きい小説です。今の仕事に情熱を燃やす方におすすめです。

「男女の友情は存在するか」 、無い派ある派どちらにもおすすめです。

なるべくネタバレしないようにしますが、気になる方はご注意ください。

浮気に罪悪感を覚えるか問題

主人公である神名は、誠実で優しい恋人・彰人と同棲しながらも、妻子ある医者・真司と浮気を重ねています。

そのことに対し、全く罪悪感を持っていません。

ここからは私の私見なのですが、ものがたりの世界、特に小説の世界ににどっぷり足を突っ込んでいる人間は、浮気や不倫に罪悪感を抱きにくくなる気がします。

だって、小説のなかにはそんなものありふれているから。

私は、小学校にあがる前から、どっぷり本の世界に浸り、小学校にあがってすぐ渡辺淳一などを読みふけっていたので、大人は浮気や不倫をするものだと刷り込まれてしまっているところがあります。

なので、私たちが、そういったことをしないのは、罪悪感があるからではなく、あらゆるリスク計算や機会の有無がそうさせるからに過ぎません。

神名が浮気に罪悪感を持たないのも、ただ、機会があり、自分の輪郭をなぞるために必要な行為だからです。

私たちのような人間に貞操観念や人間性を問うても無駄なのです。

結局、人は自分の行為にしか責任も言及もできません。

神名と久しぶりに再会した友人の美穂との会話でそれがよくわかります。

「なじる?」

「うん、こういう話をするとよく責められるから。責めるというか、もう人間性を否定されるよね。貞操観念はないのか、とか、よく好きになってくれる人を裏切って平気だよね、とか」

美穂は白ワインをひとくち飲んで、口元だけで笑った。

「そして、最後はきまって呪いをかけるでしょう? いつか絶対に報いが返ってくるって。女の子って自分の置かれている状況を中心に物事を判断するから仕方ないわよ。結婚したての子とかってすごく不倫ネタに拒絶反応示すもんね。でも、そういう子に限って自分が不倫すると、私たちのは純愛だからとか言い出すのよ」

あー、わかるわかる~、とかなり具体的な友達の名前まで浮かんできてしまいました。

この切れ味の鋭さがたまりません。

”ともだち”というややこしさ

タイトルから、反転して恋愛ものだと思って読み始めたのですが、あにはからんや、読後、これは創作というものを仕事にした29歳の女性の宿命と闘気と、それを見守ってくれる”ともだち”のハヤオの話なのだと、私は受け取りました。

”ともだち”だと見守るのも応援するのも普通のことなのに、それが異性だというだけで、何故かややこしい響きになります。

神名の恋人・彰人も「男ともだち」という言葉を「なんだかずるい響き」と表現します。

神名は、イラストレーターという仕事に己のすべてを捧げる女性です。

私生活より仕事を優先させる闘気を立ち昇らせ、しかも、ある程度成功を収めてしまっています。

女性を庇護下に置きたい男性からすると、プライドやナルシズムをいたく刺激する難物です。

私には古い友人がいるのですが、神名とハヤオの関係は、私とその子との関係によく似ています(ちなみに私はハヤオのほう)。

たまたま、女性同士なので、普通の友人としてやって来れていますが、私が男だったら、二人の関係は神名とハヤオのようなややこしいものになっていただろうな、と思います。

何もかもを振り切って走っていく、走らずにはおれない神名に私はつい自分の友人を重ね、自分にはハヤオの心が伝線していくように感じました

走れ! 思うままに! いつも心のどこかで想っているから。見ているから。

助けが必要なときは、いつもここにいるから。”ともだち”だから。

自分も同世代の女なのに、何故か30歳のハセオに感情移入してしまいました。何故?

男とか女とか関係ない! ともだちはともだち!と潔く喝破されたような気がしました。

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