書にいたる病

活字中毒者の読書記録

『平家物語』古川日出男訳 | 【感想・ネタバレなし】無数の死者の声がこだまする日本屈指のギガノベルが現代の”声”で甦る

今日読んだのは、古川日出男訳『平家物語 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集09)』です。

古川日出男のファンである私ですが、2016年に出版されたこちらは未読でした。

古川日出男オリジナル”じゃないしな~、という思いと、平家物語』という合戦もの=固そう・退屈そうというぼんやりイメージ、かつ池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」という一連のなかの9巻ということもあって、なんとなく手に入れずらいと感じていました。

そんなとき、なんとこの古川日出男訳『平家物語』が2022年1月よりアニメ化!というニュースが入り、すわ!一大事!と急遽手に入れ読み始めました。

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そして先日ようやく読み終わりました。

まあ、長い長い! 

しかし、まあ面白い! まさに日本古典の雄。

男臭く堅苦しい合戦記を想像していたのに、この面白さは何なのか

一気に読み終わってしまいました。

描かれていたのは、愚かしく弱く儚くそれ故にどうにも愛しい人間・人間・人間の姿。

かなり原文に忠実に現代語訳されている(=くどくどしくなり易い)はずなのに、そこは古川日出男特有のリズミカルな語り口により、この物語が琵琶法師によって”語られた物語”だということを思い起こさせてくれます。

また物語の場は京都・滋賀を中心に、北陸、瀬戸内海・九州と広がるので、そこらへんに地縁のある方は、あの場所でこんなことが、という臨場感を味わえると思います。

それでは、あらすじと感想を書いていきます。

あらすじ

末法の世、混乱を極める政治、争いに次ぐ争い。
束の間の栄華を極める平家一門の興廃が多様な声で語られる日本古典史上のギガノベル。
男たちは、女たち、は歴史の動乱の一瞬に何を見たのか。
現代の魔術的話者・古川日出男が語りなおす『平家物語』の新しい真の姿。

おすすめポイント 

・『平家物語』って古典だし難しそう・退屈そうと思っている方にこそおすすめです。めちゃくちゃ面白いです。

・京都・滋賀に地縁のある方におすすめです(地名がばんばん出てきます)。

なるべくネタバレしないようにしますが、気になる方はご注意ください。

平家物語は合戦記ではない?

なにしろ、平家がいわゆる軍記物語だと思い込んでいる人は仰天するだろうが、この作品には四巻めに至るまで合戦の描写はない、、、、、、、、、、、、、、、、。そこまでにあるのは、むしろ政治、政治、政治だ。あとは宗教。そして恋愛。(「前語り ーこの時代の琵琶法師を生むために」)

仰天しました。

そして、実際に読んでみると、描かれているのは、どこまでいっても人間のしょうもない姿なのです。

荒々しく合戦の場面などは最後のほうの一瞬で、大体がまるで大学のサークルの内部抗争のような、しょうもない諍いの連続なのです。

誰々がどこそこでこう言った、ああ言った、みたいな噂に尾鰭が付きまくった挙句、兵を挙げたり出家したり、人間て800年たってもたいして変わらないな、と嫌な意味で感心してしまいました。

こういう世界では、政治的にしたたかで情報に強い人間が生き残るのでしょうね。

特に、後白河法皇という人物のしぶとさ、政治強さ、悪運強さ、機を見る聡さには驚かされます。

この人物こそ、平家のキーマンと言えるのではないでしょうか。

平氏がこの法皇をしっかりマークできていれば歴史も少し変わったかもしれません。

しかし、この後白河法皇はどうにも好きになれないキャラクターです。

結局、そういう人物こそ生き残っていくのでしょうね。

それも今と同じですねー。

末法思想と平家一門の興廃

平家では男も女もやたらめったら泣きます。

この時代、末法思想(この世は釈迦の教えがすっかり廃れた時代だ、という思想)がはびこっていて、それに平家一門の一瞬の彗星のような興廃の姿が重なって、得も言われぬ無常観が醸し出されています。

基本的に、現世は穢土(穢れたクソみたいな世界)という認識があり、何とか人間に生まれ幸運にも仏の教えに巡り合うこともできたので、なんとか来世で極楽浄土に生まれ変わるのを狙う、というのがセオリーのようです。

なので、やたらめったら出家したがります。

いかにも愚かな人間の姿

この穢れた現世からはさっさとおさらばしたい、でもそこは人間だから、妻もあるし、子供のことも気にかかる。

平家はそんな人間の弱さにスポットライトを当てます。

清盛亡きあと、一門の総大将となった宗盛はかの壇ノ浦の戦いで負けた後も入水もせず、捕虜にされ晒されるという恥をさらし、それでもない自害もせず、いつ自分と息子が処刑されるか、怯え続けます。

処刑の日が迫る中、源氏方の義経の恩情により、高名な聖が呼ばれます。

聖に導かれるままに、ひたすら念仏を唱え、現世への未練と迷いを捨て去ろうとする宗盛ですが、首を斬られんとするその最後、ふと念仏をやめ「右衛門の督も、すでにか(息子はもう切られたのか)」とつぶやき、その直後に首が切られます。

結局、最後の最後までちっぽけで愚かな人間であることをやめることのできない宗盛という人間の姿がそこにあります。

そして、その姿に、周囲の人々はやはり涙するのです。

その姿は、弟の知盛が「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」と潔く入水したのと対照的です。

実際、物語のなかでも、兄である宗盛は愚かさ故に失策を続け、賢い弟であるところの知盛がそれに歯がみするという構図が何度かあるのですが、読者(聞き手)としては、知盛の堂々とした最期にも感心させられるものの、やはり宗盛のどうしようもない弱さにも胸を打たれるものがあります。

女たち

平家は男だけの物語か、といえば実はそうではないのです。

本書には実に数多くの女が登場します。

そして、一人の女として感想を言えば、武士の妻になんかなるもんじゃないな、というものです。

特に胸を打たれたのが、清盛の甥にあたる通盛の北の方の最期です。

一の谷の合戦で通盛が戦死したと聞かされた北の方は、泣き伏し乳母の女房に、

「それでね、聞いて。私が身重になったことは日頃は隠して言わないでいたでしょう。でも気が強いと思われまいと考えてお耳に入れました。孕みましたって。そうしたら、本当にうれしそうにあの人は言われた。『通盛はもうよわい三十になるが』と言われた。『これまで子というものがなかった』と言われて、あとは言わずもがなだった。そしてね、続けられたわ。『ああ、男子であってほしい。この世の忘れ形見にも思うばかりだよ。さて幾月ほどになるのだ。気分はどうなのだ。いつまで続くかわからない海の上、船の中の暮らしだから、穏やかに身二つになるには、さあ、どうしたらいいだろう』と訊かれるの。」

哀切の極みです。私はここで泣きました。

はじめて父親になったことを聞かされはしゃぎ、妻に「何か月になるの? 気分はどうなの?」と喜ぶ夫の姿は現代と変わりありません。

しかし、その夫も今はもう亡い。

こうして見ると平家は大局的な歴史を描きながら、同時にごく個人的な慈愛を語る稀有な物語なのではないか、と思います。

今回ご紹介した本はこちら

古川日出男の他のおすすめ作品

『もう泣かない電気毛布は裏切らない』神野紗希 | 【感想・ネタバレなし】俳人であり新妻であり母であり…他愛のない日常がきらめく今を生きる俳人のエッセイ集

今日読んだのは、神野紗希『もう泣かない電気毛布は裏切らない』です。

1983年生まれの現代に生きる女性であり、妻であり母であり、俳人でもある著者がどのように日々を綴るかに興味を惹かれ、読み始めました。

結婚、夫との日々、幼い息子の眼差し、俳句への想い、他愛のない日常が、要所要所で引用される俳句と共にみずみずしく綴られており、俳人と聞いてちょっと身構えていた心が解きほぐされていくようでした。

それでは、感想を書いていきます。

あらすじ

ー新妻として菜の花を茹でこぼす

幼い息子の透明な眼差し、母乳の色、マリッジブルーの夫、蜜柑、コンビニのおでん。
俳人であり、現代を生きる女性であり、母である、妻である著者が綴る他愛のなく愛おしい日々。
「いつか来る、本当の最後の日まで。豚汁を啜って、蜜柑をむいて。なんでもない、当たり前の光を重ねてゆこう。(本文より)」

おすすめポイント 

・俳句というと身構えてしまう方にこそおすすめです。

・ほっと一息つけるような読書をしたい方におすすめです。

なるべくネタバレしないようにしますが、気になる方はご注意ください。

母として

子どもを産んでから、よく「母になってどんな変化があった?」と聞かれる。俳句に向き合うスタンスや作る俳句に、おのずと変化が現れるのでは、と考える人が多いようだ。

妻になっても、母になっても、何か違うものにトランスフォームするわけではないのですが、周囲はついつい変化を求めてしまうようです。

自分が変わる、というより周囲の見方が変わってしまうようです。

著者は続く文章で「変わることよりも、変わらないでいることのほうが、存外難しい」とため息をつきながら、一方、母である自分、妻である自分を相対化し興味深げに眺めているふしがあります。

息子の保育園の申込書の職業欄に「俳人」と書き、胡散臭いなあ、絶対落ちるな、と思う話など、こちらもクスリとしてしまいます。

この相対化について興味深いエピソードが引かれています。

結婚についての筆者の句を引用されたエピソードなのですが、元の句とは少し違った形で引用された、というものです。

〔原句〕新妻として菜の花を茹でこぼす

〔引用〕新妻となりて菜の花を茹でこぼす

引用では、筆者が”新妻”になってしまっていますが、元の句では、”新妻”なる肩書がついた自分を客観的に面白がりおどけている風情があります。

俳句の「俳」の字は、演じるとかおどけるとか、行きつ戻りつするという意味をもつが、完全に新妻であるというよりも、新妻の私と別の私を行きつ戻りつしながら生きているというほうが、現実に即している気がしている。

~の奥さんや、~くんのママなど、人生が進むにつれ、増えていく肩書に少しおどけながら、軽やかに「行きつ戻りつする」態度が新鮮で、これが、ものごとを客観的にとらえることに慣れた”俳人”の視線なのかな、とちょっとそわっとしました。

子どもについて

本書の多くの部分に、筆者の幼い息子の存在が光ります。

私は実は小さい子どもというのが、何となく苦手なのですが、というのは実は正しくなく、小さい子どもの言動を、「~したいのかな~? かわいいねえ」「やっぱりパパとママが好きなんだねえ」と自分の解釈したいように解釈し屈託ない”大人”が苦手なのですが、本書はそんな私のなんとなくモヤモヤした思いを”俳句”という写生の文学のなかで見事に言い表してくれました。

正岡子規の句を引用しながら、写生とは「大人が子供を視るの態度」であること、つまり対象に感情移入せず淡々と客観的な態度を保って読むことで対象の存在を際立たせることを解説します。

 逆に、対象に共感し感情移入するとどうなるか。どもすれば次のような句になりかねない。

〔悪例〕瓜の花母がいなくてさびしい子

〔悪例〕昼寝の子風が手招きしてをりぬ

 その子にしか分からない感情を「さびしい」と簡単な言葉で代弁してしまったり、子どもの心などおかまいなしに、風を手招きしているようだと、自分の論理に引き寄せて比喩したり。

 共感するふりをして他者の思いを代弁してしまうことは、他者を自分に置き換えて理解しているだけで、結局、他者を無視しているのと変わらない。

そうそう!、そうなんです!

と膝を打ちたくなりました。

動物や小さな子供への接し方で、本人は可愛がっているつもりでも、可愛がりたい自分を押し付けているだけで、相手を尊重していない態度は、何となく見ているこちらを「???」の気分にさせるのですが、本人や周囲の認識は「動物好き」「子ども好き」なので何も言えないもやもやした感情だけが残っていました。

”俳句”というあまりなじみのなかった文学のなかで、この感情が昇華されるとは思わず、思わぬ収穫となりました。

やはりエッセイは面白い!

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『風のベーコンサンド 高原カフェ日誌』柴田よしき | 【感想・ネタバレなし】爽やかな高原の風と、美味しい料理と共に描かれるちょっとほろ苦い人生模様

今日読んだのは、柴田よしき『風のベーコンサンド 高原カフェ日誌』です。

サスペンスに定評のある著者ですが、本書は高原のカフェを舞台とした穏やかな食べ物系小説です。

食べ物がテーマの話はなんでこんなに魅力があるんでしょうか。

高原にカフェをオープンした女性店主を主人公に、良くも悪くも田舎の濃い人間関係とほろ苦い人生の1ページが爽やかな風景と美味しそうな料理と共に描かれる”美味しい”一冊です。

ちなみに表題のベーコンサンドは、ある有名な英児童文学から来ているのですが、子供のときに読んだきりの私は、「え?そんなシーンあったっけ?」と読み返したくなりました。

それでは、あらすじと感想を書いていきます。

あらすじ

かつてのペンションブームが過ぎ去ったあとの少し寂れた百合が原高原。
東京の女性誌編集部を辞めた奈穂は、そこでカフェ「Son de vent(ソン・デュ・ヴァン)」をオープンさせる。
上質なバターやベーコンを生産する「ひよこ牧場」、自家製天然酵母のパンが人気の「あおぞらベーカリー」、ベリー類を生産する「斉藤農園」、地元の食材を取り入れた奈穂の料理は地元の人々にも受け入れられていく。
カフェを訪れる人々の十人十色の”事情”と、それにそっと寄り添う奈穂の姿が爽やかな高原の風景と美味しそうな料理と共に描かれる温かな作品。

おすすめポイント 

・美味しそうな食べ物が出てくる小説が好きな方におすすめです。

・読みやすく、サッと読める娯楽小説を探している方におすすめです。

なるべくネタバレしないようにしますが、気になる方はご注意ください。

主人公・奈穂の人柄

少し寂れたリゾート地・百合が原高原にカフェをオープンした奈穂が、地元の食材を使った料理で、訪れた人々を温かく迎え、自分の心の傷とも向き合っていく、という、悪く言えばこういった小説ではよくあるパターンのストーリーなのですが、嫌味なくサラっと読めてしまうのは、主人公・奈穂の人柄故でしょう。

結婚の失敗を機に、東京の大手出版社を退職してカフェをオープン。人当たりもよく、そつがなく、多分仕事もできる、といういつもの私なら「はい!もうムリ!」と投げ出してしまいそうな人物像です。

絶対に一緒に働きたくないタイプです。

実際、話中で地元の農家の主婦・小枝からこう言葉を投げつけられます。

「わたし……わからないのよ。どうしてあなたみたいな人が、東京を捨ててこんなとこに一人でやって来たのか。わたしも東京で働いていたことがあるからわかるの。あなたはきっと、仕事が出来て、都会で暮すのが似合ってて、東京で成功できるタイプの人だった。けっこういいお給料もらってバリバリ仕事して、センスのいい部屋で暮して。そういう人だったはず。違う?」

こういう言い方をされた場合、決してそれは誉め言葉ではなく、後から妬み嫉み愚痴泣き言のオンパレードになるものですが、この場合もやはりそうで、小枝は詮索好きな狭い村社会と夫の浮気にストレスが限界に至り、家を逃げ出してカフェにやって来たのでした。

物語上、”善人(いい意味ではない)”は、その空想性から時として読者を苛つかせるものですが、この小説がそういったストレスと無縁なのは、奈穂が全くの善人というわけではないことが、それとなく読者に伝わるからでしょう。

結婚生活に失敗した直接の原因は、夫のモラハラにありますが、そもそもが人の性根を自分の力で変えることができると安易に信じた傲慢さが奈穂自身にもあったからこそ、双方身を割かれる結果になったのです。

ここで、万引きとか詐欺恐喝とか、不倫とか、あからさまに悪いことをしていると、逆に白けてしまうのでバランスが難しいのですが、本書の主人公は、その善性と悪性のバランスが絶妙で、そこがこの小説をサラっと読ませてくれる大きな要因になっていると思います。

夢を叶えた後どこへ行くのか

個人的に興味深いのが、本書が”高原で店を成功させる”という夢の途中を描きながら、その夢の先すら描いてしまっている点です。

奈穂と同じく東京からの脱出組である「あおぞらベーカリー」の伊藤夫妻は店をオープンしてから早十年、提供する天然酵母パンは県外からも客が来るほど人気があります。

そこに至る努力は並大抵ではなかったものの、伊藤夫妻の”夢”はほぼ叶えられてしまった、と言えます。

しかし、そこに大手リゾートホテル「リリフィールド・ホテル」がやって来たことで、夫妻は岐路に立たされます。

現状のパンでも「あおぞらベーカリー」のパンを愛してくれている客は沢山います。

しかし、夫妻は「リリフィールド・ホテル」のレストランが提供するパンの高い技術力に圧倒されます。それは、夫妻が今まで考えなかった「これから」を考える契機となります。

「今のままでいいのか、このままただ、夫婦で歳をとって、やがてフェイドアウトする、それでいいのか」

夢を叶えることは美しい、でも夢を叶えた後、どこへ行けばいいのか。

本書は優しいだけではない、少しほろ苦い味も楽しませてくれる大人の娯楽小説でした。

今回ご紹介した本はこちら

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『自転車泥棒』呉明益 | 【感想・ネタバレなし】あの自転車はどこに消えたのか、父の自転車を追う旅はあの戦争の密林の奥地へと入っていく

今日読んだのは、呉明益『自転車泥棒』です。

2018年国際ブッカー賞候補作となった作品らしく、多言語的で幻想的な独特の読み応えがありました。

私は文庫で購入したのですが、挿入される自転車の精緻なイラストが美しく、これだけでも購入の価値があると思います。

それでは、あらすじと感想を書いていきます。

あらすじ

父の失踪と共に消えた自転車。その行方を追う「ぼく」の旅はいつしか時空を超え、戦時下の台湾から盗難アジアの密林へと分け入っていく。台湾の商場ですごした幼少期、自転車で突撃する銀輪部隊、幾万もの蝶の貼り絵をつくる女工員、戦いに徴収されるゾウたちの声なき声。
あの経験し得ぬ時代をなつかしむのではなく、無限のイマジネーションによって修復し語りなおすために……。

おすすめポイント 

・最先端のアジア文学に興味のある方におすすめです。

幻想小説マジックリアリズム小説が好きな方におすすめです。

なるべくネタバレしないようにしますが、気になる方はご注意ください。

私たちが経験し得ぬ時代に

小さい頃に、親戚の集まりか何かで散々自分の知らない時代の苦労話を聞かされた挙句、「今の子にはあの苦労は分からん」と決めつけられて膨れた経験が誰しもあると思うのですが、この小説は、自分の経験しなかった時代を”成仏”させるための物語、と言えるかもしれません。

語り手の「ぼく」は貧しい家庭の年の離れた末っ子で、家族の辿った歴史を「ぽつんと眺めているしかなかった」子供です。

貧しく苦労した家族の過去を散々聞かされた挙句、「あんたにはわからん」とか「恵まれっ子」と一蹴されてしまうのです。

どうして自分だけが、「恵まれっ子」などという汚名を着せられるのか?

そうした経験から「ぼく」は、家族の話からかつてあった歴史を文章として「再構築」し、「自分もそこで生き直す」という方法を編み出します。

しかし、始終寡黙なまま失踪してしまった父については、その過去を再構築する術がなく、父の歴史はそこで断絶しています。

父の失踪とともに失われた自転車を追う「ぼく」は、様々な人物、古物商のアブーやコレクターのナツさん、写真家のアッバス、老婦人の静子さん、に出会い、物語は幼少期の商場の記憶から戦時下の台湾、東南アジアの深い森へと時空を超え膨張していきます。

長い沈黙のあと、彼女はやっと口を開いた。「戦争には、なつかしいことなどひとつもありません。でも、こんな年になってしまうと、私たちの世代で覚えているもの、残されているもの全部、戦争のなかにある……」彼女はおもしろくもないのに、笑いを添えて言った。「だから戦争に触れなければ、話すことがなくなってしまう」

自転車と深い森と言語について

本書で印象的なのは、挿入される美しく精緻な自転車のイラストです。

ちなみにこの挿画は著者自身の手によるものだそうです。多才すぎる!

それには、それぞれ名前が書かれていて、「富士覇王号」だったり、「幸福印英印スポーツ車」だったり、「幸福印文武車」だったりします。

白黒でスッキリと描かれたイラストとその明快な名称は、自転車の機能的で硬質な美しさを際立たせます。

その硬質な美しさと対照的に繰り広げられるのが、戦時下の東南アジアの深く恐ろしい森の情景です。

その森は「豊かだが、飢えた森」であり、悪霊と死者が交錯する生臭い土地なのです。

森の描写は生々しくグロテスクです。

昼は追撃弾と機関銃が太古の森を揺らした。夜は照明弾が暗闇を真昼にした。密林のアリは、バッタのように大きく、大アゴで皮膚に食いつく。すると火に焼かれたか、針で刺されたような痛みがあった。ネズミはなんでも食べる。軍服、下着、靴下、靴ひも、ベルト、そして耳。毒薬ですら迷わず飲み込むだろうと私は考えた。ゴキブリは、熟睡している口から唾液を吸い、軍靴に潜んで足の爪や傷口、ただれを食べる。極度の疲れから深い眠りに落ちてしまえば、アリやネズミの集団に食べつくされてしまうから、我々はゾウに倣って、立ったまま順番に眠った。

人間が生きるには深すぎる森、冥界により近い森がそこにはあります。

そして森の複雑さと呼応するように、物語る言葉も複数の言語を複雑に行き来します。

台湾語、中国語、日本語、ツォウ語、カレン語、異なる言語が混交する様は、まるで安易に理解されることを、シンプルな解釈を拒否するかのようです。

まさに言語こそ、私たちが内側に持つ深い森そのものであり、歴史の刻印だということを本書は想起させます。

その事実が、序盤のある一説に象徴されています。

台湾で今「脚踏車」という単語が指すものを、もし「自転車」と言ったなら、それは戦前台湾の日本語教育を受けた人だろう。「鐵馬」や「孔明車」と言うなら、その人は母語台湾語ということになる。「単車」や「自行車」という単語を口にすれば、おそらくは中国南部からやってきた人たちだろう。もっとも今は、それぞれが交じり合って、明確な区別はなくなってきている。

複数の文化的背景、多言語的世界観、豊富なイマジネーションによる豊かでグロテスクな描写、アジア文学の最先端に恥じない文学作品でした。

他の翻訳もぜひ読んでみたいです。

今回ご紹介した本はこちら

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『ボーンヤードは語らない』市川憂人 | 【感想・ネタバレなし】人気シリーズ4弾は初の短編集。マリアと漣それぞれの過去の事件とは

今回ご紹介するのは、市川憂人『ボーンヤードは語らない』です。

21世紀のそして誰もいなくなったと選考委員に絶賛された第26回鮎川哲也賞受賞作ジェリーフィッシュは凍らない』から続くマリア&漣シリーズ待望の第4作目です。

シリーズ第4作目は初の短編集で、これまでの主要登場人物の過去が少しだけ明かされる、という点でシリーズのファンとっては嬉しい一冊といえるかもしれません。

それでは、各短編の感想を書いていきます。

あらすじ

空軍基地『飛行機の墓場(ボーンヤード)』で発見された変死体の謎。空軍のジョン・ニッセン少佐は自身のある後悔から、フラッグスタッフ署のマリアと漣に調査を依頼する。そしてマリアと漣にも、それぞれの過去と苦い後悔があった。真相と共に浮き彫りにされる現実と理想の痛切な断絶を描く表題作「ボーンヤードは語らない」をはじめ、シリーズ主要キャラクターの過去と、マリアと漣がバディを組んだはじめての事件を描くシリーズ初の短編集。

おすすめポイント 

・おなじみのマリア、漣、ジョン・ニッセン少佐のこれまで語られなかった過去に触れられるシリーズのファンにおすすめの一冊です。

・著者お得意の技巧を凝らしたトリックが短編のなかに綺麗に収まった宝箱のような一冊です。

 

なるべくネタバレしないようにしますが、気になる方はご注意ください。

ボーンヤードは語らない

ー疲れたよ、もう。

それが、別れの際に友人の遺した言葉だった。

故障や耐用年数の超過した軍用機が保管されるA州空軍基地・通称「飛行機の墓場(ボーンヤード)」で発見された兵士の変死体。

空軍少佐ジョン・ニッセンはその死に軍用機部品の横流しが絡んでいるのではと睨み、フラッグスタッフ署のマリアと漣に内々に調査を依頼します。

漣とは違った意味でお堅くストイックな人物像でマリアに振り回され気味のジョンは個人的に大好きなキャラクターなのでスポットライトが当たって嬉しかったです。

ミステリとしては、著者お得意の仕込みが小粒に仕込まれていて、1作目から読んでいるファンとしては美味しくいただけましたが、ストーリーとしては、理想と現実の狭間に落ちてしまった人間の悲劇が浮き彫りにされる少し胃が重くなる結末でした。

この話で語られる、他者を疎外・迫害しようとする醜悪さ理想と現実を埋めようとする強靭さ、はこの後のストーリーでも繰り返し強調されるので、この短編集全体のテーマがここで提示された、と言っていいかもしれません。。

赤鉛筆はいらない

「ごめんなさいね、本当に」

母が後ろを向き、申し訳なさそうに口を開いた。

いつも隙が無く慇懃無礼なマリアのバディ・九条漣が高校生の冬に遭遇した不可解な殺人事件が描かれます。

ミステリとしては、王道の雪の密室です!

ジェリーフィッシュは凍らない』も雪が降りしきるなかの事件だったので、ちょっとニヤッとしてしまいます。

著者お得意の精緻な仕込みが遺憾なく発揮されていて、途中「あ、だまされた!」と何度か声をあげたくなりました。

そして、この時分から慇懃無礼な食えなさを垣間見せるものの、今一歩詰めきれない甘さが滲む高校生の九条漣も大変楽しめました。

レッドデビルは知らない

「勝ち誇りたいなら勝ち誇ればいいわ。

 けど、覚えていなさい。あんたの行いを知る人間が、今、あんたの目の前にいてーたとえどこへ行かされようと、いつになろうと、あんたを地獄へ叩き落そうとしていることを」

名門ハイスクール(!)の寮生時代のマリアとその親友を襲った痛ましい悲劇が描かれます。

白人至上主義が跋扈するハイスクールで爪弾きにされているマリアとハズナはあるきっかけで急速に仲を深めます。

しかし、ピクニックを約束した日曜日の前日、ハズナはマリアに不審な電話を遺し、駆け付けたマリアは遺体となったハズナを発見、自らも襲われ意識を失ってしまいます。

マリアは、気を失う前に目にした不可解な状況を追い、犯人に迫っていきます。

マリアがなぜ、刑事になったのか原点ともいえる事件が描かれます。

結末は悲劇的ですが、理解しえない現実を強い意志で(しばしばその拳で)埋めようとするマリアの力強い美しさが光る物語です。

サブキャラのマリアのルームメイト・セリーヌのあくの強いキャラにも惹かれる一編です。

また、何かの際に出てきてほしいです。

スケープシープは笑わない

口うるさそうな奴だ、弁護時事務所と間違えたんじゃないか。

それが、黒髪の部下に対するマリア・ソールズベリーの第一印象だった。

 

派手でだらしない人だ、これで警部とはさすが自由の国だ。

それが、赤毛の上司との初顔合わせにおける九条漣の偽らざる心境だった。

 

そして図らずも同じ疑問を抱いた。

どうしてこいつはーなぜ彼女はー警察官になったのか?

マリアと漣がバディを組んではじめて遭遇した事件が描かれます。

一応、先の二つの短編で描かれたマリアと漣それぞれの苦い過去が、この短編でいくらか挽回される、という構図をとっていますが、

ミステリとしては、小ネタも小ネタで、『ジェリーフィッシュは凍らない』の前日譚としてファンへのサービスで番外編的に書かれたものと解釈していいと思います。

でも雰囲気は往年の海外ミステリドラマっぽい感じで好きです。

今作は短編集でしたが、またこの二人の大がかりな長編が読みたいです。

今回ご紹介した本はこちら

 

第1作目の感想はこちら

rukoo.hatenablog.com

第2作目の感想はこちら

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第3作目の感想はこちら

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『30センチの冒険』三崎亜記 | 【感想・ネタバレなし】30センチのものさしが世界と彼女を救う!哲学香る異世界ファンタジー

今日読んだのは、 三崎亜記30センチの冒険』です。

主人公の男性が迷い込んだのは「大地の秩序」が乱れ、距離の概念がめちゃくちゃになった世界。

手には何故か白い「30センチのものさし」

そして、その世界で出会った不思議な女性・エナ

世界と彼女を救うため、30センチのものさしを握りしめ冒険に立ち向かう、というファンタジックな物語です。

典型的なボーイミーツガールであり、また寓意的な描写が散りばめられた哲学の香りさえ漂う何ともいえない魅力に溢れた作品です。

ハッとするような言葉が沢山あり、泣かせに来る小説ではないのに何故かぐっとくるものがあります。

それでは、あらすじと感想を書いていきます。

あらすじ

故郷に帰るバスに乗った”僕”ことユーリは突然、距離の概念がめちゃくちゃになった世界に迷い込み、そこに住む女性・エナに助けられる。
手には、覚えのない「30センチのものさし」が……。
「大地の秩序」が失われ、自由に移動することさえままならない世界で人々は滅亡の危機に瀕していた。
そして、「渡来人」であるユーリと出会ったことで、エナの時間が狂い徐々に若返るという現象に見舞われる。
世界の危機とエナを救うためユーリは、その世界には存在しないはずの「30センチのものさし」を手に冒険に立ち向かう。

おすすめポイント 

寓意的な物語、哲学的な物語が好きな方におすすめです。

ちょっと変わったボーイミーツガールが読みたい方におすすめです。

本がちょっと変わった形で登場するので、本好きの方・読書好きの方におすすめです。

なるべくネタバレしないようにしますが、気になる方はご注意ください。

不思議な世界観

本書の特徴な何といっても、足元がグラつくような不思議な世界観です。

遠近の概念がしっちゃかめっちゃかになった世界

近くに見えているものに届かず、遠くに見えているものがすぐ近くにある世界。

高く見えるものが低く、低く見える者が途方もなく高い世界。

街を襲う「歪みの嵐」と、人々を連れ去る「鼓笛隊」

鳥のように羽ばたく「本」の群れ、砂嵐のなかを墓場へと歩んでいく「象」

地図を全て記憶するという「ネハリ」、人々を導く厳格な「施政官」、移動を司る測量士たち」。

それぞれが何のメタファーなのか、人々の行動が何を表しているのか、考えながら読む大人向けのファンタジーと言えます。

特に、何百もの本が鳥のように羽ばたいて空を渡っていく描写は、一瞬で映像が頭のなかに広がるような魅力的なシーンです。

本好きにほたまらないのではないでしょうか。

自らの使命を全うすること

本書には、個性的な登場人物が登場するのですが、そのなかでも印象的なのが”ムキ”という男性です。

ムキは代々受け継いだ何かの”訓練”を毎日欠かさず行っているのですが、その訓練が何のためのものなのか誰も、本人ですら知らないのです。

そのために、ムキは周囲の人々から軽んじられ、馬鹿にされています。

ムキの役目には一応名前があるのですが、「ー」と表現され、主人公のユーリには何故か聞き取ることができません。

どんなに馬鹿にされても、何のための訓練なのか分からなくても、ムキはいつか自分の役目が来ることを信じています

性格はお調子者おっちょこちょいコメディリリーフ的なムキですが、自分の使命を見失わないその態度から、物語中、主人公をはじめ、人の背中を力強く押してくれる役割を担っています。

どんなに馬鹿にされようと、ムキは自分の目指す先を見失っていない。そんなムキの言葉が、僕の胸に響いて離れなかった。

ハッとさせられる言葉

本書中、私が最も印象的だったのがこちらのセリフ、

「だがマルト、他人の人生を簡単に論じると、それはいずれ、自分に跳ね返って来るぞ」

この言葉が、街のリーダー的存在である「施政官」が、若きエリートである青年・マルトを諭す言葉なのですが、切れ味が良すぎてこちらまでぐさりとやられてしまいました。

若く有能で将来を嘱望されているマルトは、それ故に人の弱さに対し少々無理解さを示します。

簡単に、人を許せないと口にするマルトに、思慮深い「施政官」はたしなめる意味でこの言葉を口にします。

私も普段、周囲の人間の行動を、外側からあれこれあげつらっていることがあるので、このセリフにぐさっ!と来ました。

「不倫なんて絶対ありえないし許せない」って言ってた奴がよりにもよって不倫したりするしな~、と思いました。

何に書いてあったのかは忘れましたが、そういう人は自分の時だけは「純愛」だというらしいです。面白いですよね。

この他にも、刺さるセリフが沢山あるので、是非一読をおすすめします!

今回ご紹介した本はこちら

『鏡のなかのアジア』谷崎由依 | 【感想・ネタバレなし】チベット、台湾、京都、インド、クアラルンプール、幻想と現実のアジアを言葉の魔力が繋ぐ

今日読んだのは、 谷崎由依鏡のなかのアジア』です。

チベット、台湾、京都、コーチン、クアラルンプール、アジアの土地を舞台とした5つの短編が収録されています。

どの物語もアジアのそれぞれの都市の空気が匂いたつようで、幻想と現実の間でくらくらするような酩酊感を誘われます。

それでは、各短編の感想等を書いていきます。

あらすじ

チベットの僧院で夜、写経に勤しむ少年僧、雨のshito、shito降る村の奇妙な9つの家、鍋を囲みながら言語の魔力に想いを馳せる京都の学生たち、遥か昔、巨大樹だった男の過去と独白。幻想と現実のアジアを言語の力で飛翔する5つの短編集。

おすすめポイント 

幻想小説が好きな方におすすめです。

アジアの都市の空気感が好きな方におすすめです。

なるべくネタバレしないようにしますが、気になる方はご注意ください。

各短編の感想

……そしてまた文字を記していると

チベットの僧院の年若い少年僧の静かな独白が語られます。

僧院は遥かな歴史を持ち、僧院の壁に描かれた色鮮やかな神々たちはチベットの遠く異国の顔立ちをしています。

興味深いのは少年僧にとって、世界とは何千巻、何万巻もの経典に封じ込められているもので、兄弟子たちと日々経典を書き写し、読経することで、閉じ込められた言葉により万物が再形成されていくと考えているのです。

 兄僧たちが日々、つややかな声を張りあげて経を読み、怠ることなく経典をひらくのは、そこにある文字を解きはなち、この世に拡散させるためである。一日も休むことはならない、と言われている。さもなければこの世界は端から欠けて、見る見る不完全なものとなってしまう。

世界から言葉が生まれるのか、言葉により世界が形成されていくのか、根源的な問いが、チベットの乾いた風に散っていく短編でした。

Jiufenの村は九つぶん

台湾の九份の架空の村が舞台です。

先の「……そしてまた文字を記していると」より一層幻想さを増し、マジックリアリズムの手触りさえ感じさせます。

9つしかない家で起きる不可思議な出来事、虚しい恋への夢想を三つ編みに込める姉、出稼ぎの行った夫の代わりに居座る男の世話をやく妻、妻を失い異食に走るやもめ。

小さな村で起きる出来事はすべて雨の中に吸い込まれていきます。

文章中の雨の擬態語が面白いです。

barabara、barrabarraの雨が、shoushouの細かな雨に変わってくると外に出た。

国際友誼

くるんと戻ってくるように舞台は京都に。

幻想性はなりを潜め、代わりに言語の不可思議に振り回される3人の学生の姿がユーモラスに語られます。

筆者の分身のような文学部の女子学生、台湾からの留学生のソウくん、ヘンテコな理屈を捏ねる英文科の男子学生、3者は京都の街をぐるぐる迷いながら、ちょっとクスッとするラストシーンへ誘われていきます。

友人がドルマンスリーブのブラウスを着ているのを見て、女子学生がノートに書きつける言葉がいかにも文学部の学生らしくて笑えます。

野守は見ずや・きみが・どるまんすりーぶ振る。

船は来ない

インドのコーチンが舞台。

最も短い短編で数ページしかありません。

年若い義母を迎えた少年が初めて盗みをはたらくシーンが描かれます。

盗んだのは、白蝶貝を連ねた銀細工の腕輪

義母への薄っすらとした思慕と、弟の誕生への予感に揺れる彼は地平線の向こうにそこから連れ出してくれる船を待ちます。

その船はまだ、やってこない。

天蓋歩行

主にクアラルンプールを舞台に、不思議な男の半生が語られます。

5つの短編の最後に相応しい重厚な読み応えがあります。

作中、屋敷の女主人から問われ、男は自分について語ります。

ーあなたはどこから来たのか。何をしてきた者であるのか。

私は答えた。

ー私はかつて森を狩猟に生きた者であり、その以前には虎であったが、それは束の間だけのことで、そのさらに以前には、長いあいだ木であった。

熱帯の巨大樹であったころ、男は菌類を介して周囲の木々の会話し、様々な生き物の住処となり、恐ろしい時間を老いていった、といいます。

茸を記憶の顔と呼んだのは、あの双子のKupur樹の弟のほうだった。

男の独白は、熱帯の樹木であったときの遠い記憶翠玉の丘の屋敷に下男として仕えたいつとは分からない過去現代のクアラルンプールで一人の女と暮らす今の3つの視座から為ります。

ビルが立ち並び通勤者で混雑する現代のクアラルンプールから、幻想的な熱帯の森へ、夢のなかのような翠玉の丘へ、読者はその時間と空間のめくるめく広がりに酩酊させられます。

私という人間は一つではなく、かつては何者かであったかもしれない、そんな夢想に取り憑かれる幻想的な短編です。

今回ご紹介した本はこちら

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